Nobuo Hoshino's America Rail Trevelog
 鉄道で行く国立公園
アムトラック東行「エンパイア・ビルダー」号乗車記
  列車を観る為の「究極」のホテルを訪ねる
  二日目 シアトル−エセックスその2
  早い目覚め
 1997年9月21日午前6時アムトラック東行エンパイア・ビルダー(Empire Bulider)号のスタンダード・ベッドルーム(Superliner Standard Bedroom)で目覚めました。時間と時刻表を確認したところまだモンタナ州ホワイトフィッシュ(FH Whitefish, MT)の西です。現在、列車が走っているのがホワイトフィッシュ迄のバーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道(BNSF Burlington Northern Santa Fe Railway)本線のモンタナ・デビジョン(Montana Division)クーテナイ・リバー・サブデビジョン(Kootenai River Subdivision)です。
 予め日本で天気情報のサイトで天気と予想気温を確認したお陰で本日は快晴です。まだ夜が明けたばかりで、車窓から見える景色には朝靄が掛かっています。その中で朝靄の掛かった風景には自然の威厳を感じました。 早速着替えて食堂車に向かう準備をします。同時に折畳テーブルを拡げてビデオカメラをセットして車窓の撮影をします。
 朝早く起きた理由は、乗車しているエンパイア・ビルダー号が最大の見所に差し掛かっている為です。 通の間での北米で最も美しいロッキー山脈越えエンパイア・ビルダー号の車窓から見えるのである。カナダVIAのロッキー山脈越え(バンクーバー〜ジャスパー間)やカリフォルニア・ゼファー(California Zypher)号の走るリオ・グランデ鉄道(D&RGW Denver & Rio Grande Western Railroad)のロッキー山脈越え(デンバー〜ソルトレーク・シティー間)は大変な評判をとっています。 しかしこのエンパイア・ビルダー号のロッキー山脈越えはスケールの大きさではカナダを凌ぎ、風景の美しさではリオ・グランデを凌いでいます。この北米で最も美しいロッキー山脈越えを観る為にはエンパイア・ビルダー号の客になるしか方法が有りません。エンパイア・ビルダー号は全体で約44時間の行程が有る訳ですが、北米で最も美しいロッキー山脈を越える行程はわずか4時間しか有りません。
 
  この列車に乗る理由
 この列車に乗る事を決めた理由は「米国鉄道三万マイル」(テリー・ピンデル著、角川書店刊行、宮脇俊三・小林理子訳)の第十六章「北西航路」の一節時の流れを超越し自然と人間が共生する最後のひとこまとなる土地にひかれた事と、この章に登場して作者が泊まったモンタナ州エセックス(Essex, MT)のリゾート・ホテルであるアイザック・ウォルトン・イン(Izaak Walton Inn)の成り立ちに興味を持ったからです。
 当然私にとってホテルから列車見物が出来る事、日本人が押し寄せて来ない事(日本人のファンの一部にはモラルを守れない者が居り、他人の撮影や列車見物を邪魔したり、地元の人たちと問題を起こして顰蹙(ひんしゅく)をかう。)が検討の対象になったのは言うまでもありません。
 日本人が押し寄せてこないという事はいい換えると日本人は行かないのである。日本人の行かない場所にはパックツアーが無いので、自動的に手配旅行(FIT)になります。
 更にこの町は日本で編集発行されているガイドブックには記載されていないので、大手の旅行代理店と云われる処ではこの町やこのホテルの存在すら知られていない。この為モンタナ州観光局の公式旅行案内サイトでアイザック・ウォルトン・インの住所と電話番号を調べて私が懇意にしている手配旅行を専門に扱う旅行代理店に電話をして一切の手配をして貰いました。
 モンタナ州は観光産業を基幹産業と位置づけて力を入れています。この公式旅行案内サイトもその一環です。
 
  食堂車にて
 列車がホワイトフィッシュに到着する約20分前に食堂車へ行って朝食を摂りました。今回も相席でした。 東行エンパイア・ビルダー号が最大の見所に差し掛かっている為、良い景色を観ながら朝食を摂ろうとする人たちでほぼ満席でしたが空いている席が有ったので、朝食を摂る事が出来ました。今回はトースト、コーヒー、オレンジジュース、ハッシュドポテトとソーセージを注文しました。(私がくどいものが食べられないので、米国で食べられるものは少なく、朝食がおいしく感じられました。)今回も必要なのはボールペンとチップだけでした。写真を撮るためにカメラを持って行きましたが、隣りに座った東部から来た乗客に「エセックスに列車見物と撮影に行く」と言ったらカメラの見せ合いになり「これは中古のカメラだ」といったら相手が驚いていた。
 
  朝靄と紅葉のホワイトフィッシュ
 食堂車での朝食の間に列車はモンタナ州ホワイトフィッシュ(FH Whitefish, MT)に到着しました。まだ朝靄が残り、町には落葉樹が多く植えられています。木々の葉も既に色付き、短い秋の終わりと長い冬の到来を告げています。
 ホワイトフィッシュの駅は操車場と隣接していて、北西海岸の森林地帯を示す木材チップ専用無蓋車や木材運搬車や輸出穀物を輸送するための穀物ホッパ車が集まっています。木材チップ専用無蓋車は1970年以前の旧ノーザン・パシフィック鉄道(NP Northern Pacific Railway)無蓋車グレート・ノーザン鉄道(GN Great Northern Railway)無蓋車を見かけました。又、日本では全滅し、米国でも珍しくなったカブース(Caboose)と呼ばれる貨物列車の最後部に連結する乗務員車が集まっています。
 列車が到着した時は、シアトル港から船積みされるアジア方面のコンテナを満載した米国特有のダブルスタックトレイン(コンテナ二段積み列車 DST Double Stack Train)が列車待ちをしていました。積まれているコンテナは韓国の韓進海運(Hanjin)、現代海運(Hyundai)、日本の日本郵船(NYK)を多く見かけました。
 このダブルスタックトレインが米国のみならず世界中の物流に革命を起こしました。ダブルスタックトレインの登場で米国向け貨物の時間短縮が図られ、コンテナ船の運用効率が向上しました。その結果、貨物のコンテナ化が進みました。大部分の貨物がコンテナに移行した結果、ドアからドアへの海陸複合一貫輸送が全世界的な規模で行われる様になりました。これに拠って世界的な規模でカンバン方式が可能になり、円高が進むと同時に日本企業の生産拠点が海外に移転しました。 生産拠点の海外への移転の盛んな頃、米国ではダブルスタックトレインの輸送体制の強化が行われた時期でした。米国向け貨物輸送の所要時間を短縮するためにはダブルスタックトレインの輸送体制の強化(専用貨車の借り入れ、列車利用権や列車運航権の買取、専用ターミナルの設置)が必要でした。日本の商船会社も巨費を投じてダブルスタックトレインの輸送体制を整えました。 アジアから米国向けのコンテナは大部分が西海岸でコンテナ船から卸されます。コンテナはダブルスタックトレインに積み替えられて大陸横断をして中西部や東海岸に着く訳です。
 列車が停車している間にダブルスタックトレインが発車して行きました。貨物列車ですから編成長は長く通過し終わるまで10分以上掛かりました。
 
  終わりの近づいたウェスト・グレーシャー駅
 食堂車で朝食を摂っている間にエンパイア・ビルダー号は20分以上停車してホワイトフィッシュを発車しました。実際の到着時間と時刻表を確認すると3分〜5分の早着です。 次の停車駅のウェスト・グレーシャー(GL West Glacier, MT)迄23マイルを31分で走ります。発車してから15分後に食事が終わったので直ぐに寝台に戻ります。朝8時にもかかわらず列車は朝の日差しを浴びてキラキラと光り、車内にも日差しが入り明るさを増しています。
 列車が通過しているのは、BNSF本線のモンタナ・デビジョン(Montana Division)ハイ−ライン・サブデビジョン(Hi-Line Subdivision)です。この本線は二番目に低い大陸分水嶺を通過し、大陸分水嶺の峠越えはマリアス峠(Maria's Pass)のみです。 1970年、合併によってBNSFの前身のバーリントン・ノーザン鉄道(BN Burlington Northern RailRoad)が発足した時には二本の大陸横断の本線が在りましたが、旧NPの本線だった南側の線路は峠越えが多く、効率が上がらないので、他社に売却されました。旧NPの本線にはイエローストーン国立公園(Yellow-stone National Park)に行く列車が運行されていました。
 低い峠越えのルートを選んで建設費や運行経費を押さえる事を考えた鉄道王ジェームス・J・ヒル(James J. Hill)の発想は見事で、収益性が高い線路は鉄道王の地位を不動のものとしました。又、鉄道王の財力はモルガン銀行と肩を並べました。 ウェスト・グレーシャー駅はグレーシャー国立公園の西の玄関口に当たりますが、冬期は閉鎖になります。今年の旅客営業の終了が目前に迫っています。ウェスト・グレーシャー(West Glacier, MT)は現在の名前で旧の名前はベルトン(Belton, MT)です。
 
  大自然の中、列車は走る
 ウェスト・グレーシャーを発車すると車窓の景色から人家が消えました。車窓から見えるのは美しいロッキー山脈とうっそうと茂る森林地帯とフラットヘッド川(Flathead River)しか見えません。東行エンパイア・ビルダー号は西に向かうアメリカン・オリエント・エクスプレス(American Orient Express)を待たせたまま途中の信号所を通過しました。 エセックス到着15分前に荷物を一階の出入口へ降ろし、その後に一階の出入口に降りましたが、もうこの時点で車掌が出入口を開けていました。車掌は進行方向左側(北側)の出入口から躯を乗り出して列車の監視をしています。時折、車掌は携帯式列車無線機(トレイン・ラジオ)で先頭の機関車の機関士や地上の列車運転指令と交信をしています。 窓が開いているので冷たい風が吹き込んで来ます。眺めの良い進行方向左側は車掌に占領され、扉も開いているので近づく事もできません。車掌の他に私の荷物の上げ下ろしを手伝うアテンダントが降りて待っています。
 
  エセックス到着
 東行エンパイア・ビルダー号がエセックス(SM Essex, MT)到着を示す様に、数回補機の留置線に分岐するポイントを通過しました。留置線上の補機を見送ると、今日の宿泊先のアイザック・ウォルトン・インを車掌の背中越しに見て、数百メートル走ると、エセックス・アムトラック駅に到着しました。1997年9月21日午前8時45分定刻に東行エンパイア・ビルダー号は到着です。ホームに降りたのは私一人でした。アテンダントに1ドル紙幣を渡して、荷物の運搬を手伝わせました。
 ホームには一台の日本製のワンボックスカーが待っていました、しかしホテルのバンは来ていませんでした。ワンボックスカーから若夫婦と赤ちゃんと一人の男が降り、一人の男が私と入れ替わりに東行エンパイア・ビルダー号に乗り込むと、東行エンパイア・ビルダー号は慌ただしく発車して行きました。 駅に残されたのは私とワンボックスカーと若夫婦と赤ちゃんでした。仕方なく荷物を全部担いで歩いて行こうとしたところ。若夫婦のご主人が「どこに行くんだい?」と言ってきたので「アイザック・ウォルトン・インに歩いて行く処だ。」と答えた処、アイザック・ウォルトン・インの送迎車という事が判りました。すぐさまその車に乗せて貰うとあっという間にアイザック・ウォルトン・インの裏玄関に到着しました。
 
  二日目終
 
   アイザック・ウォルトン・インへ

This page last updated on Jan 03, 2003
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Text (C) Nobuo Hoshino
Photo (C) Nobuo Hoshino