- Nobuo Hoshino's America Rail Trevelog
- ルート66と先住民の足跡を辿る
- アムトラック西行「サウス・ウェスト・チーフ」号乗車記
- 二日目 シカゴ−サン・バーナディノ その2
- 早い目覚め
- 1997年9月24日午前7時、西行サウス・ウェスト・チーフ号のスタンダード個室寝台で目覚めました。時計と時刻表を照合すると、列車はカンザス州ドッジ・シティ(Dodge-City, KS)の手前の様です。直ぐに着替えて朝食を摂るため食堂車に向かいます。
- 食堂車にて
- 例によって、朝食での食堂車の予約はしていませんが、空席が有りましたので相席となりました。今回の相席の相手は韓国人の父娘連れと米国人でした。韓国人の父娘連れのうち父親の方はは日本語が話せましたが、娘さんも日本語が話せるのには驚きました。父親は日本統治時代(1910〜1945)の日本語教育を受けているので日本語を使う事が特別ではないが、娘さんは戦後のかなり時代を経て日本語がタブー視されている時代に生まれているので、驚きました。
- またビデオカメラをセットする
- 朝食を終えて、個室寝台に戻ります。直ぐに折畳テーブルを引出してビデオカメラをセットします。車窓から見える風景は昨日と変わらず、玉蜀黍(トウモロコシ)畑が続いています。玉蜀黍の作柄が悪いのか、穀物市況が悪いのか立ち枯れの玉蜀黍が目立ちます。天候も曇り時々晴れの状態ですっきりとしません。
- 代表的な農業州のカンザス州
- 車窓からの風景を撮り始めると、サウス・ウェスト・チーフ号はカンザス州ガーデン・シティ(Garden City, KS)に到着しました。 カンザス州は典型的な農業州で牧畜と穀物生産が主な農業です。本来のチーフの通り道であった旧アチソン・トペーカ・サンタフェ鉄道(ATSF Atchison Topeka & Santa Fe Railway)は嘗て7000輌以上の家畜運搬貨車(Stock Car)を保有して家畜を生きたまま高速で大都会の市場へ運びました。その後20世紀になると都市の拡大で消費地での食肉工場での操業が困難になりました(都市で家畜から食肉にするのが環境及び衛生上問題になった)。このためカンザス・シティー(Kansas-City, KS/MO)、アイオワ州シォクス・シティー(Sioux-City, IA)、イリノイ州イースト・セントルイス(East-St.Louis,IL)、ミネソタ州セント・ポール−ミネアポリス(St.Paul-Minneapolis, MN)等に大規模な食肉工場が出来ました。中西部の食肉工場が家畜から食肉にしました。その後、専用の冷蔵貨車(Meat-Reffer)が食肉を消費地の包装工場に運ばれました。 穀物生産ではカンザス州の農村でのピクニックの一日を描いたウィリアム・インジ(William Inge)原作、ジョシュア・ローガン(Joshua Logan)監督、ウィリアム・ホールデン(William Holden)、キム・ノヴァク(Kim Novak)主演に依る1955年の映画ピクニック(Picnic)の中で穀物の出荷風景と巨大な穀物貯蔵サイロ(Grain-Elavator)の模様が描かれました。この映画の舞台になったのが夜中に停車したカンザス州ニュートン(Newton, KS)の西隣のハルステッド(Halstead, KS)です。州都のトペーカ(Topeka, KS)も夜中にニュートンの一つ前に停車します。
- 一時間遅れもぬか喜び
- 列車はカンザス州を離れて、コロラド州に入りました。コロラド州と云えばThe Centennial Stateと呼ばれMile High Stateの愛称を持ち、ロッキー山脈を抱き、平均高度が5000フィートにもなる高地ですが、東半分はなだらかな平原が続く穀倉地帯です。風景も全く変化が無く単線の線路の両側には玉蜀黍畑が続いています。そのうちに列車はコロラド州最初の駅ラマー(Lamar, CO)に到着しました。時計を見たら9時20分の到着で一時間遅れだったのでこの調子であればカリフォルニアのカホン峠(Cajon-Pass)を通過するときには列車が大幅に遅れて都合が良いと思ったら此処から時刻帯がセントラル(Central Time Zone)からマウンテン(Mountain Time Zone)に変わり時計の時刻を一時間遅らせる事になり、実際の到着は8時20分になります。私にとっては全く有り難くない定時運行です。
- ラ・ハンタでは小休止
- 列車はATSFの中間拠点駅、コロラド州ラ・ハンタ(La Junta, CO)に到着しました。蒸気機関車の時代にはシカゴと西海岸から列車を牽いてきた機関車は此処で付け替えられていました。此処でそれぞれの機関車は折り返して出発地に戻って行きました。駅の前には広大な操車場が広がっています。この駅は此処は大平原と急峻な峠との接点で、各鉄道の重要拠点であるコロラド州デンバー(Denver, CO)への線路が分岐しています。コロラド州とニューメキシコ州との境にはラートン峠(Raton-Pass)の急勾配が控えています。このため機関車には充分な給油を行っています。乗客も大部分が車外に出て小休止をしています。この駅は鉄筋コンクリート製の近代的な建物です。近代的な駅舎は此処だけでした。前の駅舎は後述するハーヴィ・ハウスと共用の建物でした。 この駅はスペイン語のJの文字で始まっているために様々な読み方を持ち、ラ・ユンタという読み方をする場合も有ります。
- コロラド州最後の駅トリニダッド
- 列車は快調にラートン峠(Raton-Pass)の北麓の駅のトリニダッド(Trinidad, CO)に到着しました。蒸気機関車や初期のディーゼル機関車の時代にはこの駅から次の停車駅のニューメキシコ州ラートン(Raton, NM)迄のサングレ・デ・クリスト山脈(Sangrede Cristo Mountains)を越えるラートン峠越えの為に機関車を増結していました。ATSFの四大峠(ラートン、グロリエッタ、カホン、タハチャピ)越え区間のうち最も厳しいのがこの区間です。西(南)行の最緩勾配は20/1000、最急勾配は35/1000。東(北)行の最緩勾配は33.2/1000、最急勾配が36/1000というもので全米屈指の急勾配です。此処にも駅舎共用のハーヴィ・ハウスのザ・カルディナス(The Cardenas)が営業していました。
- 列車は難所ラートン峠に挑む
- 列車は此処からラートン峠の難所に掛かり、否応なく俊足から鈍足への切り替えを要求されます。此処から制限最高速度30マイルの急坂の上り下りです。線路はラートン駅から複線になります。列車は右側の線路を左右にカーブを切りながら制限速度ぎりぎりの30マイルで坂を登ります。列車がカーブを切る度に列車編成後部に有る寝台車の私が居る個室寝台からは列車の先頭の機関車をはっきりと観ることが出来ます。車内に置かれているルートガイドには書かれていませんが、ファンやマニアには堪えられない撮影ポイントです。列車は機関車3輌、締切郵便車6輌、手荷物車1輌、乗務員用寝台車1輌、座席車3輌、ラウンジ車1輌、食堂車1輌、寝台車3輌で計19輌です。編成輌数も長く1輌当りの車輌の重量も60〜70トンと大きい為、客車だけの列車重量が1200トンを越えてしまいます。ジェネラル・エレクトリック(GE General Electric)社輸送システム部門(GETS General Electric Transportation Systems)製の一輌4000馬力のAMD-103P40DC形式(ジェネシス Genesis)三重連を以てしてもこの坂はきつく制限速度を維持するのが精一杯です。列車が坂の頂上に近づくにつれて速度が落ちてきました。線路が再び単線になると、列車は直ぐにコロラド州とニューメキシコ州との境界線を通過します。列車がニューメキシコ州に入ると直ぐにトンネルに入ります。このトンネルがラートン・トンネル(RatonTunnel)でラートン峠の最高点になります。列車はラートン・トンネルから抜けるとラートン迄の下り坂を慎重に制限速度を越えない様に降りて行きます。鉄道は鉄のレールの上で鉄の車輪で走る為、車輌が動く為の抵抗が自動車に比べて少なくなっています。列車が坂を登る場合はレール上に砂を撒いて機関車の動輪をスリップさせない様にしながら機関車のモーターを駆動すれば坂を登れる訳です。坂を降りる場合は転がりやすい為そういう訳にもいかず、機関車のモーターを発電機にして発電時の回転抵抗で制動力を発生させて(発電ブレーキ)対応します。発電ブレーキを使用する場合、機関車の動輪のスリップは大事故に直結します。このため発電ブレーキ使用時もレール上に砂を撒いて機関車の動輪をスリップさせない様にし、更にモーターが発生させる電圧を監視しながら坂を降ります。列車は登る時より更に速度を落として進んでいます。列車の運行で最も神経を使う事が、坂を降りる時に列車の速度を抑える事です。日本で最も厳しい勾配(66.7/1000)であった信越本線の碓氷峠(横川−軽井沢)では全ての列車に勾配専用機関車(EF63形式)を増結して運行していました。
- ラートン到着
- 列車はニューメキシコ州最初の駅のラートン(Raton, NM)に到着しました。難所のラートン峠の登り降りを終えた安堵感からか列車も休憩時間を取っているようです。此処でコロラド州デンバー発の連絡バスの乗客を乗せます。しかし、この駅は駅員無配置駅なので、乗車券は連絡バスの始発駅であるデンバー・ユニオン駅で購入する必要があります。
- 食堂車へ
- ラートンを発車して暫くしてから、食堂車に向かいました。この列車の食堂サービスは旧ATSFのスーパー・チーフ(Super-Chief 大酋長)号の名前と伝統を受け継いでいるせいかストレスを感じずに食事が出来ました。今回の食事は殆ど記憶に無く何を食べたのかも解りません。おそらく今日のスープ、チーズ抜きのハンバーガー、冷たいお茶そしてアイスクリームを食べたのではないかと思います。例に拠って持って行く物はボールペン、置いていくものはアテンダントへのチップです。このサウス・ウェスト・チーフ号が運行されているのは旧ATSFの路線ですが、このATSFが大陸横断鉄道で最も品格の高いサービスを提供していました。 食堂車のサービスは鉄道の直営ではなく、英国から渡って来た一人の男が創業した会社に任されていました。その男の名前はフレデリック・ヘンリー・ハーヴィー(Frederick Henry Harvey)です。1850年、若干15歳で米国に渡り、1880年にはATSFとの提携でトペーカの駅構内に最初のチェーンレストランを開店しました。この第一号レストランは列車の乗客ばかりではなく列車乗務員や地元の人々に大変な評判になりました。清潔なナプキンやテーブルクロスを使い、磨いた銀器でおいしい食事を出す店が有ると云う噂がカンザス州の東部一帯に拡がりました。二番目のレストラン兼ホテルも成功を収めました。この成功でATSFはハーヴィーをただものではない事を確信し、1950年代迄続く提携が始まりました。ハーヴィーのレストラン・ホテルチェーンはATSFの西部進出と同期して拡張してゆきました。このフレッド・ハーヴィーと彼のフレッド・ハーヴィー社(Fred Harvey Co.)は1880年代の食堂車戦争、そして1900年代初頭の国立公園開発競争の主役になります。最盛期のフレッド・ハーヴィー社は、60箇所の宿泊・飲食施設、6000人以上の従業員を擁しました。営業地域も南はメキシコ湾、東はオハイオ、西は太平洋岸迄拡大しました。各地のハーヴィー・ハウスではハーヴィー・ガールズ(Harvey Girls)と呼ばれたウェイトレスが大活躍しました。ハーヴィー・ガールズの物語は様々な形で歴史に残りました。
- ラス・ベガス到着
- 食堂車から戻って暫くの後、列車はニューメキシコ州ラス・ベガス(Las Vegas, NM)に到着しました。この駅のスペルはネバダ州のラス・ベガス(Las Vegas, NV)と同一の為、列車の予約には注意が必要です。
- このラス・ベガスにもハーヴィー・ハウス(Harvey House)と呼ばれるフレッド・ハーヴィー社のチェーンホテル兼レストランが二軒有りました。高級温泉リゾートホテルのモンテズマ(The Montezuma)と、ATSFの駅と一体のザ・カステネーダ(The Casteneda)です。現在は両方とも閉鎖になっていますが、ザ・カステネーダは残って居り当時の面影をかすかに留めています。此処では自警団の勇気を触発し、自警団と協力して鼻つまみ者のビリー・ザ・キッドの一味と渡り合って一味を街から追い出しました。このハーヴィー・ガールズの物語が下敷きとなり、この列車の終点とさほど遠くないフレッド・ハーヴィー社のレストランが在った街で米国映画を代表するミュージカル映画の一本として米国を代表する映画会社で太平洋の遙か彼方の島国との戦争の最中に創られました。此の映画の主演女優のジュディ・ガーランド(Judy Garland)は映画の歴史ばかりではなく鉄道の歴史と此の列車ガイドに名を残す事になりました。
- 「米国の母なる道」と並行する
- ニューメキシコ州ラス・ベガスから米国の母なる道、米国のメイン・ストリートの別名を持つ旧連邦国道66号線つまりルート66(Route 66)が私の目的地であるカリフォルニア州サン・バーナディノ(San Bernardino, CA)迄の約900マイルの間ATSFの本線とつかず離れずに並行します。しかしこのラス・ベガスとニューメキシコ州サンタ・フェ(Santa Fe, NM)にルート66が通っていたのは1937年迄でした。
- サンタ・フェと云えば人気絶頂時の宮沢りえがこの町で写真集Santa Feの撮影を行いました。写真集は大変な売れ行きを見せ、一部の人々の間の専門用語であったSanta Feは普通の人々の言葉になりました。それまでSanta Feという言葉を使っていた人たちは人前で軽々しくSanta Feと云う言葉を発する事が出来なくなりました。
- ルート66で思い出すのは、ボビー・トルゥープ(Bobby Troup)作詞・作曲のナット・キング・コール(Nat King Cole)、ナタリー・コール(Natalie Cole)父娘の十八番であったルート66(Get Your Kicks On Route 66)の歌詞です。この歌詞の中にこれから停車して行く町の名前が織り込まれています。
- サウス・ウェスト・チーフ号とルート66の結びつきは深く、この列車を紹介したガイドブックには必ずルート66が登場します。
- ラミー到着
- 列車はルート66と少し離れてニューメキシコ州ラミー(Lamy, NM)に到着しました。此処でサンタ・フェに向かう乗客を降ろし、サンタ・フェからの乗客を乗せます。
- サンタ・フェ−ラミー間のシャトルバスは東行サウス・ウェスト・チーフ号の到着(14:30)に合わせてサンタ・フェから旅行客を乗せて来ます。此処で西行サウス・ウェスト・チーフ号の到着(15:26)迄1時間以上待ってサンタ・フェへの旅行客を乗せてラミーを出発します。しかし、これは時刻表通りに列車が運行された場合の話で、時刻表通りには絶対に走れないアムトラックの事です。シャトルバスがサンタ・フェで待機状態になったり、東行と西行の到着時間が逆になったり、西行の大幅遅れでラミーで待機状態になる場合が有ります。このせいかシャトルバスには時刻表が有りません。
- 此処でもフレッド・ハーヴィー社はエル・オーティズ(El Ortiz)の名を持つ先住民の文化を建物のデザインに取り入れたハーヴィー・ハウスを運営していました。
- 無くなっていたアルバカーキ駅
- 列車は再びルート66と近付いてニューメキシコ州アルバカーキ(Albuquerque, NM)に到着しました。此処で最後の長時間停車を行います。ラートン&グロリエッタ峠越えの為に消費した燃料を補給します。食堂車には水や食材を補給します。長時間の旅行では避けられないゴミを捨てます。
- この地域の文化を取り入れたサンドペイント仕上げの優美な駅舎は火事の為に喪失して、別の建物で駅の業務が行われていました。ホームに建っている駅名標が焦げているのが火事のあった証拠です。ホームの前には空き地が拡がっていますが、そこに何が在ったのかはこの時点では判らず、21世紀も数年経った後に米国から取り寄せた本で判明した次第です。
- 地元の商人が移動販売車をホームに横付けしてお土産品や先住民の作る工芸品を販売します。アムトラックの乗務員も列車から降りて移動販売車で売っているアイスキャンディーを買って喉を潤しています。此処では絵はがき、切手、新聞、ルート66の本そしてルート66のピンバッジを買いました。
- 此処から次のギャラップ迄先住民のガイドが乗り込んでラウンジ車の車内で沿線風景や各民族についての解説を行います。ATSFの開通した当初からこの地域の先住民は自ら作った工芸品を列車の到着に合わせて各駅のホームに立って売り、日々の糧を得ていました。経済的な基盤の弱いこの地域の先住民にとって、駅での工芸品の販売は重要な産業でした。この名残がサンタ・フェの路上での工芸品の立ち売りになっています。
- 早い夕食
- 予約しておいた第一回目の夕食の時間になり、食堂車へ向かいました。 第一回目にしたのは、翌日の早朝に予定されているカホン峠越えを観るためです。これを観るためにこの列車に乗った訳です。僅か2時間の為に残りの38時間が有る格好です。 今回の相席は日本在留経験の有る米国人の老婦人とその友人でした。老婦人は日本在留時、神戸に居住していた為、阪神大震災のニュースを米国で聞いてかなりのショックを受けた事を私に話してくれました。 食事が出てくるまでの間に列車の走っている線路が複線になりました。車窓からの大地は色分けされた地層をはっきりと見せています。 今回はキャッチ・ザ・ディープ(Catch the Deep)と呼ばれる魚料理の鮭のニンニクバター掛けを頼みました。
- 列車はギャラップに到着
- 列車はニューメキシコ州ギャラップ(Gallup, NM)に到着しました。この駅がニューメキシコ州最後の駅になります。此処でアルバカーキから列車に乗り込んだ先住民のガイドは列車から降ります。此処の標高が6506フィートになります。日本最高点の野辺山駅より遙かに高く、且つ大陸横断の本線が通り、長大編成の貨物列車が走るのは、日本では考えられません。
- 前述の通り線路はアルバカーキの28マイル先のニューメキシコ州デリース(Dalies, NM)でテキサス州アマリロ(Amarillo, TX)経由の南廻りの第二本線と合流し複線になりました。米国では珍しい長距離の複線の本線はカリフォルニア州ロサンゼルス(Los Angeles, CA)のレドンド・ジャンクション・タワー信号所(Redondo Junction Tower)迄続いています。現在列車が走っている線路の名称はBNSFのアリゾナ・デヴィジョン(Arizona Division)のギャラップ・サブデヴィジョン(Gallup Subdivision)です。
- ギャラップもルート66の歌詞に登場しました。現在でも市街地にルート66が残り、多くの観光客がルート66を車で走ってこの町に入っています。
- この町にはハリウッド西部劇の全盛時代に於いて撮影現場に通う為にこの町に滞在した駅馬車(Stage Coach)のジョン・ウェイン(John Wayne)、後の米国大統領のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)などのスターたちの定宿として有名であったエル・ランチョ・ホテル&モーテル(El Rancho Hotel & Motel)が現在でも営業し、多くのルート66を旅する旅行者を受け入れています。しかし、このホテルは日本の大手旅行代理店では取り扱っていません。このため、自分で予約するか予約してくれる旅行代理店を探して依頼するしか方法は有りません。
- ハリウッド西部劇の全盛時代、スターたちの自宅の在る西海岸からこのエル・ランチョ・ホテルに行くために旧ATSFのスーパー・チーフ(Super Chief)号のプルマン一等寝台車(Pullman Sleeper)の客になり、食堂車でハーヴィー・ハウスと同一基準のフレッド・ハーヴィーの食事を摂ってこの町にやって来ました。イメージからするとティファニーの広告に有る結婚記念旅行の食堂車でのシーンです。
- アムトラックへの旅客列車の業務移管(1971年)迄乗客の世話をするポーターと云われる客室乗務員は黒人でした。これは南北戦争以前の南部の家内用奴隷の名残でした。このポーターと云う仕事は実質的には世襲制でした。現在の公民権法が成立する前の時代には世に出たい黒人にとってポーターと云う仕事は牧師に次ぐ足掛かりとなりました。寝台車の運営は鉄道の直営ではなくプルマン寝台車会社(Pullman Co.)が車輌とポーターを各鉄道に派遣していました。創業期のプルマン寝台車会社は寝台車の客室乗務員として熟練度の高い家内用奴隷の出身者を雇用しました。この伝統が長く続きポーターはノース・カロライナ、サウス・カロライナ、ジョージア各州の出身者で占められました。
- ATSFのスーパー・チーフ号は旧サザン・パシフィック鉄道(SP Southern Pacific Transpotation)のサンセット・リミテッド(Sunset Limited)号と並ぶ西海岸の大陸横断の名士列車でした。スーパー・チーフ号とサンセット・リミテッド号は列車設備の豪華さ、サービスの質や品格ばかりではなく、乗客でも張り合いました。名士の多さを競うばかりではなく名士の格の面でも張り合いました。 スーパー・チーフ号が名士列車たり得たのも、フレッド・ハーヴィー仕込みの品格の高いサービスがスーパー・チーフ号に於いて存在し、かつスーパー・チーフ号の車内で乗客に提供されていた為です。 フレッド・ハーヴィーに依るハーヴィー・ハウスのチェーン展開が不毛と無法の西部に文化を根付かせました。そして本物を持ち込めば、未開の地でさえも一流リゾート地になることを証明しました。此処にもハーヴィ・ハウスのエル・ナヴァホ(El Navajo)が営業していました。
- 列車はルート66を辿る
- 列車はギャラップを出て、ルート66に沿って西に向かいます。22マイル西方にアリゾナ州との州境が有ります。このアリゾナ州ではBNSFの線路は先住民の居留地(Indian-Reservasion)を通過しています。更にこの一帯の地名は先住民や先住民の言葉に因んだもので、アリゾナ州のBNSFアリゾナ・デヴィジョンはアパッチ郡(Apache County)、ナヴァホ郡(Navajo County)、ココニーノ郡(Coconino County)、ヤバパイ郡(Yavapai County)、モハブ郡(Mohave County)の順に線路が通っています。 この一帯は標高5000フィートの高原地帯で寒暖の差が大きい為、注意が必要です。 列車はナヴァホ(Navajo, AZ)を通過しました。しかしナヴァホには何も有りません。ようやく30マイル先のホルブルック(Holbrook, AZ)に列車が接近すると線路脇に先住民の移動式住居を象った円錐形の特徴有る建物が見えてきました。これがウィグアム・モーテル(Wigwam Motel)で、モーテルの裏側が駅になっています。駅といってもHOLBROOKの立看板と他社線への線路を分岐させるための待避線のみです。 列車は更に10マイル先のジョセフ・シティー(Joseph City, AZ)を通過しました。此処にはジャック・ラビット(Jack Rabbit)と呼ばれた角有りうさぎの黄色の看板が目印のジャック・ラビット・トレーディング・ポスト(Jack Rabbit Trading Post)が営業中です。現在でもルート66の名所としてトレーディング・ポストは営業を続けています。この黄色の看板も嘗てはルート66の道路脇に立てられ、並行している線路を走る列車内からも観る事が出来ました。
- シャワーを浴びる
- シャワーは夕食の後に浴びましたが、熱い湯がなかなか出ず閉口させられました。これは火傷防止の為、設定温度が低く押さえられています。 アムトラックスーパー・ライナー客車は照明、冷暖房、動力及び全ての熱源を機関車の主発電機からの電力の供給でまかなっています。電力で熱を発生させるのは効率が良くありません。大量に湯を使うと直ぐに湯温が下がってしまいます。 スーパー・ライナー客車の就役前の暖房は、蒸気機関車を使っていた時代の名残で、機関車から蒸気を供給して行っていました。蒸気での暖房は列車編成の前部と後部で暖房の効き具合に差が出るので、乗務員がこまめに各車輌を廻ります。各車輌に有る弁を廻して暖房装置に入る蒸気を加減して暖房の効き具合を調節します。冬期は蒸気が湯に戻りやすく、冷えやすいので各車輌の蒸気供給用の貫通管の中で蒸気が水に戻ってしまいます。それがしばしば凍結して暖房故障になるので、蒸気を供給する機関車の乗務員も暖房用蒸気の出力弁をこまめに調節して暖房故障が起きないようにする必要が有りました。
- 列車はウィンスローへ
- 列車はジョセフ・シティーから30マイル西のウィンスロー(Winslow, AZ)に到着しました。駅には操車場が在り、日本では聞かれなくなった貨車の入換時の連結器の衝撃音が車内に入ってきます。 この町はロックグループのイーグルス(Eagles)のファーストLPイーグルス(Eagles)の一曲目のテーク・イット・イージー(Take it Easy)に歌われました。 此処でもフレッド・ハーヴィ社はラ・ポサダ(La Posada)の名を持つハーヴィー・ハウスを運営していました。 線路の名称はウィンスロー駅の東側のイースト・ウィンスロー(East Winslow, AZ)からBNSFアリゾナ・デヴィジョン(Arizona Division)のセリグマン・サブデヴィジョン(Seligman Subdivision)に変わりました。此処の標高が4800フィートで一旦降る訳ですが、次のフラッグスタッフ(Flagstaff, AZ)で6894フィートになります。
- 早い就寝
- 列車がウィンスローを発車して直ぐに就寝の為、寝台を自分でセットして就寝の準備です。これも翌日の早朝に予定されているカホン峠越えを観るためです。サン・バーナディノ到着は翌朝05:46という早い時間でその前に身支度や食事を済ませるには朝04:30に起きる必要が有ります。
- 二日目 終
三日目へ
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