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Nobuo Hoshino's America Rail Trevelog
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西海岸を列車で縦断
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アムトラック北行「コースト・スターライト」号乗車記
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「世界一美しい列車」の線路を辿る
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二日目
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夜が明ける前に目を覚ます
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乗車前に随伴のエドワードから云われた通り、夜が明ける前に飛び起きました。時間はまだ朝の4時過ぎです。(この時点では米国はサマータイムなので実際は朝の3時過ぎ)北行コースト・スターライト号が停まっていますので、おそらく此処がシャスタ山の南麓のカリフォルニア州ダンスミア(DUN Dunsmuir, CA)です。列車が通っている線路もカリフォルニア州ローズヴィル(Roseville, CA)からはSPのイースト・バレー線(East Valley Line)で、此処からSPのシャスタ線(Shasta Line)になります。今までの見所はマニアの楽しみでしたが、今度の見所は全ての乗客の楽しみですから、さっさと着替えてカメラを持ってラウンジ車に向かいます。
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シャスタ山見物
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北行コースト・スターライト号での最高の見所がこのシャスタ山です。南行ではこの一帯を真夜中に通過するのでシャスタ山を観る事が出来ず、更に列車が遅れるとサンタ・バーバラ付近を通過する時点では完全に日が暮れて海岸線も観ることが出来ない事が有ります。ラウンジ車に向かう途中で食堂車を通過しましたが、まだ5時前にもかかわらず、食堂担当のアテンダントが朝食の準備をしていました。又、朝食を摂りながらシャスタ山見物をする乗客が特別ラウンジ車や食堂車で待っていました。ラウンジ車には先客がいました。しかし大部分の席は空いていましたので進行方向右側(山側)に席をとります。
外が白み始めたと同時に車窓からシャスタ山が観えました。列車が走るに従ってシャスタ山は様々な姿を見せてくれました。同時に線路際の景色も様々に変化しました。森林地帯や溶岩が流れた跡やそれに脱線転覆した貨車です。溶岩が流れた跡はシャスタ山が活火山である事を認識させてくれました。シャスタ山が様々な姿を見せると同時に、ラウンジ車の空席もふさがってゆきました。
- 車内で日本語が聞こえたので、声の源をたどると、アラスカへ行く家族連れでシアトル迄列車で行き、アラスカへは飛行機で渡る予定と云う事。日本人は乗っていないと思っていたので驚きました。
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再び食堂車へ
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シャスタ山見物が終わると同時に写真を撮り終えたので、食堂車に向かいます。一回目の朝食が終わって、二回目が始まったばかりで、幾らかの空席が有り、今回も相席になりました。相席の相手は昨晩と同じく母親と息子二人の一行でした。今回はアイス・ティー、トースト、果物、オレンジジュース、ソーセージ、目玉焼きを注文しました。今回も例に依って伝票に署名するだけでした。必要なものはアテンダントへのチップとボールペンのみです。
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山間の町クラマス・フォールズ
- 北行コースト・スターライト号は食事時間中にシャスタ・バレーを抜け、坂を昇りながらカリフォルニア州とオレゴン州との境を通過して、オレゴン州最初の駅のクラマス・フォールズ(KFS Klamath Falls, OR)に到着しました。列車が到着した時点には食事は終わって寝台に戻っていました。シャスタ線は此処で終わって、此処からはSPのカスケード線(Cascade Line)になります。 駅の南側には操車場が在り、木材を積んだボックスカー、合板を積んだセンタービームフラットカーや製紙原料の木材チップを積んだゴンドラカーが集まり、この一帯が木材産業の中心地であることを実感させられます。駅には活気が有り、貨車は操車場ばかりか構内にも集まっています。又、多くの乗客が乗降しています。
- 乗客の安全を確保する為、SPの鉄道警察が旅客列車の発着時間帯に警備の為に来ています。
- 鉄道旅行が高齢者に人気が高いのは、広い空間、高齢者特別価格、安定した車内の治安です。列車内で犯罪を起こしても車掌は列車無線で鉄道警察と列車運転指令に連絡が入り直ちに非常線が張られます。特に米国はテロには厳しく、交通機関への破壊活動や運行妨害は直ちに連邦捜査局が出動します。
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此処は難所のまっただ中
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ローズヴィルを起点とするSPのシャスタ・ルート(Shasta-Route)はロス・アンゼルス及びオークランド地区からのオレゴン州及びワシントン州への最短ルートであり、列車本数が多く列車単位もタハチャピ峠(Tehachapi-Pass)と同等でカリフォルニア州ダンスミア(Dunsmuir, CA)−オレゴン州エウジーン(EUG Eugene, OR)間は単線の連続曲線の急勾配で、運行速度の制限が厳しく(最も厳しい制限速度は20マイル/時)列車の行違や追越に時間を取られます。北行コースト・スターライト号が登っている勾配は就寝中に通過したメアリーズヴィル(Marysville, CA)から始まり、標高はメアリーズヴィルで61フィート、ダンスミアの一つ前の停車駅のレディング(RDD Redding, CA)で557フィート、ダンスミアで2,290フィート、シャスタ山の脇を過ぎたグラス・レーク(Grass-Lake, CA)で5,063フィートになります。グラス・レークがこの北行コースト・スターライト号の運行経路での最高点です。一旦下ってクラマス・フォールズで4,105フィートになりますが、次にウィラメット峠の勾配が控えています。北行コースト・スターライト号はクラマス・フォールズを発車すると、ゆっくりと勾配を登って行きます。車窓からはクラマス湖(Klamath-Lake)が見えます。次のチェムルトで標高が4,761フィートになっているので、此処からチェルムト迄が緩勾配になります。
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難所はこれからも続く
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チェムルト(CMO Chemult, OR)に停車して一息入れる間も無く発車した北行コースト・スターライトは三度目の勾配越えに掛かります。これからウィラメット峠(Willamette-Pass)の標高4,840フィートのカスケード・サミット迄79フィートを33.4マイルで登ります。登りだけを考えると遙かに楽なのですが、次の停車駅のエウジーン迄の下り勾配が4,387フィートを87.9マイルで降りる長距離急勾配になるので乗務員は緊張の連続です。貨物列車は列車単位が大きい(つまり貨車は重くて編成が長い)ので、更に大変で勾配越えの為に機関車を増結して、列車のスピードの出過ぎを防止しています(大規模な列車事故の原因は下り勾配での列車のスピードの出過ぎが大半)。
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またもやオメガループの連続
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北行コースト・スターライト号はカスケード・サミットを越えると一気にウィラメット・バレー(Willamette-Valley)に駆け下ります。此処からは峠を降りる時にオメガループを通過しますので、とにかく列車の速度が出過ぎないようにするのが大変です。北行コースト・スターライト号の速度はサミットに登る時よりも更に下がりました。左右の車窓には岩肌や森林地帯が迫り、さらには今まで通って来た線路も見えます。北行コースト・スターライト号は左右に蛇行しながら車輪とレールを軋ませ、速度が出過ぎない様に慎重にオメガループを通過します。北行コースト・スターライト号は我物顔で坂を駆け下り、対向列車や待避列車の姿は見えません。それもその筈で、対向列車の通る線路は修繕の為に閉鎖され、線路は保線列車に占領されていました。米国での線路の修繕は、日中に線路を閉鎖して大型保線機械を使用して行います。西海岸地区での保線労働者はメキシコ人が大半です。私がこの列車に乗った直後の昨日の昼過ぎからサンタ・バーバラ地区でも線路修繕の為、サンタ・バーバラから北は線路閉鎖になりました。
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景色は変わる
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北行コースト・スターライト号が勾配を下るにつれて景色が森林地帯から畑作地帯に変わりました。この地域の農業は山々からの雪解け水を利用した野菜生産と牧畜が中心です。この地域では柑橘類は栽培出来ませんので、寒さに強い林檎、玉葱、馬鈴薯、人参などです。オレゴン州の野菜生産規模は大規模ですが、カリフォルニア州がオレゴン、ワシントンの両州以上に野菜を大規模に生産している為に、オレゴン州の野菜生産の影はどうしても薄くなってしまいます。オレゴン、ワシントンの両州はカスケード山系を中心とした木材や洋紙の生産が中心です。この地区の大鉄道の支線や小規模鉄道は木材や製紙用木材チップの輸送を主業務としています。
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坂を降りきるとエゥジーン
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北行コースト・スターライト号が坂を降りきると米国の木材の都と呼ばれるエゥジーン(EUG Eugene, OR)に到着します。チェムルトから121.3マイルを2時間半掛けて降りてきたので、列車は此処で小休止するらしく、アテンダントや乗客が車内からホームに出てきています。長時間停車は昨日のサン・ルイーズ・オビスポ以来です。昨日の夕食と今日の朝食と相席になった母親と息子二人の一行は此処で降りて行きました。ちょうど息子のほうを見かけたので手を振ると息子二人は手を振ってくれました。
エゥジーンは木材産業で有名ですが、農業でも有名でした。このエゥジーンは生鮮野菜を運ぶ冷蔵車の集散地でした。西海岸の生鮮食品の輸送は二人目の鉄道王のエドワード・ヘンリー・ハリマン(Edward Henry Harriman)の設立したパシフィック・フルーツ・エクスプレス社(PFE Pacific Fruit Express Co.)が半分以上を押さえ、生鮮食品の輸送でハリマンは莫大な利益を揚げました。当時の冷蔵車(Ice Reffer)は生鮮食品を氷詰めにして輸送していました。時間が経つと氷が溶けて消耗するので、冷蔵車に氷を補給する設備を冷蔵車の集散地や途中の操車場に設置して生鮮食品を痛めない様にする必要が有りました。氷を補給する設備(ice deck)には製氷工場か氷貯蔵庫が隣接しています。又、昼夜なく生鮮食品の輸送列車が到着しても、氷を補給できるように人を待機させていました。機械式冷蔵車(Mechanical Reffer)が登場するのは1960年代前半でしたが、氷の補給作業は機械化を進めて1970年代前半迄行われていました。「アメリカのサラダボウル」の中心地のサリナスにも同様の設備が在りました。産地と消費地との距離が離れているのと鮮度を維持する費用が掛かる為、米国では生の野菜や果物は大変な贅沢品でした。米国で冷蔵冷凍食品が発達したのは、この理由と、産地と消費地との距離が離れているのと、大量の生鮮食品のロスを減らす為です。
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エゥジーンを出たら後は平坦線
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しばしの休憩の後、北行コースト・スターライト号はエゥジーンを発車して操車場の脇を通過しました。此処も操車場には貨車が集まっていました。エゥジーンからはSPのヴァレー線(Valley Line)になります。北行コースト・スターライト号はアルバニー(ALY Albany, OR)、サーレム(SLM Salem, OR)と停車してサーレムを発車した後に食堂車へ行きました。メニューは昨日とは変わりなく、本日のスープ、ハンバーガー、アイスティー、アイスクリームを注文して昼食を済ませました。食事中に北行コースト・スターライト号がノロノロ運転になり1時間近くこの状態が続きました。寝台に戻って車窓から観ると線路際に牧場と牛舎が有ってその隣には池が在ります。池には牛糞を投入する為のベルトコンベアーと池の水を畑迄引くポンプが有ります。これが西海岸でで流行している有機農法です
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ようやくポートランドへ
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ウィラメット川が線路に沿って流れていく様になり、進行方向右側にフッド山(Mt. Hood)が見えて来るとポートランド(PDX Portland, OR)に近づいたしるしです。ポートつまり港と言っても河港で河口から50マイル以上も内陸に在ります。此処も輸出穀物の積出港で、河辺には穀物を貯蔵するカントリーエレベータが林立し、引込線がエレベータの脇までのびています。走っている線路は操車場の手前で複線になっています。列車は操車場の脇を抜け、東から来た線路と合流します。SP線は此処までで、此処からはユニオン・パシフィック鉄道(UP Union Pacific Railroad)のケントン線になります。北行コースト・スターライト号は徐行して橋に差し掛かりました。この橋がポートランドの観光名所のスティール・ブリッジ(Steel-Bridge)です。橋は可動橋で鉄道、道路、市内電車が一つの橋を共用しています。北行コースト・スターライト号は橋を徐行で渡ると、信号所の脇も徐行して右に曲がります。曲がり終わって20分位経ってポートランド・ユニオン駅に到着しました。ユニオン駅でUP線は終わって、バーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道(BNSF Burlington Northern Santa Fe Railway)のフォールブリッジ・サブデビジョン(Fallbridge Subdivision)になります。また此処でも小休止をするらしく乗客がホームに降りています。私も北行コースト・スターライト号から降りて駅構内や留置してある車輌の写真を撮りました。この駅のシンボルは高い時計塔です。この駅はコースト・スターライト号の他にパイオニア(Pioneer)号(シアトル発デンバー経由シカゴ行)、エンパイア・ビルダー(Empuire Builder)号(ポートランド/シアトル発ミネアポリス経由シカゴ行)の二本の長距離列車が発着します。更に北はカナダのバンクーバー(Vancouver BC Canada)から南はエウジーン迄はカスケード回廊(Cascadia Corridor)と呼ばれる中距離列車の運転区間です。此処には変わった車輌が入って来ます。それはスペイン生まれのタルゴ・ペンデュラー(Talgo Penduler)です。この車輌は復活した米加連絡列車マウント・ベーカー・インターナショナル(Mount Baker International)号に使用され、間合運用で此処までやって来ます。タルゴを導入した理由は、米国内では旅客車を自社で製造出来るメーカーが無く、急カーブと勾配の多い西海岸の線路を高速で走らせる必要が有る為です。午後4時を過ぎても未だ日は高く外には熱気が充満しています。さっさと写真を撮って車内に戻ります。戻ってしばらくしてから、何の前触れも無く北行コースト・スターライト号は発車して行きました。
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此処は鉄道王の主戦場
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北行コースト・スターライト号は再びウィラメット川に沿って走り、二回操車場の脇を通過します。そして川を渡るための三角線に入ります。この三角線を直進するとエゥジーンに戻り、右折するとシアトルに向かいます。列車は右折してシアトルに向かう線路に乗り入れます。北行コースト・スターライト号は高架線を走り川を渡ると広い中州を通過します。中州にも多くの引込線が在り、引込線の一箇所に日本語が有りました。それはトヨタ・ロードアウト(Toyota Loadout)と呼ばれる自動車の積替地点です。現在米国内の自動車の輸送の大部分が専用貨車を使用した鉄道輸送です。中州が終わってまた北行コースト・スターライト号は川を渡ります。今渡っている川がコロンビア川(Columbia-River)です。この川が州境で渡るとワシントン州バンクーバー(VAN Vancouver, WA)に入ります。
- エゥジーンからポートランド及びポートランドからシアトルにかけては三人の鉄道王の壮絶な戦いの舞台でした。第一ラウンドは鉄道王でグレート・ノーザン鉄道(GN Great Northern Railway)とノーザン・パシフィック鉄道(NP Northern Pacific Railway)に君臨するジェームス・J・ヒル(James J. Hill)とカリフォルニアのビッグ4最後の一人でカリフォルニアの鉄道王であるコリス・P・ハンティントン(Corris P. Huntington)が争いました。 第一ラウンドはヒルがハンティントンの北上をポートランドで食い止め、代わりにカリフォルニアに進出して勝利を収めました。第二ラウンドはヒルとハンティントンの死後にハンティントンのSPを手中に収め、既に再建したUPに君臨し二人目の鉄道王になったエドワード・H・ハリマン(Edward Henry Harriman)が争いました。ヒルとハリマンは此処だけではなく、シカゴへ直通するために農夫の道であるシカゴ・バーリントン&クインシー鉄道(CB&Q Chicago Burlington & Quincy Railroad)の買収を巡っても争いました。結果はまたもやヒルの勝利でバーリントンはヒルに帰属しその代償としてハリマンはヒルの線路への乗入権を獲得してシアトルに進出したのである。農夫の道は鉄道の合併を続け、1996年からはBNSFとして、二本の大陸横断鉄道を持つ太平洋からメキシコ湾迄自社線だけで連絡できる巨大鉄道になりました。UPも他の鉄道を呑み続け、自社線だけでのシカゴ乗入を達成後、再度SPを買収し、UPとして二本の大陸横断鉄道を持つ太平洋からメキシコ湾迄自社線だけで連絡できる巨大鉄道になりました。
- 北行コースト・スターライト号はワシントン州バンクーバー(VAN Vancouver, WA)に到着です。線路はBNSFのシアトル・サブデビジョン(Seattle Subdivision)に替わります。此処からワシントン州スポーカンに向かう東行本線を分岐します。エンパイア・ビルダー号はBNSFの東行本線上に走っています。この東行本線はコロンビア川を挟んでUPの東行本線と並行しています。パイオニア号はシアトル−ポートランド間はコースト・スターライト号と同一の線路を走り、ポートランドを出てスティール・ブリッジを渡って直ぐにUPの東行本線に入ります。川を挟んで線路が向かい合っている理由は鉄道王の争いの結果で、争いは先に線路を敷いて政府から広大な土地と補助金を貰う事です。この並行はワシントン州スポーカンを過ぎてアイダホ州サンドポイント(Sandpoint, ID)迄続いています。
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バンクーバーからは快調な旅
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バンクーバーを発車すると、北行コースト・スターライト号は渡ったばかりのコロンビア川に沿って北上します。次のケルソー−ロングビュー(KEL Kelso-Longview, WA)迄線路とコロンビア川が並行しています。川には夕日が当たり水面は金色に光っています。線路の東側にはカスケード山脈(Cascade-Range)が控えています。線路は山脈と川の間の僅かな平地に敷かれています。食堂車の主任が予約を取りに寝台にやって来ました。今回も最後の方に予約を依頼しました。知らぬ間にケルソー−ロングビューを発車して北行コースト・スターライト号は快調に走っています。走っている線路はグレート・ノーザン鉄道とノーザン・パシフィック鉄道との共同子会社のシアトル・ポートランド&スポーカン鉄道(SP&S Seattle Portland & Spokane Railway)に依って建設されました。1970年にGN、NPとCB&Qが合併してバーリントン・ノーザン鉄道(BN Burlington Northern Railroad)になるまでこの鉄道の旅客列車は親会社からの乗り入れでした。
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食堂車は閑散
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センテェラリア(CTL Centralia, WA)を北行コースト・スターライト号が発車した後に、食堂車からの案内放送が有り、食堂車に向かいました。これでこの北行コースト・スターライト号での最後の食事になります。車内は乗客が降りたのか閑散としています。メニューは鮭の生姜醤油の漬け焼きを注文しました。焼き具合の方は表面の醤油が乾いていましたが昨日のグリルドチキンのレッドチェリーソースがけよりはまともでした。しかし量が多いので、途中で降参しました。食事中に北行コースト・スターライト号はオリンピア−レェーシー(OLC Olympia-Lacey, WA)に停車しました。ワシントン州内の駅は改装したばかりの処が目に付きます。
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ピージェット湾が目の前に
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北行コースト・スターライト号がオリンピア−レェーシーを発車すると間もなく海側の車窓にピージェット湾(Puget Sound)が見えてきます。食事を終えて寝台へ戻って間もなくタコマ(TAC Tacoma, WA)に到着しました。タコマ港も北西海岸の重要港湾で日本からの川崎汽船(K-Lines)の定期航路がのび車窓からは太平洋航路のコンテナ船が見え線路上には海上コンテナを輸送する貨車が集まっています。このタコマは今は亡き名歌手ビング・クロスビー(Bing Crosby)の故郷です。かつてこのタコマも大陸横断鉄道の終点でシカゴ・ミルウォーキー・セントポール&パシフィック鉄道(MILW CMSt.P&P Chicago Milwaukee St.Paul & Pacific Railroad)入っていました。
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終点シアトルへ
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北行コースト・スターライト号がタコマを出ると線路がピージェット湾から離れます。シアトル(Seattle, WA)の南には有名なボーイング・フィールド(Boeing Field)が在り列車はその脇を通過します。ボーイング(Boeing)と言えば、戦時中には日本を壊滅させた超空の要塞B29を製造し、現在は航空機に依る海外旅行を一般化した旅客機B747を製造しています。ボーイング・フィールドには大はB747から小はセスナ機迄ありとあらゆる飛行機が無数に留まっています。その数は簡単に数え切れません。ボーイング・フィールドを通過するとシアトル港の入江の脇を通過します。シアトル港は日本との関係が深く、日本郵船會社(NYK-Lines Nippon Yusen Kaisya)がシアトル−横浜間に北米定期航路を開設し、GNと提携してシカゴから最短距離で東洋への旅客連絡輸送を開始しました。これが現在のシアトルの発展の基礎になりました。東洋への想いは鉄道王ヒルの夢でした。その夢が日本郵船の北米航路開設で実現した訳です。この北米航路の客船の最後を飾ったのが現在、横浜港に保存されている氷川丸です。このシアトル港から日本製の生糸、絹織物、ボーンチャイナが陸揚げされてヒルの鉄道で運ばれました。ヒルはこの東洋からの宝物を運ぶ事でも莫大な利益を揚げました。現在は宝物の代わりに夥しい数の海上コンテナが休む間もなく貨車に積まれて東に向かいます。空が暗くなると同時にシアトル・マリナーズ(Seattle Mariners)の本拠地のキング・ドームの脇を通過しました。此処まで来れば終着シアトル(SEA Seattle, WA)は目の前です。それから10分後北行コースト・スターライト号列車番号14はシアトル・キング駅に到着しました。到着時刻は1996年7月25日午後9時10分。所要時間は33時間10分でした。
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二日目 終
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解説へ
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This page last updated on Sep 23, 2003
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Text (C) Nobuo Hoshino
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Photo (C) Nobuo Hoshino