- Nobuo Hoshino's America Rail Trevelog
- アムトラック西行カリフォルニア・ゼファー号乗車記
- 「微風」にのってロッキー越え
- 二日目 デンバー−サクラメント その2
- 砂漠のまっただ中で朝を迎える
- 1999年6月25日の朝はアムトラックのカリフォルニア・ゼファー(California Zephyr)号のスーパー・ライナー(Super Liner)客車のスタンダード・ベッドルーム個室寝台で迎えました。夜が明けきらぬ早朝の車窓から見える風景は完全に変わり、樹木の姿は確認できません。列車はネバダ州に入った様です。車窓から見えるのは草木や川の無い岩石砂漠と並行するもう一本の線路です。 カリフォルニア・ゼファー号の走っている線路はユニオン・パシフィック鉄道(UP Union Pacific Railroad)のサザン・パシフィック・ネバダ・サブデビジョン(Southern Pacific Nevada Subdivision)のオグデン線(Ogden Line)で吸収合併前のサザン・パシフィック鉄道(SP Southern Pacific Transportation)のネバダ・サブデビジョン(Nevada Subdivision)のオグデン線(Ogden Line)になります。車窓から見えるもう一本の線路はUPのエルコ・サブデビジョン(Elco Subdivision)で吸収合併前のウェスタン・パシフィック鉄道(WP Western Pacific Railroad)の本線です。此の二本の線路はSP−WPジョイント・ライン(SP-WP Joint-Line)、SP−UPジョイント・ライン(SP-UP Joint-Line)の名称を持ち、各社の一本の単線の線路を共同利用で一本の複線の線路として使用していました。共同利用は単線二本より輸送力が高くなる利点が有ります。1996年にUPがSPを買収した事で、全てUPの線路になった為、ジョイント・ラインと云う言葉も昔の事になりつつあります。此のジョイント・ラインはネバダ州アラゾン(Alazon, NV)〜ウェソー(Weso, NV)迄の182.7マイルです。1970年の5月のアムトラックへの旅客列車の業務移管までは車窓に見える線路にシカゴ・バーリントン&クインシー鉄道(CB&Q Chicago Burlington & Quincy Railroad)、デンバー&リオ・グランデ・ウェスタン鉄道(D&RGW Denver & Rio Grande Western Railroad)、WPの三社共同運行のカリフォルニア・ゼファー(CZ California Zephyr)号が走っていました。
- 特徴有る線路
- 車窓から見える線路が寄り添い、カリフォルニア・ゼファー号はネバダ州ワイネマッカ(WNN Winnemucca, NV)に到着しました。駅といって短いプラットホームと待合所しか有りません。このネバダ州ワイネマッカはSPとWPとの接続駅です。接続駅と云ってもSPとWPの線路を連絡する渡り線は東隣のウェコ(Weco, NV)にしか有りません。 ソルトレーク・シティ〜スパークス間のアムトラック・カリフォルニア・ゼファー号の経路は西行と東行と違っています。アムトラックのワイネマッカ駅はSP線上に有ります。一つ前のネバダ州エルコ(ELK Elco, NV)の駅はWP線上に有ります。西行はソルトレーク・シティからアラゾン迄WP線を通過し、アラゾンでSP線に入ります。エルコ・アムトラック駅の東のエルコで一旦、WP線に戻ってエルコの西のカーリンからスパークス迄はSP線を通過します。東行はウェソー迄SP線を通過し、ウェソーからソルトレーク・シティ迄WP線を通過します。
- 大陸横断鉄道と西海岸縦断鉄道の十字路になった鉄道
- アムトラックのカリフォルニア・ゼファー号のソルトレーク・シティ(Salt Lake-City, NV)〜スパークス(SPX Sparks, NV)間の線路は複雑に入り組んでいます。カリフォルニア州オークランド(Oakland, CA)からのSPの本線はグレート・ソルト・レークを木橋と築堤で渡りユタ州オグデン(Ogden, UT)でアイオワ州カウンシル・ブラフス(Council, IA)からネブラスカ州オマハ(Omaha, NE)とワイオミング州シャイアン(Cheyenne, WY)を経由するUPの本線に接続します。このSPとUPの本線が1869年に全通した最も古い大陸横断鉄道でオーバーランド・ルート(Overland Route)と呼ばれています。同じくオークランドからのWPの本線は無人の荒野を抜け、ソルトレーク・シティに達しています。コロラド州デンバーからのD&RGWの本線はソルトレーク・シティでWPの本線に接続し、そのままオグデンに延びています。
- 歴史背景としてCB&QとD&RGWはUPとSPに君臨するエドワード・ヘンリー・ハリマン(Edward Henry Harriman)の独占体制に対抗しました。対するハリマンはCB&Q、D&RGWの列車のSPとUPへの乗り入れを拒否したため、CB&Q、D&RGWはカリフォルニアへの道を閉ざされました。CB&Q、D&RGWはWPの建設が始まると、自陣営にWPを引き入れて大陸横断鉄道を構成する事でカリフォルニアへの道を開きました。CB&Q、D&RGWはSPに対抗しているアチソン・トペーカ&サンタフェ鉄道(ATSF Atchison Topeka & Santa Fe Railway)とSPとUPに対抗しているグレート・ノーザン鉄道(GN Great Northern Railway)を引き入れました。此れはワシントン州シアトル(Seattle, WA)からカリフォルニア州ロサンジェルス(Los Angeles, CA)の西海岸縦断線(現在はUPのインターステート5号回廊線 UP I-5 Corridor)に対抗するもので、カナダのバンクーバー(Vancouver, BC, Canada)からカリフォルニア州サン・ディエゴ(San Diego, CA)迄の西海岸縦断線であるインサイド・ゲートウェイ(Inside Gateway)を構成する事になりました。ATSFはカリフォルニア州境から西海岸への線路がSPに独占されていてカリフォルニア州境から西海岸への線路をSPの財政危機に乗じて買収したいきさつが有りました。GNはオレゴンから南下してカリフォルニアへ進出する時にSPと橋の利用権を巡って争いました。又、UPとは北西海岸から内陸への線路がコロンビア(Colombia River)川を挟んで並行する形となり、川を挟んで睨み合いとなりました。この結果、WPは反ハリマン陣営の大陸横断鉄道と西海岸縦断鉄道の十字路となりました。
- 入り組んだ線路の名残は未だに残っています。
- 観ることが出来なかった男の桃源郷
- 化粧室内のスピーカーから観光名所の案内放送が有り、内容は「高級売春宿キャデラック・ランチ(Cadillac Ranch)が西行カリフォルニア・ゼファー号の車窓から観えます。」と云う内容でした。このときは長旅の疲れで胃腸の調子が落ちた為、化粧室の便座に座っていたところでした。直ぐに化粧室のカーテンを開けて外の様子を確認しましたが、キャデラック・ランチを観ることは出来ませんでした。
- スパークス到着直前に個室寝台を出て直ぐに車内の通路で、首に掛けたスキャナー(携帯列車無線受信機)と手に持ったオルタモント・プレス(Altamont Press)のタイム・テーブル二冊を見た現地のファンが私に声を掛けてきました。彼曰く、「俺は、鉄道ファンだ、何処へ行くのか?サクラメント(Sacramento, CA)か、俺はこの雑誌に記事を書いている。申込書をやるから、雑誌を買って読んでくれ。」と云う事で申込書を貰い、こちらはサクラメントのレール・フェアー99の見物という旨を伝えました。
- 砂漠の外れの小さな町
- 西行カリフォルニア・ゼファー号はネバダ州スパークス(SPX Sparks, NV)に到着しました。この駅は操車場の片隅に有り、旅客へのサービス設備は公衆電話のみと云う有様です。駅本屋の最上階には空港の管制塔を思わせる信号取扱所が有ります。此処でカリフォルニア・ゼファー号は最後の補給停車(Service Stop)を行います。このため、乗客や乗務員は車外に出ています。駅本屋の片隅にある公衆電話には電話をかける人が並んでいます。機関車には燃料、客車には水と氷、食堂車には食材が補給されます。代わりに多くのゴミが吐き出されます。機関士も此処で交代します。補給停車は長く掛るので、この間に列車の通過待ちをします。灼熱の砂漠地帯を越えたせいか、外気は乾いて熱くなっています。この熱さの為か、外に電話をかけに行く乗客以外の大部分は車内に戻っています。
- 嘗て、ネバダ州スパークス(Sparks, NV)はドナー峠(Donner-Pass)越えの為の車輌基地でした。蒸気機関車の時代はユタ州オグデン(Ogden, UT)からサザン・パシフィック鉄道(SP Southern Pacific Lines)の平坦線用の機関車が受け持ち、此処からはドナー峠越えの為に開発されたSP独特のキャブ・フォワード(Cab Forward)型単式連接型蒸気機関車が重量貨物列車の前・中・後に付いてこの厳しい峠を越えていました。ディーゼル機関車になっても車輌基地は残りましたが、UPのSP買収に拠る車輌基地の集約化で現在でも操車場は残っていますが車輌基地は無くなっています。
- 此処から線路はUPのサザン・パシフィック・ローズヴィル・サブデヴィジョン(Southern Pacific - Roseville Subdivision
)のトラック1(No.1 Track)です。
- 世界一大きく小さな町へ
- 西行カリフォルニア・ゼファー号は予定よりも遅れて前触れもなく出発しました。徐行運転の車窓には隣町のネバダ州リノ(RNN Reno, NV)のストリップのホテルが見えます。此処もラス・ヴェガス(Las Vegas, NV)と並ぶカジノとショーの町です。カジノ街の目抜き通をストリップと云いますが、此れはストリップ劇場が在る訳ではなく、博打で負けた客が掛け金の代りに身包みを剥される事から付いた名前です。このリノは外国からの観光客よりも地元の観光客を主に客層としています。そのせいか、ラス・ヴェガスに比べるとリノは地味という印象は拭い切れません。
- 世界一大きく小さな町
- 目抜き通が線路に近づくと西行カリフォルニア・ゼファー号のネバダ州リノ(Reno, NV)到着の合図です。駅に停車した西行カリフォルニア・ゼファー号は二つの踏切を塞いで停車しています。駅には多くの乗客が待っています。此処から乗車する利用客はサンフランシスコ方面に向かう客が大部分です。此処から終点のカリフォルニア州エメリーヴィル(Emeryville, CA)迄昼行移動なので座席車(Coach)の方に利用客が集まっています。利用客が多く増結する必要のある場合、リノには増結用の座席車を置く線路が無い為、シカゴから増結します。シカゴから空気を運ぶのは勿体無い事なのですが、増結作業のために入換作業の工数、座席車の運用効率、車輌の駐泊費用を考えると仕方の無い事かもしれません。
- 停車中での踏切遮断に因る渋滞を解消する為に、この線路を半地下式にする計画が打ち出されていますが、莫大な費用と長期間の作業や工事用仮設線路の問題が解決できず、UPがアムトラックに冷たい態度をとっている事も有って当分此のままです。
- 西行カリフォルニア・ゼファー号は世界の車窓からに採り上げられた有名な看板を横目に観ながら前触れも無く動き出しました。踏切で停車させられていた車の運転手の表情にはやっと通れるとうんざりした表情が覗えます。
- いよいよ丘越え
- 西行カリフォルニア・ゼファー号がこれから差し掛かる標高7,021フィートのヒル(Hill)と呼ばれるドナー峠越えは既にスパークスから始まっていてリノの駅の前後には緩い勾配が付いています。米国有数の森林地帯であるシェラネバダ山脈(Sierra Nevada Mountains)の中部を超える為、車窓の景色は砂漠から森林に変わっています。車窓の側には川が寄り添っています。木の高さもコロラド川最上流の地域のものとさほどかわりません。西行カリフォルニア・ゼファー号の速度もゆっくりとしたものです。
- 此処は屈指の豪雪地帯
- 此の一帯は冬季、太平洋岸の寒流上を通過する湿気を含んだ西風が通過します。その西風が山脈にぶつかると雪雲が発生します。その雪雲が此の地域に豪雪をもたらします。並行するインターステート80号線(I-80)は冬季に雪の為、しばしば通行止めとなります。雪に対する経験が豊富な除雪のプロフェッショナルを抱えている鉄道は雪で不通になる事は有りません。此の雪を避ける為、I-80上を走るトレーラは線路上を行くトレーラ専用のフラットカーに乗換えます。暖房用燃料も鉄道輸送になり、LPGや灯油を満載したタンク車も増え、此の線路は更に混雑します。昔の台車は平軸受を使い軸受摩耗を防ぐ為、軸受に油を差していました。冬季には差した油が固くなって走行時の抵抗になるので、夏季と冬季では同じ重量の列車でも機関車の必要輌数が違っていました。SPの蒸気機関車はC重油(Bunker Fuel)を燃料にしていましたが、C重油は気温が低くなると流動性が悪くなる為、燃料詰まりを防止する為C重油に蒸気を吹き込む必要が有りました。
- 此処は南カリフォルニアの生命線
- 冬季、此の地域の住民には忌み嫌われるシェラネバダ山脈の豪雪ですが、南カリフォルニアの生存与奪を握っています。春になるとシェラネバダ山脈に降った豪雪が解け、雪解け水となります。雪解け水はシェラネバダ山脈の大森林がダムの役目を果たし保持されます。流れ出た雪解け水はサン・オーキン渓谷(San Joaquin Valley)を通り、サン・オーキン渓谷の畑作地帯を潤します。更に、ロサンゼルス市の建設した用水道でサン・オーキン渓谷からシェラネバダ山脈の南端を越えロサンゼルス都市圏に送られます。
- ロサンゼルス都市圏は此のシェラネバダ山脈の雪解け水とコロラド川のフーバー・ダムの水が生命線です。ロサンゼルス都市圏のハリウッドは20世紀初頭、東部から追われた新興映画会社が此処に集まったと云うくらい撮影の邪魔になる雨が少なく、水の便も悪く土地代も低廉でした。
- 全ては此処を越える為
- SPにとって此の峠を越える事が機関車開発の再重点事項になりました。蒸機ではキャブ・フォワード、更には世界初の先輪4、動輪10、従輪2(以後、4-10-2と記述)の型式サザン・パシフィック(SP Southern Pacific)というSP独自の軸配置機を投入しましたがSP-1/3は長い固定軸距離が災いして急カーブの多いドナーでは使えず、キャブ・フォワードが蒸機時代のSPの屋台骨を支えました。
1960年代初頭、この峠を征服する為にドイツから来たクラウス−マッファイ製の液体式3600馬力のディーゼル機関車は冬のドナーに敗れ、それに続いたアルコ(ALCO American Locomotive Co.)製の液体式3600馬力のディーゼル機関車も敗れ去りました。ドイツからの機関車は渡米前にオーストリアのゼメリング峠で慣らし運転を繰り返して鍛えて来た訳ですが、ゼメリングがハイキングならドナーは登山と云う位違いが有り、重量貨物列車を背負ってドナーを越えることはドイツ車単独で出来ず、アメ車の随伴を必要としました。ドイツ車の保守にはかなりの手間が掛かりました。ドイツ車の度量衡はメートル法で従来の車輌の度量衡はヤード・ポンド法で全ての部品から工具まで互換性が無く、部品に工具更に保守する技術者までもドイツから取り寄せる必要が有り、高性能ですがデリケートなディーゼルエンジンを故障させないように運転するために相当の苦労が必要でした。
- ドイツ車の来る前からSPの屋台骨を支え、ドイツ車の随伴を務めたのは生粋のアメ車であるキャデラック(Cadillac)やジープ(Geep)それに幌馬車(Covered Wagon)の大艦隊でした。
キャデラック、ジープ、幌馬車はイリノイ州ラ・グランジ(La Grange, IL)に在ったエレクトロ・モーティブ・デヴィジョン(EMD Erectro Motive Division)で製造された電気式ディーゼル機関車の愛称で、キャデラックは特別用途(Special Duty)の頭文字のSD、ジープは汎用仕様(General Purpose) 頭文字のGP、幌馬車はFの型式名が付いていました。EMDは親会社がジェネラル・モータース(GM General Motors)という事もあってSDのキャデラックとGPのジープは良く合った愛称となりました。Fユニットの幌馬車は箱型の車体形状から付いた愛称です。幌馬車の登場は1941のFTが始まりで戦後のF3、F7はEMDの黄金時代を打ち立てるばかりではなく、米国での蒸機の時代を終わらせディーゼルの時代を打ち立てました。キャデラックとジープは石炭輸送用にアラパチアの炭田地帯に辛うじて生き残っていた蒸機に止めを刺しました。
- SPでの彼女(キャデラック、ジープ、幌馬車)たちは黒色の毒蜘蛛(Black Widow)の衣装を纏って北はオレゴン州ポートランド(Portland, OR)、西はカリフォルニア州サン・フランシスコ(San Francisco, CA)、東はオグデン、南はルイジアナ州ニュー・オーリンズ(New Orleans, LA)に跨る広大な路線網を支えました。
- 此処は魔の峠
- 1952年1月、ドナー峠の各駅は豪雪に見舞われました。1月13日シカゴ・ミルウォーキー・セントポール&パシフィック鉄道(MILW CMSt.P&P Chicago Milwaukee St.Paul & Pacific Railroad)、UP、SP三社共同運行のシティー・オブ・サン・フランシスコ(COSF City of San Francisco)号オークランド行101列車がドナー越えの途中で立往生して雪に埋まりました。101列車を脱出させる為に向かった除雪車も途中で立往生して雪に埋まってしまいました。
- 大雪は1月9日から始まり、トラッキーの西、最高点の西隣のノルデン信号所(Norden, CA)の温度計は当日の0時01分で零下華氏28度、降雪量は118インチを示していました。並行する国道40号線も1月11日から閉鎖されました。
1月13日10時18分、101列車はノルデンを発車しました。 101列車は発車直後から猛吹雪に見舞われ、たちまち数時間の遅れが発生しました。この遅れを取り戻すためキャブ・フォワード2輌とディーゼル機関車3輌計5輌の補機とおちあう予定でしたが、おちあう事は出来ず、101列車は立往生、補機は脱線と云う最悪の状況になりました。
- 取り残された101列車の乗務員は雪の止んだ1月17日に列車から脱出し、乗客も救助されました。復旧には除雪車が足りませんのでオレゴン州クラマス・フォールズ(Klamath Falls, OR)にいた除雪車を急勾配を越えてネバダ州スパークス(Sparks, NV)迄回送して、雪の壁を突破させる事になりました。他にも列車が取り残されていますし、取り残された列車の床下には雪が入り除雪車では掘り出せません、スコップで掘り出す必要があります。こうなるとSPの人員だけでは到底手に負えず、州兵・陸軍の応援が必要となりました。現場に向かう為の機械力もSPだけで賄えず、電力・ガス会社の保守用雪上車を借り出す結果になりました。
- 取り残された101列車に除雪隊が辿り着いたのが、1月18日。残された101列車の前には脱線した除雪車と機関車が線路を塞いでいますので、復旧には除雪車の他に繰重車も必要でした。101列車が脱出出来たのが、1月19日14時30分の事でした。
再び、雪の為、1月22日に線路と国道が閉鎖されました。列車運行が通常に戻ったのが1月27日の事でした。
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- 二日目 終
解説へ
- This page last updated on Jan 24, 2004
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