Nobuo Hoshino's America Rail Trevelog
 アムトラック西行カリフォルニア・ゼファー号乗車記
 「微風」にのってロッキー越え
  一日目 デンバー−サクラメント その1
 
  駅に急ぐ
 1999年6月25日金曜日午前8時過ぎ、宿泊先のコロラド州の州都デンバー(Denver, CO)に在るハイアット・リージェンシー・デンバー(Hyatt Reagency Denver)をチェックアウトして、タクシーに体と荷物を預ける。タクシーはものの10分程で、今回乗車する西行カリフォルニア・ゼファー(CZ California Zephyr)号が出発するデンバー・ユニオン駅(EN Denver Union Station)に到着する。既に列車は到着して居り、否応なく「列車に乗り遅れる訳にはいかない」という気持ちがこみ上げてくる。タクシーを降りて運転手に荷物を卸させるのであるが、此処で忘れ物をしてしまうと大変な事になってしまうので忘れ物の確認は重要である。忘れ物も無く無事にタクシーを降りてカート置き場を観ると、カートが一台も無いのである。仕方なく荷物の入ったトランクを三個担いで、駅のコンコースに向かう事になる。駅に着いて真っ先にしなければならない事は、予約済のボーディング・パスを発券して貰う事である。アムトラックではボーディング・パスの提示の無い場合乗車不可の為(無人駅で乗車する場合は予約番号の提示)、発車時間が押し迫っていても、発券窓口に並ぶ事になる。駅のコンコースにに入り発券窓口を探すと、直ぐに見つかり発券待ちの行列の最後尾に並ぶ事になる。行列と云っても私を含めて二人である。並んでいる間にコンコースの内部を見廻す私の目に入る光景は「世界の車窓から」のビデオやCD-ROMで見た光景と全く同じで、あたかも時の流れが止まった様である。鴨居にはデンバーに乗り入れていた多くの鉄道(D&RGW リオ・グランデUP ユニオン・パシフィックAT&SF サンタ・フェCB&Q,C&S バーリントン・ルート、CRI&P ロックアイランドMOPAC モーパック)のヘラルドが描かれ、鉄道黄金時代を偲ばせます。
 
  出てこないボーディング・パスに焦りがつのる
 一通りコンコースの内部を見廻しても、前に並んでいる人の発券が終わらず焦る気持ちは募るばかりである。漸く私の順番になり、アムトラックの予約サイトから提示された予約番号のハードコピーとパスポートを提示しました。直ぐにボーディング・パスが発券され、時間を置くことなく受け取ったものの、この時点で発車時刻は過ぎていました。再び荷物を担ぎ、忘れ物の無い事を確認してからボーディング・パスを掴んでホームに向かいます。地下通路を通り、階段を駆け上がってホームに出ると、列車は未だ停まったままでした。ボーディング・パスに示された053*という号車番号の車輛を探します。この時点で、私は列車乗務員の視界に入っていますのでもう列車に乗り遅れる事は有りません。しかし、ホームに出た階段の横に停まっていたのは座席車の為、私の乗る寝台車に辿り着く為には更に100m以上荷物を担ぐ事になりました。私の乗る車輛の出入口の前には未だ黄色の踏み台が置かれたままでした。出入口横の号車表示窓を見て改めて私の乗る車輛を確認しました。車輛に乗り込み、出入口横の荷物置場に荷物を置いた後、ホーム上を確認して忘れ物の無い事を確認します。カメラを入れたトランクにフィルムと貴重品入れを持って二階に漸く上がる事ができます。いつ乗車しても体の大きい私にとってアムトラック・スーパーライナー客車の階段の昇り降りは大変な仕事になってしまいます。指定されたスタンダード・ベッドルーム個室寝台の上段の寝台を引き出して荷物置き場の代わりにします。一階の出入口においてきた荷物を個室寝台に運び上げます。使わない荷物は上段の寝台に置きます。この荷物の上げ下ろしがアムトラック乗車で最も大変な仕事です。
 通路を挟んだ向かいの個室寝台の客は日本から来た若い女性で一人旅の様です。向かいの客の手には地球の歩き方-米国鉄道バスの旅が有りました。私は二言三言話し、「此処からがカリフォルニア・ゼファーの最大の見所です。」と向かいの客に告げておきました。
 
  列車の発車
 乗車が終わっても列車は停まったままで、20分位経ってから漸く動きだしました。列車は操車場の脇を抜け、BNSF線との交差点や接続分岐点を4回通過してデンバーの市街地から離れました。直ぐにカメラを準備してラウンジ車に向かいます。忘れずに受信機、オルタモント・プレス(Altamont Press)の時刻表(Rocky Mountain Region Timetable)と予備のフィルムを持ってゆきます。此は列車がフォルニア・ゼファー号の最大の見所に入ってる為です。ゼファーに乗るならデンバーから西がメインでイリノイ州シカゴ(HI Chicago, IL)〜デンバーは付録に過ぎないと云う話も有る位である。デンバー〜コロラド州グランド・ジャンクション(JT Grand Junction, CO)間のロッキー山脈とネバダ州スパークス(PX Sparks, NV)〜カリフォルニア州ローズビル(SV Roseville, CA)間のシェラネバダ山脈が大きな山越えでその間には狭い緑の渓谷と広大な灼熱の砂漠を越える景観ルートである。
 
  景勝ルート 第一幕
 ロッキー越えの見所は数幕に分かれています。第一幕がデンバー〜モファット・トンネル東口迄の50マイル余りの距離に二つのヘアピン・カーブと30箇所の串刺しトンネルである。列車が通過しているのはUPサザン・パシフィック・ボンド・サブデビジョン(Union Pacific Railroad Southern Pacific Bond Subdivision)ボンド線(Bond Line)である。この線路は元々、デンバーからの西行線路の勾配の緩和と距離の短縮を企ったデンバーの大立者デビッド・モファット(Divid Moffat)が設立したデンバー&ソルトレーク鉄道(D&SL Denver & Saltlake Railroad)の路線であった。
 この線路が開通して間もなく、コロラド州西部に一大鉄道帝国を築いていたデンバー&リオ・グランデ・ウェスタン鉄道(D&RGW Denver & Rio Grande Western Railroad)はD&SLと協定を結び、新たに敷いた連絡線を使ってこの線路に乗り入れる様になりました。D&RGWはあたかもこの線路を自社線として運行するようになりました。D&RGWとD&SLとの力の差はいかんともし難いものが有りました。1948年、庇を貸して母屋を取られた形のD&SLはこの線路を自社線にしたかったD&RGWに買収されてしまいました。
 1991年、D&RGWはユタ州オグデン(Ogden, UT)とソルトレーク・シティ(Saltlake City, UT)で接続していたサザン・パシフィック鉄道(SP Southern Pacific Transpotation)を買収してサザン・パシフィック鉄道(SP Southern Pacific Transpotation)となりました。それも束の間で1996年にはオグデンとソルトレーク・シティで接続するSPのライバル会社であるユニオン・パシフィック鉄道(UP Union Pacific Railroad)に買収されてしまいました。これで米国は五大巨大鉄道(UP BNSF CSX NS CR)の時代になりました。この結果、ロッキー越えの線路の大半(シャーマン・ヒル、テネシー・パス、モファット・トンネル)をUPが所有する事になりました。
 ラウンジ車の車窓からは線路と平行する道路は消えています。列車は喘ぎながら左右にカーブしながら勾配を一歩一歩登って往きます。すると車窓には今まで通過してきた線路がみえています。その線路を前部の機関車だけで6輌以上連結されている長大貨物列車が後を追うように登って来きます。
 
  二つのヘアピン・カーブ
 デンバーから18.0マイル地点のロッキー(Rocky, CO)の分岐点を過ぎて遅い列車の足取りが更に遅くなると一つ目のヘアピンカーブであるスモール・テン・カーブ(Small Ten Curve)に差しかかります。列車の向きは西むきからから北向き、モール・テン・カーブを通過し終わると南向きになります。列車の向きはもう一回90度曲がって東向きになっています。東向きになって直ぐに二つ目のヘアピン・カーブであるビッグ・テン・カーブに差しかかります。列車の進行方向はビッグ・テン・カーブで180度曲がって西向きに戻ります。ビッグ・テン・カーブには側線が設けられその線路上には風避けのホッパ車が留められています。ホッパ車には転倒防止の石が積まれ、そのホッパ車も石で埋められていて壁となっています。ホッパ車の風上には風避けとして防風林が設置されています。特にアムトラック・スーパー・ライナー客車は軽量で車高が高い(従来の客車とほぼ同じ重さで二階建)ので此処特有のチヌック風に煽られるとひとたまりもなく脱線転覆となってしまいます。列車はビッグ・テン・カーブを通過して直ぐにモファット・トンネル東口迄の30箇所の串刺しトンネル越えに掛かります。
 
  30箇所の串刺しトンネル
 デンバーから23.1マイル地点の1号トンネルから40.5マイル地点迄の30号トンネル迄長さは様々で長いのが17号トンネルの1730フィート(527.3m)短いのが29号トンネルの78フィート(27.1m)になります。景色も良く見応えが有りますが、急カーブが少なく、トンネルと次のトンネル間の距離が有りません。この為、間が取りづらくラウンジ車から先頭の機関車を撮るのは大変です。このせいか、此処の区間を撮るのはラウンジ車からの外の風景か、並行する道路が無い為、ヘリコプターを借切って線路沿いに静止飛行の状態で待機して、列車が通過したら広角レンズ一枚の画面で捉える数カ所のトンネルを通過する風景になってしまいます。「世界の車窓から」はラウンジ車からの外の風景。「レールウェイ・ストーリー」は列車が通過する風景となっています。
 列車見所を通過している為、歓声が多くの乗客からあがります。歓声と比例してラウンジ車の車内は多くの乗客で混雑し、通路に立っているのがやっとです。私はその有様でも鬼のように一心不乱となって車窓の風景を撮っていました。
 
  トンネルに入って一段落
 列車がモファット・トンネルに入ると、歓声が止み、多くの乗客から緊張の途切れたため息が聞こえてきます。このトンネルを通過する間が景勝ルート第二幕への中入となり、多くの乗客が思い思いの休憩を摂ります。此のモファット・トンネルが大陸分水嶺(Continental Divide)になります。
 私も休憩がてら、ラウンジ車から、個室寝台へ戻りました。個室寝台へ戻って、声を掛けた向かいの個室寝台のほうを見やると、向かいの個室寝台の客は何と爆睡中でした。嗚呼、何と勿体ないことであろうかと思ってしまったのは私だけでしょうか
 個室寝台のソファに腰を落ちつけ、フィルムの交換と補充を行います。再度、オルタモント・プレスの時刻表に目を通し、撮影ポイントを確認します。確認点は列車の通過許容速度です。通過許容速度が低い処程急カーブか急勾配になります。更に、トレイン・デテクターと呼ばれる列車異常検知機の位置を確認します。
 トレイン・デテクター上を列車が通過すると通過地点と列車の進行方向、異常の有無と通過速度が合成音声で列車無線を通して機関士やディスパッチャー(運転指令員)に伝えられます。此の合成音声を監視することで列車の位置や通過速度が判りますので、列車の遅延も判ります。
 
  トンネルを出ると風景は一変
 列車がモファット・トンネルを抜けると、風景は一変し、列車は盆地の中を通過します。モファット・トンネル西口を出て約15分でコロラド州フレーザー−ウインター・パーク(IP Fraser-Winter Park, CO)に到着しました。此の駅の以前の名称はウインター・パークと呼ばれていましたが、駅の実際の所在地はフレーザーに在ります。此処はアムトラックになる前から冬季にはスキー列車がD&RGWの直営で運行されていたせいで駅が移ってもウインター・パークの名が馴染んでいるためです。実際にウインター・パークの名前が付いている地点はモファット・トンネル西口から僅か0.5マイルの地点です。
 
 
  小さな川が線路に寄り添う
 列車がフレーザー−ウインター・パーク駅を発車すると進行方向左側に小さな川が寄り添ってきます。この川が景勝ルート第二幕の主役となるコロラド川(Cororado River)の上流部です。此処からユタ州の境迄線路とコロラド川は付かず離れず並行してゆきます。川が近づくにつれて、風景が変わり深い渓谷と鬱蒼とした森林が車窓の大半を占めてゆきます。
 列車はコロラド州グランビー(RA Granby, CO)の手前の信号所で待避させていた西行石炭専用列車を追い越します。線路は大きく左に迂り列車も左に曲がると追い越した西行石炭専用列車を観ることができました。
 
  往く事が難しかった景勝ルート
 列車はコロラド州グランビー(RA Granby, CO)に到着しました。コロラド川は線路から離れています。UPの線路上にあるアムトラックの駅としては外観は綺麗な方の部類に入ります。
 此の景観ルートをアムトラック(NRPC National Railroad Passenger Corpration Amtrak)で行ける様になったのは1983年4月25日からのことです。それまではデンバーからユタ州オグデン(Ogden, UT)間にD&RGWの直営で運行されていたリオ・グランデ・ゼファー(RGZ Rio Grande Zephyr)号に乗るしか方法は有りませんでした。その列車名のリオ・グランデとはスペイン語で偉大なる川という意味で此のコロラド川を指しています。RGZは1971年5月2日から運行が開始されました。此の日はアムトラックの運行開始日でしたが、D&RGW、サザン鉄道(SOU Southern Railway System)、シカゴ・ロックアイランド&パシフィック鉄道(RI CRI&P Chicago Rock Island & Pacific Railroad)の三社がアムトラックに旅客列車の移管を行わず直営で旅客列車の運行を行っていた為です。RGZになる前はシカゴ・バーリントン&クインシー鉄道(CB&Q Chicago Burlington & Quincy Railroad)、D&RGWウェスタン・パシフィック鉄道(WP Western Pacific Railroad)との共同運行列車のカリフォルニア・ゼファー(CZ California Zephyr)号でした。CZは1949年3月29日から運行が開始されました。
 此のCZの車輌は全車新製でバッド(Budd Budd Car Manifacturing Co.)社製の全ステンレス製の軽量車体で構成されいています。冷暖房完備、座席車・寝台車ともプルマン(Pullman Pullman Co.)社が運営する一等車です。CZの目玉は一部二階建て構造としたドーム・カー(Dome Car)です。
 此のドーム・カーから観るロッキー越えの景色が此のCZの名物となりました。此のドーム・カーとCZの成功が他社へのドーム・カー導入の嚆矢となりました。製造したバッド社はドーム・カー以後の客車製造の主導権を握り、後発ながら座席車とドーム・カーについては大きなシェアを持ちました。
 
  景勝ルート 第二幕
 列車が待たせていた東行貨物列車と行き違ってグランビーを発車すると、コロラド川は線路に再び近づきます。ウインター・パークと違うのは、渓谷に生えている樹木が少なく、生えていても低い樹木ばかりです。此処から次の停車駅のコロラド州グレンウッド・スプリングス(SC Glenwood Springs, CO)迄110マイル、3時間20分の行程ですから平均時速33マイルという鈍足状態が続く事になります。
 西行列車の進行方向左側にはコロラド川が寄り添っています。この区間の線路はコロラド川に沿った形で敷かれています。険しい地形の為、線路を敷く事が出来る場所が限られ、川と渓谷の間の僅かな平地を山裾を切り開いて拡げて線路を敷き、等高線に沿って線路の勾配を緩和しています。西行列車の進行方向右側の殆どは切通し、又は崖しか観ることは出来ません
 この区間はカーブが多く、脱線事故はコロラド川への列車転落に直結するので運転許容速度の超過には注意が必要です。この区間の運転許容速度は最高79マイルから最低25マイルまで幅が広いのと短い距離で運転許容速度が変わるので列車の速度の緩急の加減の周期が短くなっています。此の事で機関士は速度の超過や緩急の加減時の衝撃に神経を使いながら運転する様子が後方の寝台車に乗っていても窺えます
 
  昼食を摂って休憩
 次の駅の到着まで時間が有るのと、写真撮影の疲れを癒すために昼食を摂るため食堂車に行きました。今回は席が空いていたため番号も貰う事もなく、ゆっくりと食事を摂ることが出来ました。今回の食事がCZで摂る初めての食事でしたが、サービスや食堂車乗務員の動きを見ていると乗車回数の多いサウスウェスト・チーフ(Southwest Chief)より幾らか落ちているという印象を持ちました。この時に何を頼んで食べたという記憶が無い為、書く事が出来ません。この列車内での食事の印象の弱さは列車を降りるまで続きました。食事は4回有りましたが、最後の昼食だけが印象に残るのみです。
 
  有名温泉保養地に到着
 食堂車から個室寝台に戻り、車窓を観るとコロラド川は車窓から消えています。進行方向右側の車窓を確認するとコロラド川を観ることが出来ました。再び個室寝台に戻り車窓を観ると進行方向左側に線路が見えてきます。この線路がコロラド州プエブロ(Pueblo, CO)からの線路で、モファット・トンネルが出来る前のD&RGWのロッキー越えの標準軌の本線で、ロイヤル・ゴージュ・ルート(Royal Gorge Route)と呼ばれました。アムトラック発足前の1964年12月6日には旅客列車は通らなくなりました。1996年にSPUPに吸収合併された後、このプエブロからの線路は他社に売却されました。買収した他社は線路を観光鉄道用に転用する計画ですが、未だに観光列車は走っていません。プエブロからの線路の勾配や高度は他のロッキー越え線路の中で最も厳しく最大勾配は35‰近くになり、大陸分水嶺(Continental Divide)となる途中のテネシー峠(Tennessee Pass)の最高地点は10,212フィートとなる大変な難所でした。
 再び、通路に出て進行方向右側の車窓を確認すると川が幾分広くなり、列車の速度も落ちています。列車は30分近くの遅れでコロラド州グレンウッド・スプリングス(SC Glenwood Springs, CO)に到着しました。駅の川と道路を挟んだ向かいには有名なザ・ホット・スプリングス&プール(The Hot Springs Lodge & Pool)を観ることが出来ます。駅には川と道路を跨いでプールに行くための歩道橋が設けられています。列車は此処で小休止をしたようで20分以上停車してから発車して行きました。
 
  川の風景は一変
 列車はコロラド州グレンウッド・スプリングスを発車すると、再びコロラド川に沿って進むとコロラド川を渡ります。再び、西行列車の進行方向左側にコロラド川が位置を取ることになりました。コロラド川の川幅は更に広くなりました。川に沿った渓谷には樹木が殆ど無く、有っても低い灌木ばかりです。渓谷の地肌には地層が見え、コロラド川の永い歴史を現わしています。
 
  待ちに待った長い休憩を漸く取る
 列車はコロラド州グレンウッド・スプリングスを発車して、二時間でコロラド州グランド・ジャンクション(JT Grand Junction, CO)に到着しました。此処でデンバー以来のサービス・ストップを行います。サービス・ストップを行う駅に到着する前に必ず車内放送が有ります車内放送で停車時間が伝えられますので車内放送をよく注意して聞く必要が有ります。サービス・ストップの間に機関車には燃料、客車には水と氷、食堂車には食材が補給されます。列車はからは多くのゴミがはき出されます。
 休憩を摂る乗客と乗務員が列車から降りています。電話は車内に装備されていませんので、サービス・ストップの時しか掛けれらません。私も列車から降りて駅舎に行き水を買います。アイスキャンディー・アイスクリームと果物は列車の売店では販売されていませんのでサービス・ストップの間に駅に来る露店か駅の売店でしか買うことが出来ません。多くの乗客と乗務員が駅の売店でアイスキャンディーを買って喉を潤しています。この地域は見た目よりも空気が乾燥して紫外線が強いので、兎にも角にも水分補給が重要です。
 デンバーを出て8時間以上過ぎています。此処で機関士と車掌は交代です。アムトラックでは客室乗務員は始発駅から終着駅迄通し勤務です。米国の鉄道では機関士と車掌は労働協約に拠って一日10時間の持ち時間制の勤務となっています。此の特徴は列車に乗せるために拘束した機関士と車掌は拘束した時点から勤務時間となり、10時間経ったら、拘束が解除されるというものです。列車が遅れると機関士と車掌を列車に乗せる事の出来る正味の時間は減ります。それを見越して機関士と車掌の交代地点より更に先回りして拘束時間が切れる前に機関士と車掌を交代させる訳です。此に失敗すると、列車が荒野のまっただ中で立ち往生という事態になってしまいます。こうなると機関車と機関士と車掌を各貨物鉄道から借りて来て列車を機関士と車掌の交代する駅まで牽引して貰うか、立ち往生している列車の処まで機関士と車掌を送り届けるしか列車の運転を再開する方法は有りません。
 
  
  一日目 終
 
   二日目へ

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Text (C) Nobuo Hoshino
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