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Nobuo Hoshino's America Rail Trevelog
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西海岸を列車で縦断
- アムトラック北行「コースト・スターライト」号乗車記
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「世界一美しい列車」の線路を辿る
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一日目
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サンタ・バーバラ アムトラック駅
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1996年7月24日午前11時30分、私はカリフォルニア州サンタ・バーバラ(SBA Santa Barbara, CA)のアムトラック駅に立っています。横には四日間の随伴を務めてくれたガイドのエドワード・デルヴァースが立っています。沢山の人が一日一本の北行コースト・スターライト(Coast Starlight)号に乗り込む為に集まっています。荷物は先にチェック・インを済ませていたので荷物はカメラを入れたトランクだけです。これからワシントン州シアトル(SEA Seattle, WA)までの32時間余りの長い旅が始まる訳です。この駅で車掌が待機していたので、エドワードが確認した処、これから北行コースト・スターライト号に乗務するとの事、検札も此処で行うという事になり、乗車券と寝台券が一緒になったボーディング・パスをエドワードから貰い、これから乗り込む車掌に見せて半券を受け取ると検札は終了です。エドワード曰く「車掌からの伝言で列車に乗り込んだら直ぐに食堂車の隣のラウンジ車に行って食事の順番を待つ事。」と云う事で食事は海岸線を観ながら摂る事になりそうです。
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列車の到着
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暫くして、北行コースト・スターライト号は予定より10分遅れて到着しました。列車の先頭に立つのはアムトラック最新鋭のジェネラル・エレクトリック・トランスポーテーション・システムズ(GETS GE Transpotation Systems)製のAMD-103形式(ジェネシス Genesis)の重連です。編成は機関車2輌、手荷物車2輌、乗務員用寝台車(Transition Sleeper)1輌、座席車(Coach)4輌、ラウンジ車(Sightseer Lounge)1輌、食堂車(Dining Car)1輌、特別ラウンジ車(Pacific Parlor Car)1輌、寝台車(Sleeping Car)4輌の16輌編成です。車輌はスーパー・ライナー(Superliner)の別名を持つ二階建て客車です。北行コースト・スターライト号がホームに停まると、沢山の人が降りてきました。「何をするのか」と良く観るとホームで煙草を吸い始めました。カリフォルニア州は全米の中で厳しい喫煙規制を敷いており列車内の大部分は禁煙です。駅に着いたとき、エドワード曰く「明日の朝、山側の窓にシャスタ山が見えるから、朝早く起きる事。」という事で予約した寝台が山側に有る事を期待しましたが、いざ列車に乗り込んでみると、予約した寝台は海側でしたので明日の朝、早起きする覚悟を決めました。
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豪華な寝台
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予約したエコノミー個室寝台の折畳式の机には本物の花が飾られ、その横には寝台利用客の特権であるシャワー室で使う石鹸が置かれています。華やかな沿線の案内図や時刻表そして列車の紹介パンフレットも置かれています。一泊の料金も一寸したホテル並みです。但し米国の一般的なホテルと違うところは寝台料金には食事も含まれている点です。列車はなかなか発車せず10分位停車したままです。エドワードは山側にあるホームから廻ってホームの無い線路の海側に手を振って立っています。予約した個室寝台から手を振っているうちに列車は発車して長く短い四日間の撮影旅行は終わりました。
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特別ラウンジ車で海岸線の見物
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北行コースト・スターライト号が発車してサンタ・バーバラの駅を出たところで、海岸線の見物と昼食の順番待ちを兼ねて特別ラウンジ車へ行きました。特別ラウンジ車は旧アチソン・トペーカ&サンタ・フェ鉄道(ATSF Atchison Topeka & Santa Fe Railway)のエル・キャピタン(El Capitan)号用二階建客車で元はラウンジ車らしく固定式の食卓は増設している様です。大部分の乗客が食事を終えたらしく、閑散としています。寝台利用客は前述した通り、食堂車での食事は無料で、この特別ラウンジ車での軽食でも無料ですが、飲酒は別料金です。左に美しい海岸線を観ながらサービスのコーヒーを飲んでくつろぎます。テーブルには白いクロスが掛けられ、その上には花瓶に生けた花と新聞と特別ラウンジ車での軽食のメニューが置かれています。これから午前中に行ったガビオタの鉄橋を列車が通過しますのでくつろいでばかりはいられません。このコーストラインの名所のガビオタの鉄橋は接近した事が車窓からは判りづらいので目を皿のようにして外を観ていました。ようやく鉄橋が観えてきたのでカメラを構えて撮りました。食堂車からの昼食の案内放送は未だなくこのまま特別ラウンジ車のテーブルでコーヒーを飲んで待つ事になりました。待つ間に晴れていた空が曇り小雨が降りだしました。進行方向左側には未だ海が映り、今は夏の盛りでも初秋を感じさせ雰囲気は「忘れ去られた夏」です。ようやく今日の昼食での最後の案内放送が有り、食堂車に向かいました。
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食堂車にて
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食堂車での最初の食事は伝票(Sleeper Guest Check)への署名で始まりました。食堂車のテーブルにつく前にも紆余曲折が有りました。朝食と昼食は一番はじめに食堂車に居る食堂の主任(ダイニング・スチュワード)の所へ行って、口頭で番号を貰います。その後、車内放送で番号が呼ばれますので、番号に該当する乗客は食堂車のテーブルについて食事を摂る事が出来る訳です。はじめはこのシステムが理解出来ず、最後の呼び出しで食堂車に行って、テーブルにつく事が出来ました。メニューを観るとハンバーガーしか食べられる物がなかったので、ハンバーガーを食べる事にして「今日のスープ」の内容を聞くと「チキン・ヌードル・スープ」と云う事で今日のスープとアイスクリームとアイスティーを注文しました。食堂車の車内も大部分の乗客が昼食を済ませたのか閑散としています。約10分後、注文した食事が運ばれ、署名した伝票をチェックしてアテンダントに注文のミスの無い事を伝えると、アテンダントは引き上げて行きました。寝台利用客は酒類を除いて食事は全て無料ですので帰るときはテーブルにアテンダントへのチップを置いて帰るだけです。
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サン・ルイーズ・オビスポ
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寝台に戻って暫くするとサン・ルイーズ・オビスポ(SLO San Luis Obispo, CA)への到着の案内放送が有り、早速カメラの用意です。ホームに降りて、寝台車のデッキの横で乗客に注意をはらうアテンダントとアムトラック・ウエストのロゴが入った寝台車のデッキを撮りました。サン・ルイーズ・オビスポ駅は最近、全面改装が行われたらしく、ホームがコンクリート製で従来のものより高くなって居り、踏み台無しでも列車への乗降が出来そうです。
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公共旅客輸送の体制強化へのカリフォルニア州の取り組み
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カリフォルニア州運輸省(CADOT California State Department of Transportation カルトランス Caltrans)はロス・アンゼルス近郊の交通渋滞の緩和とスモッグ対策として鉄道に依る通勤輸送を強化しています。駅の改装は通勤輸送強化の為です。サンディエゴ(San Diego, CA) 発ロス・アンゼルス経由サンタ・バーバラ行のサンディエガン号の内の一往復がこの駅まで来ています。(他のサンディエガン号はサンタ・バーバラ行。)
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カリフォルニア州運輸省は通勤輸送を強化する為、アムトラック・ウェストとの共同列車運行組織アムトラック・カリフォルニア(Amtrak California)発足させました。 カリフォルニア州運輸省はアムトラック・カリフォルニアへの出資、これはカリフォルニア州運輸省が車輛を所有して、アムトラック・カリフォルニアへ提供し、同時に列車の運行経費を支払う形をとっています。これに対してアムトラック・ウェストは列車運行に必要な職員と設備を提供します。アムトラック・カリフォルニアが運行するのは列車だけではありません。カリフォルニア州内のアムトラック駅から発着するバスも運行しています。特にカリフォルニア州内のアムトラックバスはアムトラック・カリフォルニアのサイトかアムトラック・カリフォルニアの時刻表を観ないと判りません。(アムトラックのサイトでは一部のバスの運行しか記載されていません。)
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サン・ルイーズ・オビスポのオメガループを越える
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しばしの休憩の後、北行コースト・スターライト号はサン・ルイーズ・オビスポの駅を発車して行きました。これからコーストラインの難所でガビオタの鉄橋と並ぶ名所のサン・ルイーズ・オビスポのオメガループに差しかかります。写真を撮る為、寝台車からラウンジ車に向かいます。ラウンジ車の窓はひどく汚れてはいなかったので一安心です。
サン・ルイーズ・オビスポのオメガループはクェスタ峠(Cuesta-Pass)に在って、昔からファンの間では知られた鉄道名所です。かつて「世界一美しい列車」と云う別名を持っていた蒸気機関車時代のロス・アンゼルス−オークランド間のコースト・デイライト(Coast Daylight)号もこのオメガループを越えるにはかなり難儀をしていました。此処も運がよいと、長い貨物列車が通過する時には、テハチャピ峠(Tehachapi-Pass)と同様に一つのファインダーに列車の先頭と最後尾が同時に収まってしまいます。高くなかった列車の速度は、峠越えに掛かると更に下がり、時速35マイルを出すのが精一杯です。列車は右や左にカーブしながら峠を11マイルで1,100フィート登ります。車輛への傾斜もきつくなり、ハンディカムを片手で持ちながら踏ん張って撮影しました。左右の車窓には通過したばかりの線路を観る事が出来ます。坂を登り切った地点に退避線(信号所)が在り、南行コースト・スターライト号がすれ違いの為に待っていました。終着のシアトル迄にもう一回南行コースト・スターライト号とのすれ違いが有ります。>
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峠を越えたら一面の野菜畑
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北行コースト・スターライト号は峠を越えると坂を下り、坂の中腹のパソ・ロブレス(PRB Paso Robles, CA)に停車し、サンタ・ルシア山地(Santa Lucia Range)とガビラン山地(Gabilan
Range) との谷間のサリナス・バレー(Salinas Valley)にあるサリナス川(Salinas River)に沿って北へ走ります。左右には延々と野菜畑が続き、この地域はアメリカのサラダボウル(The Nation's Salad Bowl)と呼ばれています。車窓から見える野菜畑には多くの人々が働いています。ひたすら広い野菜畑での収穫のため移動式トイレまで持ち込んでいます。苗や野菜の有る畑は散水をしていますので、直ぐに解ります。野菜の収穫は大型農業機械が使えないので、畝毎に労働者が付いて移動式のベルトコンベアーを使って行います。畝と直角方向にベルトコンベアーが配置されて居ます。労働者の目の前にコンベアーが有って、労働者が収穫した野菜をベルトコンベアーに乗せると自動的に箱詰めされた野菜が出来上がる訳です。ベルトコンベアーが移動し終ると畑一枚分の収穫が終る事になります。(ベルトコンベアーの動きは平面式スキャナの動きと思えば判りやすい。)線路際の空き地にはフィーダーと呼ばれる苗を植える機械や移動式トイレそして液体化成肥料や、液体アンモニアを運ぶ小型トレーラが置かれています。別の空き地にはマクドナルドへ冷凍ポテトを納入するシムプロット社(R J Simplot)のロゴが入った十数台の農業機械が置かれていました。「シムプロットはオレゴン州やアイダホ州に拠点が有る筈だが?」疑問の答えは帰国してから出ました。それはシムプロットはポテトだけではなくハンバーガーのレタスも扱っているのです。この地域での野菜の収穫は日雇いの移動労働者に依って支えられています。戦前はメキシコ人、更に戦後になってからは日系人がこの労働に従事する様になりました。
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スタインベックの故郷サリナス
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北行コースト・スターライト号はカリフォルニアの強い日差しを浴びて、アメリカのサラダボウルの中心地のサリナス(SNS Salinas, CA)に到着しました。この町は怒りの葡萄、エデンの東の作者スタインベックの故郷です。農業地帯の中心に在って駅のヤードには多くの冷蔵車や、液体アンモニアや液化石油ガスを運んできたタンク車等様々な貨車が止まって居ます。駅の周囲は10年前迄続いていた農業不況のせいか廃墟が残り、多くの落書きが残っています。スタインベックの生まれた頃のこの地方の農民はカリフォルニアのビッグ4の一人のハンティントンの君臨するサザン・パシフィック鉄道(SP Southern Pacific Transpotation)に輸送手段を押さえられていました。ハンティントンはしばしばこの地方からの生鮮食品を積んだ貨物列車の運行を止めて、この地域の農家の財布と中西部や東部の人々の食卓を人質に取りました。この地域の鉄道は生鮮野菜の輸送を主業務としていました。SPも例に漏れず多くの支線を抱えて生鮮野菜の輸送を行っていました。しかし、モータリゼーションの到来で支線の多くが廃線や他社への売却という結果になりました。1980年代の農業不況は鉄道にまで及び、多くの鉄道が破産又は合併という結果になりました。シカゴ・ロックアイランド&パシフィック鉄道(RI ROCK CRI&P Chicago Rock Island & Pacific Railroad)は破産。シカゴ・ミルウォーキー・セントポール&パシフィック鉄道(MILW CMSt.P&P Chicago Milwaukee St.Paul & Pacific Railroad)は大部分の路線を廃棄した挙げ句の果てに身売り。ミズーリ・パシフィック鉄道(MP Mopac Missouri Pacific Railway)はユニオン・パシフィック鉄道(UP Union Pacific Railroad)に吸収合併。
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シリコン・バレーの中心サン・ノゼ
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北行コースト・スターライト号はニンニク帝国の首都ギルロイ(Gilroy, CA)を過ぎて(ギルロイといえば日本人にはアウトレット・モールが有名です。)、シリコン・バレーの中心都市サン・ノゼ(SJC San Jose, CA)に入ります。この地域はサン・フランシスコの通勤圏で此処からオークランド(Oakland
CA)、サン・フランシスコ(San Francisco, CA)への通勤列車が発着しています。嘗てはSPの直営でしたが、10年前から運営主体が公営(州、郡、沿線自治体の協同組合方式、運行はアムトラック・ウェスト)になりました。このため車輌も一新されました。機関車は当時のアムトラックの主力機でジェネラル・モータース(GM General Motors)傘下のエレクトロ・モーティブ・デビジョン(EMD Electro Motive Division)製のF40PH、客車は日本車輌製造製の二階建客車です。
- サン・ノゼの手前で予約した夕食の時間になったので、食堂車に向かいました。今回は一人と云う訳にはいかず、母親と息子二人の席に相席になりました。例によって伝票に署名をして注文しました。今回はグリルドチキンのレッドチェリーソースがけを注文しました。ソースが甘く食べづらさが有りました。やはり焼いた肉には醤油が最高です。米国人の味覚はかなり大雑把であることを感じさせられました。
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オークランドへ
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北行コースト・スターライト号はオークランド(Oakland, CA)の通勤圏に入って周囲は映画で見る住宅地やショッピング・センターを多く見かけられます。道路も広くなり、走る車も増えています。オークランドの手前のエルムハースト(Elmhurst, CA)から複線になり、すれ違う列車も多くなります。今まで北行コースト・スターライト号がサンタ・バーバラから通っていたのはSPのコースト線(Coast Line)ですがオークランドの隣のウエスト・オークランド(West Oakland, CA)から北行コースト・スターライト号はSPのカル・ピー線(Cal-P Line)を通ります。
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此処からが大変
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オークランドからの線路は大陸横断の本線を構成しています。 大陸横断の本線はオークランド地区からの中西部及び東部への最短ルートであるため、大陸横断と西海岸縦断の貨物列車が、オークランド地区−カリフォルニア州ローズヴィル(Roseville, CA)間を共用する形で運行しています。更にローズヴィルからの東側の大陸横断の本線は「ヒル」(Hill)と呼ばれるドナー峠(Donner-Pass)の7,000フィートの標高を越える長距離急勾配の為に運行速度の制限が厳しくドナー峠の列車が遅れるとローズヴィルに入る列車も遅れるという、遅延する条件が揃っています。この為、西海岸縦断の貨物列車は内陸を通る、サン・オーキン・ルート(San Joquin-Route)に多く走っています。(有名なテハチャピ峠(Tehachapi-Pass)はこのサン・オーキン・ルート上に在り、列車本数が一杯で定時運行の旅客列車は運行不可)
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復旧して居たオークランド駅
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先のカリフォルニアでの大地震でオークランド(OKJ Oakland, CA)駅は大きな被害を受けました。この影響でオークランド駅での旅客営業は行う事が出来ませんでした。そのため隣のエメリーヴィル(EMY Emeryville, CA)駅がサンフランシスコ方面の連絡バスの発着駅になっていました。(昔からサンフランシスコ方面への長距離列車は対岸のオークランド駅の発着で、サンフランシスコ方面へは連絡バスに乗り換える。)
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サンフランシスコ観光名所のチャイナタウンの発祥の原因は、最初の大陸横断鉄道であるドナー峠の鉄道での建設工事に伴って、労働力として大量の中国本土の広東地方から大量に導入した中国人が建設工事が終わっても中国に戻らずに住みついた訳です。カリフォルニア州での鉄道建設工事に於いて、難工事と呼ばれた工事には大量の中国人が導入されました。有名な処ではサンタフェ鉄道のカホン峠(Cajon-Pass)サザン・パシフィック鉄道のタハチャピ峠(Tehachapi-Pass)です。厳しい自然環境と険しい地形が多くの犠牲者を生みました。
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エメリーヴィル駅では列車待ち
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線路が混み合っているせいか、北行コースト・スターライト号はエメリーヴィル(EMY Emeryville, CA)駅に停車したままです。時間は夜の9時を過ぎています。車窓から見えるホームの電光表示盤は、サン・ノゼ方面行列車の出発の遅れを表示しています。明日はまた早く起きる必要が有るため、寝台をセットしようとしたところ、ソファの背もたれが噛み込んで動かなくなり、向かいの部屋にいるアテンダント(客室乗務員)の手を借りる羽目になりました。(寝台のセットは自分でしなくてもよい、本来はアテンダントの仕事。)ベッドのセットが出来たところでベッドに入って長くて短い一日が終わりました。
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一日目 終
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二日目へ
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- This page last updated on Sep 23, 2003
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- Text (C) Nobuo Hoshino
- Photo (C) Nobuo Hoshino