アムトラックで行った米国大陸横断鉄道旅行

   Nobuo Hoshino's America Rail Travelog

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 南行き「コーストスターライト」号
カリフォルニアの海岸線を行くコーストスターライト号
サンタ・バーバラ−ベンチュラ間 1996-7-23 撮影は作者
 アメリカ旅行の新しいスタイル
「アメリカの鉄道」で皆様はどのように連想しますか?

 航空機や自動車の普及ですっかり斜陽化してしまった「アメリカの鉄道」ですが、それは旅客輸送部門に限っての話で、世界最大の路線長を持ち、貨物輸送ではトップシェアと膨大な輸送能力を誇っています。旅客輸送も現在の環境問題に対応して、通勤路線の復活や新設が相次いでいます。長距離輸送の米国鉄道旅客輸送公社(アムトラック)に於いても車輌の更新が行われました。また予約システムも充実して、インターネットからの予約が可能になりました。今まで乗客として少なかった日本人への対応として日本語の列車案内を置く列車も現れました。
アムトラック東行「デザート・ウインド」号
現在は廃止されたロス・アンゼルス−シカゴ(デンバー経由)間の「デザート・ウインド」号
南カリフォルニアの鉄道名所の「カホン」峠の西側の旧ルート66から撮影 1996-7-21 撮影は作者
 
 
  乗車記
 
 「コースト・スターライト」号 サンタ・バーバラ−シアトル
           「世界一美しい列車」の線路を辿る
 「エンパイア・ビルダー」号 シアトル−エセックス
           列車を観る為の「究極」のホテルを訪ねる
 「エンパイア・ビルダー」号 エセックス−セント・ポール/ミネアポリス
           「最も美しいロッキー越え」を観る
 「サウスウェスト・チーフ」号 シカゴ−サン・バーナーディノ
           「ルート66と先住民の足跡」を辿る
 「サウスウェスト・チーフ」号 ロス・アンゼルス−フラッグスタッフ
           「フレッド・ハーヴィーの王国」を列車で訪ねる
 「サウスウェスト・チーフ」号 フラッグスタッフ−サン・バーナーディノ
           再び、「カホン峠」へ
 「カーディナル」号 ホワイト・サルファー・スプリングス−シカゴ
           「アメリカ’ズ・リゾート」から中西部ヘ
 「サウスウェスト・チーフ」号 シカゴ−サン・バーナーディノ
           中西部から「カホン峠」へ
 「カリフォルニア・ゼファー」号 デンバー−サクラメント
           「微風」にのってロッキー越え
 「サウスウェスト・チーフ」号 サン・バーナーディノ−シカゴ
           「カホン峠」から「ルート66と先住民の足跡」を辿る
 「カーディナル」号 シカゴ−ホワイト・サルファー・スプリングス
           「アメリカ国定川」を辿る
 「サウスウェスト・チーフ」号 ロス・アンゼルス−ウィリアムズ
           「ルート66と汽車を観る」
 「サウスウェスト・チーフ」号 ウィリアムズ−ウィンズロー
           「王冠の宝石」と呼ばれたリゾートホテルへ
 「サウスウェスト・チーフ」号 ウィンズロー−サン・バーナーディノ
           変わり果てた「カホン峠」へ
 
  鉄道旅行の魅力
 「鉄道旅行の魅力」は広大な米国大陸を時間を掛けてゆっくりと移動する事。広くて高い空間。決して空からでは解らない米国の深部が列車内や車窓から見える事。機内食よりおいしい食事。案内パンフレットに綴られた歴史。米国人の人なつっこさや米国人気質。決して感謝される事の少ない環境の中で、列車を動かす機関士や乗客にサービスをする乗務員の真摯な姿勢。身障者でも健常者と同じ条件で旅行が出来る事。米国の底力を実感出来る事。街角より良い治安。書けばきりが有りません。長所でもあり短所でもあるのが列車が遅れる事です。此によって思いがけない発見をします。列車旅行は時間を贅沢に使います。その贅沢が米国の深部を見せてくれます。
  アムトラックとは
 1970年に議会で成立した鉄道旅客輸送公社法に拠って1971年5月から従来の鉄道で行っていた旅客輸送業務を引き継いで長距離旅客輸送を開始した政府、鉄道会社、民間資金が出資した半官半民の特殊法人。正式名称は米国鉄道旅客輸送公社(NRPC National Railroad Passenger Corporation)です。現在は民間企業であるが、株主が運輸省であるため、実質上は連邦政府の一部門である。
 アムトラックの発足時に長距離旅客輸送を行っていた鉄道は21社でそのうち18社が参加したが、最終的には全社参加になり、現在は1981年4月に破産したオートトレイン社も参加する様になった。
 鉄道会社の資本参加は資金にとどまらず、現物出資も行われたので、今まで鉄道会社で使用していた車輌や乗務員が移籍の形で出資された。アムトラックの発足当時は今までの鉄道会社で使用されたままの塗装でそれも寄せ集めであったので、列車全体の塗装が虹の様に分かれているので「レインボーイヤー」と呼ばれていました。「レインボーイヤー」と言えば聞こえが良いのですが、車輌は博物館入りしてもよい位の旧いものでした。性能も落ちていますし老朽化と整備不良の為に故障が頻発し、その後の石油ショックでの利用者の増加への対応は困難を極めました。
 アムトラックの車輌が安定しだしたのは、政府の補助が本格化した後の1970年代中期に導入した機関車の不調の失敗を経て安定した性能の機関車(F40PH)とプルマン(Pullman Standard)の最後の客車(アムトラック・スーパーライナー第一次車)が登場した1970年代末期の事です。
 
 ガイドブックには載っていない 列車旅行のコツ
 リンク集 
  ssw9389@infonia.ne.jp

This page last updated on May 27, 2011
Text Photo (C) Nobuo Hoshino