| 2006/07/06
村山様、初めましてヴヴと申します。
哲学をベースにされた?相対性理論のサイトという事で興味深く
拝見させて頂きました。
と言っても、全てのページを拝見した訳ではありませんが、ちょっと
気になったテーマがありましたので、メールさせて頂きました。
先ず最初にお断りしておかなければならないのは、私は物理学の
専門家でもなく、ただ単に、特殊相対性理論に興味を持っている素人
だという事です。
特殊相対性理論を深く研究している訳でもなく、理解不足や誤解して
いる部分もあると思います。
なので、特殊相対性理論に対して大変失礼な物言いになってしまう
かも知れませんが、ご容赦願えれば幸いです。
貴サイトの「相対性理論と同時刻の相対性」の最後の章『過去と
未来の相対性』に関してです。
互いに近づきつつある慣性系同士では、相手の未来が自分の現在と
同時刻になるという事ですよね。
これは確かにその通りだと思いますが、重要な点が抜けている様に
思えます。
それは、互いに『光速度以上の速度では接近できない』という事です。
例えば、相対速度0であっても、互いに30万キロ離れていれば、
互いに1秒前の過去を見ている事になります。
そこで、互いに近づく事で、互いの未来を観たとしても、相対速度0の
時に見えている「現在」に比べれば「未来」であるだけで、現実の『今』
よりも先の未来には成り得ないと思います。
特殊相対性理論では、対象から観測者までの距離による情報伝達の
「遅れ」を考慮していません(無限大の速度、所要時間0で情報が伝わる
かの様に書かれています)が、実質的には座標上の「ある時刻」は、
観測者の現実の『時刻』とは別のものであり、『現実の時間』と対比する
場合は、対象から観測者まで情報(光)が届く時間的遅れを考慮しなけれ
ばならないと思いますが、いかがでしょうか?
乱筆乱文で失礼致しました。
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ヴヴ
|
| 2006/07/07
ヴヴ様
村山です。メール有難うございました。
拙サイトをお読みいただき大変嬉しく思っております。
さっそくですが、ご質問に答えさせていただきます。
> 互いに近づきつつある慣性系同士では、相手の未来が自分の現在と
> 同時刻になるという事ですよね。
これは、ちょっと違います。
まず、「過去」「現在」「未来」と言う場合は、誰の座標系においてそうなのかを
明確にしなくては混乱します。
(特殊)相対性理論では、
互いに近づく慣性座標系間において、
((自分の座標系において現在)の相手において現在)の自分は、
当初の自分よりも未来の自分を指している、
ということです。
互いに遠のく慣性座標系間において、
((自分の座標系において現在)の相手において現在)の自分は、
当初の自分よりも過去の自分を指している、
ということです。
従って、互いに遠のく慣性座標系間であれば、
((自分の座標系においてある未来)の相手において現在)の自分が、
当初の現在の自分であることは、ありえます。
拙サイトの「相対性理論と同時刻の相対性」の図5.1や図5.2の
ような図を書いて確認して見て下さい。
> 例えば、相対速度0であっても、互いに30万キロ離れていれば、
> 互いに1秒前の過去を見ている事になります。
その通りです。
> そこで、互いに近づく事で、互いの未来を観たとしても、
互いに近づいても、互いに遠ざかっても
互いの未来を観ることはできません。
離れたものを「観る」ということは、光速で情報が伝達されること
を意味するので、現在、自分であろうが相手であろうが、その未来を
観ることはできません。自分が今観ることができるのは自分の今より過去の事象のみ
であり、その対象が遠ければ遠いほど、より過去の事象を観ることになります。
「未来を観る」ということは相対性理論の枠内ではありえないことです。
> 特殊相対性理論では、対象から観測者までの距離による情報伝達の
>
「遅れ」を考慮していません(無限大の速度、所要時間0で情報が伝わる
> かの様に書かれています)が、
特殊相対性理論では、対象から観測者までの距離による情報伝達の
「遅れ」を考慮しています。「無限大の速度、所要時間0で情報が伝わる
かの様に」どこに書かれているのでしょうか。
あと、相対性理論において大変重要なのだけれど、注意していないために
多くの人が混乱している点を指摘しておきます。
相対性理論では、「同時刻に観える」ことと、「同時刻である」こととは、
常に明確に区別して考察を進めなくてはなりません。
あなたがおっしゃるとおり、ある時刻に観えることはその時刻に起きたことでは
ありません。そして、こういった情報伝達の遅れに基いた相対性は、
相対性理論固有のものではなく、古典的な理論の枠内で理解できる
当たり前のことがらです。
相対性理論で言う「同時刻の相対性」とは、「同時刻である」ことが
座標系に依存して相対的だというのです。
具体的に言うと、光が反射鏡に当たって戻ってくる現象において、
光が放たれた時刻と戻って来た時刻の中間の時刻が、遠くにある
反射鏡に光が到達した時刻であると、あらゆる座標系において
同様に考えるということです。なぜなら、あらゆる座標系において
光速は往きも帰りも等しいはずだからです。
すると、同時性は座標系間で共通のことではなくなります。
(詳しくは、拙論「光時計の時空構造」をご覧下さい。)
それで、当拙論の『過去と未来の相対性』の部分で述べていることは、
「現在観える」、「未来に観える」、「過去に観えた」のことではなく、
「現在である」「未来である」「過去である」のことを言っております。
「現在である」事象は少しでも「ここ」から離れれば、
いかなる座標系に基いても決して「現在観える」ことは
ありえません。
ちなみに、あなたのおっしゃる「現実の『時刻』」、『現実の時間』の「現実」とは、
何を意味するのでしょうか?「自分にとっての」ということでしょうか。
相対性理論では、客観的普遍的な「現実の」時刻や時間というものは、
存在いたしません。「自分にとっての」時刻や時間があるだけです。ただ、
地球上で暮らしている我々は、互いにたいした速度で移動していないし、
宇宙的にはとても限定された場所にかたまっているから、殆ど共通の
「現実の」時間を持つわけなのです。
..........
参考になりましたでしょうか。
村山 章
|
| 2006/07/07
村山様、ヴヴです。
早速のご返事をありがとうございます。
あまりに早いリプライに驚きました。
また、大変丁寧な解説をありがとうございます。
私の心配?は、過去・現在・未来という定義に関してのものでした。
私は現在でも、この3次元の世界には『現在』しか実在せず、「過去」
と「未来」は観念的・概念的・理論的?なものだと考えています。
しかし、この心配は私の早とちり?だったのかも知れません。
失礼致しました。
>
((自分の座標系において現在)の相手において現在)の自分は、
> 当初の自分よりも未来の自分を指している、
成る程、相手の「現在」が自分の「現在」に対応しているという事が
重要だという事ですね。…私は何気に省略して書いてしまいましたが。
>
現在、自分であろうが相手であろうが、その未来を観ることはできません。
>
自分が今観ることができるのは自分の今より過去の事象のみであり、
>
その対象が遠ければ遠いほど、より過去の事象を観ることになります。
>
「未来を観る」ということは相対性理論の枠内ではありえないことです。
これを読んで安心しました。
大変失礼な老婆心でしたが、私もこの事を書きたかったんです。
> 特殊相対性理論では、対象から観測者までの距離による情報伝達の
>
「遅れ」を考慮しています。「無限大の速度、所要時間0で情報が伝わる
>かの様に」どこに書かれているのでしょうか。
これも私の書き方が短絡的で不味かったですね。
特殊相対性理論では、観測者まで情報が伝わる時間の遅れを除外して
純粋に?それぞれの系の「時間・時刻・空間(距離)」が解説されている…
という意味です。
座標上に多くの時計と観測者(協力者)がいて、「同時刻」かどうかを
距離が離れていても同時に判定し同時刻とする…という様な概念で書かれ
ていますよね?
そういう意味で、特殊相対性理論の時空図の「同時刻」は『離れた位置
でも同時(瞬時)に判断された理論上の同時刻である』…いう事を書きた
かったのです。
>ちなみに、あなたのおっしゃる「現実の『時刻』」、『現実の時間』の「現実」とは、
>何を意味するのでしょうか?
以下は、私の「個人的な考え方」ですが、できるだけ簡潔に書くために
『断定的』に書いてしまうかも知れませんが、ご容赦願います。
静止系(観測者の系)の時空座標は、被観測物体がある時刻
t0に通過
した位置を原点として、その物体の移動方向をX軸とし、移動方向と垂直に
時間軸を設定して図解しますよね。
そして、t0からある時間が経過した「時刻」 t
と、それに対応する慣性系
(移動する物体の系)の時刻 t’との関係を式で表す訳ですね。
(空間に対してもですが)
この時、「ある時刻」での静止系と慣性系の時刻の関係がどうであろうと、
それは数式上の問題(相互関係)であって、現実には何も「相互作用」は
無い訳です。
つまり、被観測物体がどの様な速度で移動しようが、被観測物体から
見て観測者の時間や空間がどういう関係にあろうが、観測者自身の時刻や
物理的現象には何も影響しないという事です。
強いて数式と現実との「関係」が何か?と言えば「どう見えるか?何が見え
るか?」という事でしかありません。
それは「どのような過去が見えるか?」「どの様な長さに見えるか?」とい
う事でしかないという事です。
誤解が無いように補足しますが「…事でしか無い」というのは、観測者の
現実の『今』自体に影響を与える様な事象ではない…という意味です。
しかし、そこでもしも「未来が見える」という事にでもなれば初めて、これは
大変な意味(問題)を持つ事になります。
つまり、現実の『今』に関わってくる問題になるからです。
しかし、(特殊)相対性理論でも「未来が見える事は無い」という事ですから、
その心配は無いという事ですよね。
余談ですが、相対性理論(光速度不変)を超えた科学力を持った宇宙人が
光より速いミサイルで地球を攻撃してきたら、相対性理論に縛られた地球は
「過去に対して攻撃を受けて」防御のしようが無い…というジョークが現実に
なる可能性が論じられる事にもなりかねません。
全く、非科学的、非論理的な内容で、大変失礼致しました。
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ヴヴ
|
| 2006/07/08
ヴヴ様、村山です。
積極的なご意見、有難うございました。
> 静止系(観測者の系)の時空座標は、被観測物体がある時刻
t0に通過
>
した位置を原点として、その物体の移動方向をX軸とし、移動方向と垂直に
> 時間軸を設定して図解しますよね。
時間軸は、必ずしも垂直とは限りません。さらに相対性理論では、空間軸も
必ずしも水平とは限りません。一応、念のため。斜交座標系もありということ
です。ただ、数学的扱いが難しいから高校数学では直交座標系しかでてきませんが。
> 強いて数式と現実との「関係」が何か?と言えば「どう見えるか?何が見え
> るか?」という事でしかありません。
> それは「どのような過去が見えるか?」「どの様な長さに見えるか?」とい
> う事でしかないという事です。
> 誤解が無いように補足しますが「…事でしか無い」というのは、観測者の
> 現実の『今』自体に影響を与える様な事象ではない…という意味です。
>
まったくおっしゃるとおりで、
確かに、遠く離れた事象が、今のここに影響を与えることはありません。
厳密に言えば「見える」ということだって一種の影響なわけですが、
それも含めて、この場の「今」に影響を与えることは決してありません。
いかなる「相互作用」も時間を隔てて、互いに未来に対してなされている
と(少なくとも巨視的事象に関しては)言えると思います。
今、遠く離れた某国が日本本土に向けてミサイルを発射したとしても、
それは数分後の未来の日本に影響を与えるのみで今の日本には何の影響も
与えません。これは数式によっても作図によっても明らかなことです。
ただ、ミサイルは光に比べて大変遅いので、人工衛星や偵察機などが、
ミサイル発射の事実をそれが日本に届く前に知らせることが可能です。
だから、この場合、発射直後に日本に影響を与えることは可能です。
しかし、それでも、発射の数秒先の未来に影響を与えるだけで、決して
現実の『今』自体に影響を与える様な事象ではありません。
現実の『今』自体に影響を与えさえしなければ、安心ですか?
遠くで過去にミサイルがこちらに向けて発射されたと見えるだけのこと
であれば安心ですか?
私は、「どのような過去が見えるか?」ということは場合によっては
大変気がかりな事柄になると思っています。
「どの様な長さに見えるか?」ということも、将来に現実的な影響を
及ぼす事柄だと思っています。
ヴヴさんは、「今」観ることのできないものは、存在もしていないと
お考えですか?そういう考え方も一応可能ではあります。
今と同時刻に存在している事象は、距離が隔たっていれば絶対に今観れません。
それは、存在の確認のしようがないことです。それは、理論上の仮説です。
だからそんなものはまだ存在していないと言い切るか?
しかし、そう考えると、あなたという認識主体は、宇宙の頂点に立つ
中心的存在者ということになってしまいます。あなたに見られて存在確認
された他者からは、今のあなたは未来の存在だから、まだ存在していないこと
になってしまいます。
もし全ての認識主体の平等を考えるのならば、今、遠くにある事象は
たとえ今見れなくても、今と同時に存在していると考えねばなりません。
これが常識的な考え方です。
しかし、相対性理論を考慮すると、では、その「今」とは、
一体誰にとっての今なのか?ということが問題になってくると思うのです。
速度を異にする者同士では、「今」と同時刻を表す空間軸の傾きが
違ってくるからです。
> 余談ですが、相対性理論(光速度不変)を超えた科学力を持った宇宙人が
>
光より速いミサイルで地球を攻撃してきたら、相対性理論に縛られた地球は
> 「過去に対して攻撃を受けて」防御のしようが無い…というジョークが現実に
> なる可能性が論じられる事にもなりかねません。
なお、余談ですが、「過去に対して攻撃を受け」たら、
それは、光より速いミサイルであろうがなかろうが、
相手が宇宙人であろうがなかろうが、
絶対に防御のしようが無いことだと思われます。
広島・長崎に落とされた原爆は、過去に対して攻撃されているので、
現在の我々には、それを防ぐことはどうしてもできません。
これはまぎれもない現実です。
それと、宇宙人が過去に向けて発射したミサイルは、(通常の)地球人から
すると、地球からその宇宙人のいるところに向かって光速を越えて飛んでいく
物体として観測されるはずです。従ってこれは宇宙人が勝手に攻撃した
と思い込んでいるだけで、我々には攻撃されたようには観測されないから
安心していていいと思います。
村山 章
|
| 2006/07/08
村山様、ヴヴです。
>
時間軸は、必ずしも垂直とは限りません。さらに相対性理論では、空間軸も
>
必ずしも水平とは限りません。一応、念のため。斜交座標系もありということ
> です。
村山さんのサイトで、斜交座標系の例を拝見させて頂き存じております。
私が「垂直に」と書いたのは多少の意味があったのですが、「斜交座標
系もあり」というヒントを頂き嬉しく思っています。
この件は、私の方でもう少し検討してみます。
>
現実の『今』自体に影響を与えさえしなければ、安心ですか?
>
遠くで過去にミサイルがこちらに向けて発射されたと見えるだけのこと
> であれば安心ですか?
私が「安心」と書いたのは、そういう意味では無いつもりです。
座標上の関係式は…観測される現実の事象を(近似的に)良く現すと
思いますし、現実に観測される事象は(そこに遅れがあろうと)「事実」だと
考えます。
そして、「ある時刻」に対して時間や時刻や空間は系によって相対的で
ある様に見えると思います。
しかし、現実の「今」という概念について言えば…
ミサイルであろうと光であろうと、未来に対して「決定した事実」ではなく
あくまでも「今」に対しては「予測」の範疇でしかないという意味です。
ミサイルは途中で迎撃されるかも知れませんし、光も途中で遮られる
かも知れません。
決して、「今」や「未来」を確定するものでは無い筈です。
村山さんがサイトに…
『未来というものは未だ存在せず、何も決定はされていない、観念上の
世界の事でしかないという世界観をもって生きていた。
この世界観は否定しなくてはならない。』
と書かれていたのを拝見して、その世界観を否定する必要は無いのでは?
という意味で書いた事です。
>
それと、宇宙人が過去に向けて発射したミサイルは、(通常の)地球人から
>
すると、地球からその宇宙人のいるところに向かって光速を越えて飛んでいく
> 物体として観測されるはずです。
成る程、時間を逆行する物体は反対方向へ進んでいる様に見えるという
考え方ですね。
これは私には思いつかない発想でした。
この考え方でタイムマシンを検討すると面白いストーリーができそうですね。
ミサイルの例で言えば、地球がミサイルで破壊された後に、破壊されてい
ない元の地球に戻って、ミサイルが宇宙へ戻っていく・・・という事になる訳
ですね。
お気づきだと思いますが、このジョークは、相対性理論では光速度より速い
速度を、どの様に解釈するのか?という事で思いつきました。
私は、「ミサイルが未来から飛んできた様に見える」と考えていました。
普通のタイムマシンの考え方です。
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ヴヴ
|
| 2006/07/09
ヴヴ様。
まいど、どうも、村山です。
> しかし、現実の「今」という概念について言えば…
> ミサイルであろうと光であろうと、未来に対して「決定した事実」ではなく
>
あくまでも「今」に対しては「予測」の範疇でしかないという意味です。
> ミサイルは途中で迎撃されるかも知れませんし、光も途中で遮られる
> かも知れません。
> 決して、「今」や「未来」を確定するものでは無い筈です。
>
私は、現実の具体的な世界が、物理学の方程式などのみで機械的に決定される
とは思っていません。そういう場合もありますが限定された純粋な条件下でのことだと
思っています。実際は様々な要因が複雑に交錯し、時には人間の自由意志のような
ものがその過程に介在することもありえます。私は、未来が何らかの方法で完全に
予測できるかという点については懐疑的です。ある程度機械的に予測できる場合も
あるけれど、殆ど不可能な場合もあると思っています。
ただ、過去について、私はそれら複雑な過程を展開してきた事象は決まっていると
考えています。自由な意志がどう発揮されたかも決まっていることだと考えます。
これが私の選んだ大前提で、これを否定した場合は、まったく別の世界観を展開
しなくてはならないでしょうが、これは恐ろしく大変なことだと思われます。
その上で、過去と未来の境界(即ち現在)は何かという問題にぶちあたったわけです。
私の現在とあなたの現在は、殆ど完璧に一致していると思われます。もし私が
アメリカ上空を飛行機で飛んでいて、あなたが日本の自宅で座っていたら、その完璧さ
はやや揺らぎますが、殆ど一致しています。ただ現代の人類の技術水準で検知可能な
誤差は含みます。もし私が数光年彼方で宇宙船に乗って、秒速十万キロメートルくらい
で飛行していたら、かなり顕著な違いがでてきます。あなたの現在と、私の現在は
異なるのです。
すると、あなたの立場も私の立場もともに認めるのならば、未来も、過去と同様に
決まっていると考えざるをえません。しかし、それは決して機械的に決定されている
ということではないのです。自由意志は存立しています。ただ、どのような自由意志が
働くのかということ自体が決まっているということにすぎません。
過去に何を考えたかということが決まっていることだとすれば、未来に何を考えるか
ということも決まっていることだと判断せざるをえません。それが、私が「同時刻の
相対性」から得られた結論です。ただ、それがどのように具体的に決まるのかを
予測できるかと言えば、一般に予測はできません。「予測可能」ということと、
四次元的に「決定している」ということとは、別の事柄です。
私の問題提起は、狭い地球上でたまたま我々が共有している「現在」こそが
絶対であると考えるのか、宇宙的コスモポリタニズムに立って、全ての座標系は
平等で、宇宙には様々な「現在」があると考えるのか、ということです。
言わば、天動説か地動説かの問題に似たようなことなのです。
天動説は、真の静止基準である「ここ」は、宇宙ではこの大地でしかないと考えたのに対し、
地動説は、宇宙には無数の平等な「ここ」があると主張しました。
ニュートン力学までは、宇宙には唯一の「今」しかないと考えられて来ましたが、
相対性理論は、宇宙には無数の「今」があると言っているのです。
私は、地動説支持派なわけです。
ヴヴさんは、我々の「今」のみが唯一絶対だとお考えですか?
> この考え方でタイムマシンを検討すると面白いストーリーができそうですね。
> ミサイルの例で言えば、地球がミサイルで破壊された後に、破壊されてい
>
ない元の地球に戻って、ミサイルが宇宙へ戻っていく・・・という事になる訳
> ですね。
>
> お気づきだと思いますが、このジョークは、相対性理論では光速度より速い
>
速度を、どの様に解釈するのか?という事で思いつきました。
> 私は、「ミサイルが未来から飛んできた様に見える」と考えていました。
> 普通のタイムマシンの考え方です。
遠くの宇宙人が、高速で、地球から遠ざかりながら、光速を越えるスピードで
地球に向けてミサイルを放った場合、その宇宙人からは、そのミサイルは
現在から未来に向けて移動していると判断されるのに、地球からはそのミサイルは、
未来から過去に向かっていると判断されるようなケースがありえます。
ただ、地球人からはこのミサイルは、地球から超光速で宇宙人のところに
向かう物体と観測されることになります。
つまり、光速を越える世界線は、どちらの端が過去側で、どちらの端が未来側に
なるかは座標系によっていずれにもなりえるということです。
ともあれ、地球人はミサイルによって地球が破壊されたとは考えないでしょう。
何故か散り散りになって昔から存在していたかけらが集まって
いきなり建物とかが突然出来上がり、破片が集まってミサイルが出来上がり、
後ろ向きに上空に飛び去った事件として捉えるでしょう。
しかし、このようなエントロピー増大の法則に反する現象は未だ発見されて
いないということは、とりあえずこのような攻撃は受けていないのでしょう。
素粒子論などでは、反粒子は、未来から過去に向かっている粒子だと
解釈されたりすることがあります。時間の矢の問題ですが、奥が深そうです。
村山 章
|
| 2006/07/09
村山様、ヴヴです。
私は、観念的には、私の「今」も宇宙の果ての「今」も同じだと
思います。
これは、「光速度不変」よりも確かなものに感じます。
ただ、事象の伝達速度が光速度を超えられず、「今」を共有する
事が不可能で、他の系のとの時刻の差が距離の隔たりによる
「遅れ」未満であるなら、各々の「今」に差があっても無くてもかま
わない…という考えです。
お互いに、相手の過去としか関係を持てない訳ですから。
村山さんからのメールを私が読む時、村山さんの過去の作業を
見ているという事で、私がメールを書くという事は、村山さんの未来の
「読む」という作業に対して書いているという事ですよね。
この、過去と未来の関係が崩れない限り、私の「今」と村山さんの
「今」がどの程度ずれていようと、全く問題を感じません。
これが、メールよりも同時性が高い「電話」であろうと、対面しての
直接会話であろうと、「時刻の差が、距離の隔たりによる遅れ未満」
であるなら…という意味です。
話は全然飛んでしまうかも知れませんが、私が子供の頃…多分
小学生の頃だったと思いますが、こんな事を考えました。
この世界には1秒前の世界も実在しないし、1秒後の世界も実在
せずに「今」だけが存在している。
宇宙が始まって何百億年もの歴史の中で、唯一存在している「今」
に何故「私」は生きているのだろう?
百年前の人も、その時代に生まれて、その時代の「今」を生きて
いただろうし、千年前の人も同じだっただろう。
百年後の人もそうだろうし、千年後の人もそうだろう。
私が千年前の事を考えるのと同じ様に、千年後の人にとっては、
「今」の私は千年前の過去の話でしか無いだろう。
それなら、「今」って何だろう?今を生きている自分の存在って何
だろう?
逆に、こんな事も考えていました。
自分の目に見える「色」って何だろう?
光が網膜を刺激して、光の波長を神経が信号に換えて脳に伝えて、
脳の中で信号の違いから「色」というイメージを創り出している。
決して光の「色」がそのまま神経を伝わって脳に写る訳では無い。
であれば、私が見ている…つまり脳がイメージしている「赤」と
他の誰かの脳の中に創り出しているイメージが「同じモノ」だと限ら
ないし、同じか違うかを確認する方法もない。
誰かが見ている「赤」が、私が見ている「黄色」や「青」であっても、
赤い色を見て、誰もが「赤」だと認識できれば、それで何も問題は
無いのだから…
ところで、一つ教えていただきたい事があります。
貴サイトの「相対性理論と同時刻の相対性」の
”3.ローレンツ座標変換”の『図3・2』で、
点PのX軸とX’軸の間の距離が「vx」となっていますよね?
このvxとは何を指すのでしょうか?
v(速度)かけるx(距離)は「時間」にならないと思うのですが…
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ヴヴ
|
| 2006/07/10
ヴヴ様、村山です。
> 私は、観念的には、私の「今」も宇宙の果ての「今」も同じだと
> 思います。
> これは、「光速度不変」よりも確かなものに感じます。
「観念的には」という言葉をどういう意味で使われているのか
わかりませんが、少なくとも21世紀初頭の今日におけるまでに
おいては、「私の「今」も宇宙の果ての「今」も同じだ」というのが
一般的観念になっていると思います。それで日常生活に特に
支障はきたしません。「光速度不変」も、GPSの仕組みに思いを
馳せたり、粒子加速器のことを考えたりしなければ、知らなくても
日常困ることではないと思います。
かつて、太陽をはじめとする全ての天体は、地球を中心に周って
いるというのが一般的観念になっていました。地球が太陽の周り
を周っているなんてややこしいこと考えるよりも、お日様は東から
昇って西に沈むと考えていた方が分かりやすくて便利です。
ただ、火星や土星に探査機を送ったりしている今日、この観念を
保持していると、ちょっと肩身が狭くなってしまいますね。
「同時刻の相対性」が常識的通念になるには、人類は、少なくとも
もっと遠くで、もっと速く移動する技術が獲得されることが前提に
なると思います。ただ、学問的な理論や思想は、そのような技術に
何百年も先行してしまうことはめずらしいことではありません。
プトレマイオスやガリレオの時代に月や火星にロケットを飛ばす
ことなど考えられませんでした。
>
> ただ、事象の伝達速度が光速度を超えられず、「今」を共有する
>
事が不可能で、他の系のとの時刻の差が距離の隔たりによる
>
「遅れ」未満であるなら、各々の「今」に差があっても無くてもかま
> わない…という考えです。
> お互いに、相手の過去としか関係を持てない訳ですから。
>
> 村山さんからのメールを私が読む時、村山さんの過去の作業を
>
見ているという事で、私がメールを書くという事は、村山さんの未来の
>
「読む」という作業に対して書いているという事ですよね。
> この、過去と未来の関係が崩れない限り、私の「今」と村山さんの
>
「今」がどの程度ずれていようと、全く問題を感じません。
> これが、メールよりも同時性が高い「電話」であろうと、対面しての
>
直接会話であろうと、「時刻の差が、距離の隔たりによる遅れ未満」
> であるなら…という意味です。
>
私とあなたとが何十光年も離れて私があなたに光速の半分の速度で
近づきながら、光速通信でメールのやりとりをした場合でも、
やはり互いに過去を知り、未来に伝達する関係が続くわけです。
最初は何十年も待たないと相手から返事がこない状態から徐々に
数年待てば返事がくるようになります。この間、互いに「今」を共有は
していませんが、それは互いの通信に何の支障もきたさないだろうし、
互いに自分の「今」が真の今だと思いあっていても問題は起きないと
思います。
私が問題提起してきたことは、そのような実用上の問題ではなく、
理論的に考えて、この世界はどうなの?ということです。
実用上の問題さえなければそれでいいではないか、というのも、
それも一つの考え方であることは認めます。
> この世界には1秒前の世界も実在しないし、1秒後の世界も実在
> せずに「今」だけが存在している。
私も、かつてこのように考えていたときがありましたが、今は、この
考えは相対性理論とは両立できないと思っています。ただ、私の
意識にとっては、これはやはり厳然たる事実です。
だから、そもそも「私の意識」って何なの?という問題と関わって
くると思います。
> 宇宙が始まって何百億年もの歴史の中で、唯一存在している「今」
> に何故「私」は生きているのだろう?
> 百年前の人も、その時代に生まれて、その時代の「今」を生きて
> いただろうし、千年前の人も同じだっただろう。
> 百年後の人もそうだろうし、千年後の人もそうだろう。
> 私が千年前の事を考えるのと同じ様に、千年後の人にとっては、
> 「今」の私は千年前の過去の話でしか無いだろう。
> それなら、「今」って何だろう?今を生きている自分の存在って何
> だろう?
「今」とは何か?これは「私」とは何か?と同じくらい難しい問題だと
思っています。少なくとも物理学理論だけから、「今」とは何かを
説明することはできないと多くの物理学者が言ってます。
>
> 逆に、こんな事も考えていました。
>
> 自分の目に見える「色」って何だろう?
> 光が網膜を刺激して、光の波長を神経が信号に換えて脳に伝えて、
>
脳の中で信号の違いから「色」というイメージを創り出している。
> 決して光の「色」がそのまま神経を伝わって脳に写る訳では無い。
> であれば、私が見ている…つまり脳がイメージしている「赤」と
>
他の誰かの脳の中に創り出しているイメージが「同じモノ」だと限ら
> ないし、同じか違うかを確認する方法もない。
> 誰かが見ている「赤」が、私が見ている「黄色」や「青」であっても、
>
赤い色を見て、誰もが「赤」だと認識できれば、それで何も問題は
> 無いのだから…
これは、昔から論じられてきた問題の一つですね。ロックやヒューム
などは第二性質と言ってました。最近では、「クオリア」という用語を
使うのが流行っているようです。
人の顔や体には微妙な個人差があるんだから、「赤」の見え方だって
個人差があるんじゃないかと思いますよね。でも、どう違うのかを
確かめたかったら、色々な人の意識に乗り移るみたいなことでも
しない限りできそうもありません。これはとても高度な問題だと思います。
> 貴サイトの「相対性理論と同時刻の相対性」の
> ”3.ローレンツ座標変換”の『図3・2』で、
> 点PのX軸とX’軸の間の距離が「vx」となっていますよね?
> このvxとは何を指すのでしょうか?
> v(速度)かけるx(距離)は「時間」にならないと思うのですが…
とてもいいところに気付かれましたね。ここの速度vは、通常の速度
単位(m/秒とか)ではありません。時間も秒とかではありません。
第一節で説明しているように、光が1メートル進むに要する非常に短い時間、
3億分の1秒(光速分の1秒)を時間の1単位としております。すると速度は、
光速に対する比の値として表現されます。最大値が1になるわけです。
また、時間の単位はこうすることで空間と同じ単位を使うことが可能に
なります。つまり時間も例えばメートルで表せるのです。この背景には
光速不変の原理があります。光速は物理定数で、空間単位と時間単位の
換算係数の役割を果たすのです。こうすることで、時空が幾何学的に
扱いやすくなります。
「vx」というのは距離xにこの比の値をかけているわけですが、時間は、
空間と同じ単位次元を持っているのでこれでいいのです。
もし、通常の速度単位を使うとこの式は、「(v/c)x」となります。
紙数に制限のある誌上の論文で、説明が不十分だったかもしれません。
最近は、このような光速が1となるような単位系で相対性理論を説明する
教科書が増えてきております。この方が、式が簡潔になり、時空図との
対応が付けやすいからです。
一般相対性理論の解説では殆どこうしてます。
ちなみに、tやvを通常の単位系にして、光速cを使って表現すると、
S系からS’系 へのローレンツ変換
ct’ = γ (ct − (v/c) x)
または、t’ = γ
( t − (v/c^2) x)
x’ = γ ( x − (v/c)ct)
または、x’ = γ
( x − vt )
S’系からS系 へのローレンツ変換
ct = γ (ct’+ (v/c) x’)
または、t = γ
( t’+ (v/c^2) x’)
x = γ ( x’+ (v/c)ct’)
または、x = γ
( x’+ vt’)
ただし、
γ = 1 / √(1−(v/c)^2)
となります。
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村山 章
|
| 2006/07/10
村山様、ヴヴです。
歯切れの悪い回答(主張)ばかりで申し訳ありません。
私自身が、特殊相対性理論について、理解不足や勉強不足が
あり、いまだ疑問があり、誤解している部分もあろうかと思います。
また、相対性理論の私自身の解釈自体、いまだ自分で結論が
出せていません。
また、自分なりの考え方も検証途中なんです。
なので、今の段階では「感覚的」な結論しか述べられないのです。
私が子供の頃に考えていた事が、きちんと学問的に確立されて
いた事だと知って驚きました。
私は学問らしい学問は経験がないので、同じ事を示すのに変な
用語を使っているのではないかと心配していましたが、村山さん
はその内容から的確に教えて下さるのでとても感謝しています。
「今」の問題に関しては、今までのやりとりで村山さんには充分
伝わっていると思いますが、敢えて繰り返せば…
特殊相対性理論は(空間的にも時間的にも)ある限定された
範囲でのみ有効だと考えています。
そして、時刻の問題で言えば、時刻t
は「任意の時刻」であって
その時刻t
に対しての「過去」や「未来」はあっても、現実の「今」
との対比は無意味だと思います。
それは、現実に「どの様に観測されるか?相互関係にあるか?」
という事象に対して必ず「過去」にしか成り得ないからです。
つまり、時刻t
を「今」でも「明日」と仮定しても数式は成り立ちますが、
実際の観測(相互関係)では(必ず過去なので)対比する意味が無い
という事です。
それと、まだきちんと説明できないのですが、特殊相対性理論
には疑問が残っています。
光速度不変でなくても「時間の遅れ」や「空間の縮み」は説明
可能で、その場合は「同時刻の相対性」という時刻のずれを考える
必要がなくなります。…発生するのは「遅れと縮み」だけです。
>速度は、光速に対する比の値
成る程、つまりX軸のXをcと置けば、vxがvになる訳ですね。
>時間の単位はこうすることで空間と同じ単位を使うことが可能に
>なります。つまり時間も例えばメートルで表せるのです。この背景には
>光速不変の原理があります。
実は、私の疑問の一つはまさにこれなんです。
相対性理論の時空図のX軸も時間軸も、光速度不変から、事実上
『光が進む距離に目盛をふったもの』なんですよね。
特殊相対性理論以前は、時間軸はこの世界(3次元空間)とは別の
ものでした。
ところが、光速度不変を前提にすると、空間も時間も「光の移動距離」
となって、時間にも『物理的な長さ』が生まれるんですよね。
そこで、ローレンツ変換式の『√(1−V2/C2)』が何を指しているのか?
が問題になります。
√(1−V2/C2)
=√(C2/C2 − V2/C2)
=√((C2 − V2)/C2)
=√(C2 − V2) / C
…つまり、斜辺C、底辺Vの直角三角形の『斜辺と高さの比』です。
この結果は、時空図を見れば一目両全ですよね。
とすれば、X軸と時間軸は「垂直」である必要があるのではないでしょうか?
時間軸が垂直でなくても(斜交座標)でも、この√(1−V2/C2)を導き出す
事は可能でしょうか?
これが、私の一つの疑問です。
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ヴヴ
|
| 2006/07/11
ヴヴ様、村山です。
> 特殊相対性理論は(空間的にも時間的にも)ある限定された
> 範囲でのみ有効だと考えています。
これは「一般相対性理論に比べて限定された範囲である」という意味
ではなさそうですね。量子論の必要な領域に対置された意味でも
なさそうですね。となると、どういう意味か。。。。。?
特殊相対性理論が無効な範囲というのは、具体的にはどのような
ものを想定されているのでしょうか?
もちろん、日常的な世界での時間・空間に特殊相対性理論を適用
する必要はありません。しかし、これは「不要」ということであって
「無効」ではありません。
> そして、時刻の問題で言えば、時刻t は「任意の時刻」であって
> その時刻t に対しての「過去」や「未来」はあっても、現実の「今」
> との対比は無意味だと思います。
> それは、現実に「どの様に観測されるか?相互関係にあるか?」
> という事象に対して必ず「過去」にしか成り得ないからです。
> つまり、時刻t を「今」でも「明日」と仮定しても数式は成り立ちますが、
> 実際の観測(相互関係)では(必ず過去なので)対比する意味が無い
> という事です。
>
その通りだと思います。物理学は「任意の時刻」を扱うのであって、
「今」を扱ってはいないと思います。そして、任意の時刻に、
今、とか、明日の何時何分何秒とかを我々が代入して解釈している
のだと思います。
また、我々に得られる観測データは全て過去の事象です。
この点に関しての認識の違いは私とヴヴさんの間にはないと
思われます。
おそらく、最大の相違点は、現実の「今」をどう解釈するかに
関わっていそうですね。
私は、現実の「今」は、共同主観であって、全宇宙的な意味での
客観的な唯一性はないと判断しています。
ヴヴさんは、客観的な唯一性があると考えておられるように
とれますが、「観念的には、」とも述べられておられるので、
ちょっとわからないところもあります。
これは、実は、四次元時空の存在論をめぐる問題で、現代の
哲学界でもホットなテーマの一つにもなっているのです。
これをめぐる国際会議もあって、今年の6月、私も参加して
きました。
同時刻の相対性は、単なる規約にすぎないんじゃないの?
といった主張もあります。(conventionalismといいます。)
いろいろ喧々諤々やっている話題なのです。
> それと、まだきちんと説明できないのですが、特殊相対性理論
> には疑問が残っています。
> 光速度不変でなくても「時間の遅れ」や「空間の縮み」は説明
> 可能で、その場合は「同時刻の相対性」という時刻のずれを考える
> 必要がなくなります。…発生するのは「遅れと縮み」だけです。
>
相対性理論が発表された当初から、そのような試みは繰り返されて
無数の残骸を残してきているという歴史的事実はあるみたいです。
「光速度不変」を否定すると、電磁気学の方程式から導かれる光速
とは、どの系に対するものなのか、宇宙に絶対不動のエーテルは
あるのか、地球がそのエーテルに対して静止しているみたいに観測
されるのは何故なのか、等々、散々議論されてきた問題をまた
やり直すことになると思います。
光速不変を前提に設計されたGPSや、粒子加速器や、惑星探査
計画が何故成功してしまっているのかを、光速不変でないことを
前提に説明しなくてはならないというとてつもなく難しい課題を
抱えることになります。少なくとも私はそのようなことをやり遂げる
自信はありません。
> そこで、ローレンツ変換式の『√(1−V2/C2)』が何を指しているのか?
> が問題になります。
> √(1−V2/C2)
> =√(C2/C2 − V2/C2)
> =√((C2 − V2)/C2)
> =√(C2 − V2) / C
> …つまり、斜辺C、底辺Vの直角三角形の『斜辺と高さの比』です。
> この結果は、時空図を見れば一目両全ですよね。
そうです、三角比における正接を表していますね。
>
> とすれば、X軸と時間軸は「垂直」である必要があるのではないでしょうか?
> 時間軸が垂直でなくても(斜交座標)でも、この√(1−V2/C2)を導き出す
> 事は可能でしょうか?
このような直交座標系にのみ着目して考えれば、直角三角形の三平方の定理
が適用できます。しかし、斜交系もありです。一般性がないのです。
三平方の定理が成立するのは、ユークリッド空間に限られます。
実は特殊相対性理論で扱われるミンコフスキー時空は、ユークリッド空間では
なく、と言ってリーマン空間ほど、かけ離れてはいないので、擬ユークリッド空間
とも呼ばれています。
ユークリッド空間では、原点から等距離にある点の集合は、円や球面になり
ますよね。これが三平方の定理の成立を支える基本構造になっています。
つまり、半径を r として、 r^2 = x^2 + y^2 なわけです。この半径と
いうのはどちらを向いても長さが変わらない不変距離です。
しかし、ミンコフスキー時空では、不変時空距離s なるものが、この半径の
ような働きをして、 s^2 = x^2 − t^2 が成り立つものとなっています。
(もしくは、不変時空時間τ なるものが、この半径のような働きをして、
τ^2 = t^2 − x^2 が成り立つものとなっています。)
そして、原点から等時間ないし等距離にある点の集合は、双曲線やそれを
回転させたすり鉢状の曲面ということになります。
当サイトの「ミンコフスキー時空座標系の動き」では黄色の線で表しています。
これが、ユークリッド空間の円に相当しています。
すると、ユークリッド空間の基準に照らすと、光の世界線に傾くほど、ある一定の
原点からの時間や長さは間延びしていることになります。この間延びの割合が、
γ = 1 / √(1−(v/c)^2)
になっています。
ところで、ミンコフスキー時空のもとで、「直交」概念が再定義されることがあります。
つまり、光の世界線を軸に対称であるような関係を「直交」とするのです。
数学的には内積が零のベクトルは直交するとされるから、ベクトルの内積
自体を再定義してしまいます。こうすると、時間軸と空間軸は常に
「直交」していることになります。つまり、「直交」の概念が拡張されたわけです。
幾何学そのものが変わってしまっているのです。だから、斜交座標で、
ユークリッド幾何学特有の三平方の定理を使って考えていくことは無理なのです。
むずかしかったかな?(^^; うまく説明できなかったかも。
この点に関しては、やや、専門的な教科書を参考にする必要があります。
村山章
|
| 2006/07/11
村山様、ヴヴです。
>
特殊相対性理論が無効な範囲というのは、具体的にはどのような
> ものを想定されているのでしょうか?
一般相対性理論の知識は、せいぜい「重力を扱ったもの」程度ですし、
量子論も門外漢なので、全くイメージだけなんですが…
特殊相対性理論は相対的に「等速直線運動」している場合にのみ
有効ですよね。
複合的な運動の「等速直線」部分…というのもあるのかも知れませんが。
例えば、某著名な物理学者の著書で特殊相対性理論の翻訳本では、
「どんなルートを通っても、出発点に戻ると慣性系の時計は(実際に)遅れ
ている」という様な事が書かれています。
でも、出発点に戻るには、進行方向を曲げるために加速度が必要に
なりますし、その都度座標のX軸を進行方向に合わせて座標を回転させる
訳ですよね。
ところが、その本では、そういう事は全く影響が無いかの様に書かれて
います。
加速度による影響や座標軸を回転させる事による影響を差し引いても、
特殊相対論による「遅れ」は累積され、出発点に戻った時に「現実」に
時計が遅れているとは、私には到底信じられないのです。
何故なら、特殊相対性理論の範疇では系に物理的な影響が発生しない
のですから、物理的に(実際に)時計が遅れるなんて事がある筈がない
と思うからです。
そんな事を意識して「限られた範囲で有効」という表現を用いました。
「今」という話題にはあまり関係無い事かも知れません、混乱を招く
表現でした。
>
私は、現実の「今」は、共同主観であって、全宇宙的な意味での
> 客観的な唯一性はないと判断しています。
> ヴヴさんは、客観的な唯一性があると考えておられるように
正直言って、これほど真剣に「今」を考えた事が無かったので…
でも、村山さんとやりとりをしていて、非常に勉強になりますし、また
自分の考え方と面と向かう事ができて楽しいです。
自分自身の「意識」は「今」にしか存在しませんよね。
自分がそうであれば、他の人も同じだと思います。
そして、人と話をしたりするというのは「意識」が同時に存在するから
ですから、自分の「今」と相手の「今」は同時に存在している筈です。
この3次元の地球に生きている全ての人の「意識」も同時に「今」に
存在していると考えるのが自然だと思います。
そういう意味では「共同主観」という言葉には共感します。
(この用語を学問的に正確に知っている訳ではないのでイメージですけど)
既に書いた事ですが、電話やメールや、もっと時間がかかる場合は、
お互いの「今」がずれていても、前後関係が崩れなければ問題ないし、
ずれているかを確かめる術もありません。
「理論的にずれている」と言われれば「そうなんですか…」と答えるしか
ないというのが正直な所でしょうか。
「時間」は、運動を表すために必要な「物差し」ですから、単位に対して
厳密な定義が必要で、今では原子の何かの周期で定義されているんでしたよね。
一方、「今」というのは、時間の上を絶えず流れていますよね。
「今」はどんどん「過去」になって行く訳です。
そういう意味では「過去と未来の境界」なんですが、巾が無い「瞬間」と
考えるとイメージと一致しない気がします。
例えば、「点」とか「線」は、厳密には面積がありませんから物体としては
存在しない訳ですね。
でも、一般的には「・」とか「─」とかのイメージで考えます。
「今」も、時間的長さ=0の瞬間(境界)として考えると、現実の「今」の
イメージと違ってくると思うのです。
テレビや映画の様に、瞬間瞬間の静止画が並んで、切り換わって動いて
いる訳ではなく…意識の中の連続した時間の巾の中で「動いている」状態
が推移していく様なイメージです。
>これをめぐる国際会議もあって、今年の6月、私も参加してきました。
凄いですね!
そんな方とメールのやり取りができて、親切に色々教えて頂ける事に
大変感謝しています。
> 相対性理論が発表された当初から、そのような試みは繰り返されて
>無数の残骸を残してきているという歴史的事実はあるみたいです。
貴サイトの冒頭にも書かれていましたし、あちこちで聞かされます。
でも、私は私の疑問や考え方を追及して、調べたり勉強したり考えたり
するのが楽しいのです。
確かに、調べれば調べるほど、自分の思いつきに矛盾があったり、
新たな発想で解消したり、新たな問題が出てきたり…大変です。
勉強していった結果、自分の発想が挫折するかも知れませんし、
一生結論が出ないかも知れません。
でも、そんな好奇心があるからこそ、村山さんともメールのやりとりが
できたりしている訳で、こんな出会いが私にとって大変貴重な体験です。
そして、「素人が思いつくような疑問は、遠い昔に既に解決済み」という
言葉を何度も聞いていますが、素人な私の疑問を明確に解消してくれる
情報や回答にはなかなかたどり着けません。
そういう面でも、村山さんのご回答は非常に的確で親切で分かり易く、
大変感謝しています。
お手間とお時間を割いていただき、申し訳なく思っています。
>電磁気学の方程式から導かれる光速とは、どの系に対するものなのか、
>宇宙に絶対不動のエーテルはあるのか、地球がそのエーテルに対して
>静止しているみたいに観測されるのは何故なのか、等々、散々議論され
>てきた問題をまたやり直すことになると思います。
> 光速不変を前提に設計されたGPSや、粒子加速器や、惑星探査
>計画が何故成功してしまっているのかを、光速不変でないことを
>前提に説明しなくてはならないというとてつもなく難しい課題を
>抱えることになります。
まさに、私の疑問てんこ盛りの話題ですが、色々書くと話が発散してしまい
ますので、これらの件は私の方できちんとまとめてから質問させて頂ければ
と思います。
貴重なお時間を潰してしまう事になると思いますが、お時間が空いて
気が向いた時にでもお相手して頂ければ幸いです。
>こうすると、時間軸と空間軸は常に「直交」していることになります。つまり、
>「直交」の概念が拡張されたわけです。
イメージ的には、3次元の3つの軸に対して「直交」した時間軸を作り上げて
s^2 = x^2 − t^2が成り立つと定義した訳ですね。
「ミンコフスキー時空」は貴サイトを拝見するなどして勉強しようと思います。
ところで、光速度不変という事は、光源の運動に関係なく、観測者に対して
光が光源から発射された瞬間から、観測者の系のその地点から光速度cで
伝播して行く訳ですよね。
例えば、XとYの2次元平面座標上の原点からX軸にそって光源が速度vで
移動していったとします。
光源が原点を通過した瞬間に発した光は、原点を中心にした円状に伝播
していく訳ですよね。
時刻t には、光の伝播円は半径ct
の円になります。
この時、光源はX軸上のX=vt の位置にあります。
すると、光源から伝播円の円周までの距離は、進行方向が(c−v)t、
後方は(c+v)t、光源から進行方向に垂直な方向では√(c2−v2)となり
ますよね。
ちなみに、Y軸上(X=0)の位置との距離は√(c2+v2)となります。
これらの長さと半径=ct
との比が、相対的な時間および空間の比となる
のではないかと思いますが、正しいでしょうか?
正しいとすれば、前後左右の4方向以外の、連続した円周との関係式も
ローレンツ変換式と一致するのでしょうか?
--------------------------------------------------
ヴヴ
|
| 2006/07/12
ヴヴ様、村山です。
> 特殊相対性理論は相対的に「等速直線運動」している場合にのみ
> 有効ですよね。
> 複合的な運動の「等速直線」部分…というのもあるのかも知れませんが。
>
> 例えば、某著名な物理学者の著書で特殊相対性理論の翻訳本では、
>
「どんなルートを通っても、出発点に戻ると慣性系の時計は(実際に)遅れ
> ている」という様な事が書かれています。
> でも、出発点に戻るには、進行方向を曲げるために加速度が必要に
> なりますし、その都度座標のX軸を進行方向に合わせて座標を回転させる
> 訳ですよね。
> ところが、その本では、そういう事は全く影響が無いかの様に書かれて
> います。
> 加速度による影響や座標軸を回転させる事による影響を差し引いても、
>
特殊相対論による「遅れ」は累積され、出発点に戻った時に「現実」に
>
時計が遅れているとは、私には到底信じられないのです。
具体的な出典は、わかりませんが、たぶん、双子のパラドックスで言われている
行って戻って来た兄の経過時間が地球に留まっていた弟より短いという
問題のことと理解していいですね。
しばしば、加速が関係していることは、一般相対性理論で考えなくては、
問題が解けないと考えている人がいるみたいですが、物理学者は
そうは考えていません。特殊相対性理論の範囲で、加速する時計の
問題は解けます。どうしても一般相対性理論が必要になるのは、重力
の存在によって歪んでいる時空を扱わねばならない場合です。
重力の影響で歪んでいない時空上の事柄は、特殊相対性理論で
取り扱い可能な範囲だとみなされています。もちろん、一般相対性理論
を使っても解けますが。
この場合、加速系は、多くの等速直線運動系の集まりとみなせます。
この発想で最も単純化した場合は、行った先で瞬時に折り返した
とみなし、二つの等速直線運動系に分ける場合だと思われます。
ここで、拙サイトの、
「重力を思う (落ちて行く実感からの一般相対性理論) 」
10.測地線と時空の計量 の 図6
を観ていただきたいのですが、真っ直ぐAOBとたどる時間よりも、
折れ曲がって進むACBの方が(見た目に反して)短いのです。
前回も説明したように、これがミンコフスキー時空の計量的性格で、
図5のユークリッド空間と違うところなのです。
「双子のパラドックス」については、拙サイトの、
「双子のパラドックスについて」を参照していただいてもいいですが、
それよりも、ここでも引用して紹介している、
松田卓也・木下篤哉共著の「相対論の正しい間違え方」
を読まれることをお勧めいたします。相対性理論のありがちな疑問や
勘違いについて丁寧に解説されています。
> 何故なら、特殊相対性理論の範疇では系に物理的な影響が発生しない
>
のですから、物理的に(実際に)時計が遅れるなんて事がある筈がない
> と思うからです。
>
互いに等速直線運動で行きっぱなしの系同士であれば、互いに相手の
時計が遅れていると判断しあうだけの関係ですが、戻ってくれば、
物理的に(実際に)戻って来た側の時計が遅れていることを互いに
確認するはずです。
「系に物理的な影響が発生しない」の意味が今ひとつはっきりしませんが、
特殊相対性理論の範疇でも、はっきりとした物理的影響はあると思います。
高速で飛ぶ宇宙線粒子や加速器で加速された粒子の寿命が長くなっている
のはその一例ではないでしょうか。
> 正直言って、これほど真剣に「今」を考えた事が無かったので…
> でも、村山さんとやりとりをしていて、非常に勉強になりますし、また
> 自分の考え方と面と向かう事ができて楽しいです。
そう言っていただけると嬉しいです。
> 自分自身の「意識」は「今」にしか存在しませんよね。
私はこの点では、違う考えを持っています。自分自身の「意識」は過去にも
未来にも存在していると思っています。(もちろん、生まれてから死ぬまで
の間だけですが。)
ただ、我々は、殆ど共通の同時性のもとで暮らしているから、
自分たちの「今」だけが唯一絶対だと思い込んでいるのではないか
と考えています。つまり、3次元の唯一の「今」は「共同幻想」ではないかと
考えています。でもこういう考え方は、まだ少数派だと思います。
ヴヴさんの方がメジャーな考えだと思います。
> 既に書いた事ですが、電話やメールや、もっと時間がかかる場合は、
>
お互いの「今」がずれていても、前後関係が崩れなければ問題ないし、
> ずれているかを確かめる術もありません。
遠く離れた事象の前後関係は座標系次第で崩れます。前後関係が
崩れないのは光円錐の内側の事象だけです。でも光速を越えられない
という条件があるから、因果関係に影響はおよびません。
また、お互いの「今」がずれていることを確かめる術は、あると私は
思っていますが、それは理論を介したことにすぎないことだと言われれば、
「そうなんです…」と答えるしかないというのが正直な所です。
> 「時間」は、運動を表すために必要な「物差し」ですから、単位に対して
>
厳密な定義が必要で、今では原子の何かの周期で定義されているんでしたよね。
国際単位系で、一秒とは、「セシウム133の原子の基底状態の2つの超微細準位
の間の遷移に対応する放射の周期の91億9263万1770倍に等しい時間」
と定義されているみたいです。(磁場零、絶対零度の条件下で。)
ここから光速という定数を使って長さの単位も定義されています。
> そういう意味では「過去と未来の境界」なんですが、巾が無い「瞬間」と
> 考えるとイメージと一致しない気がします。
私も同感です。幅零の「今」なんてのは、数理的に考えられる対象でしか
ないと思っています。それに、その幅は、生物種によっても違いがあり、
個人差もあり、同一個人においても場合場合で微妙に違いがあるのでは
と考えています。
私は、そういうある程度幅のある「今」でもって、四次元時空を過去から
未来にスキャンしているのが意識ではないかと考えています。
もちろん、まだ、とてもマイナーな考え方で、たぶん、多くの人からは
受け入れられないだろうとは思うのですが、少なくとも、理論的には、
それが一番しっくりくるのです。もちろん、悩みや迷いがなくなってしまって
いるわけではありませんが、たとえ仮説でも、とりあえずその方向で、
考えられるだけ考えてみようじゃないか、と思っている状況です。
> 凄いですね!
ただ、野次馬的に行ってみただけです。私には、何の権威も、実績も
ありません。私もあなた同様、まったくの素人で、おまけに文学部出身です。
> でも、私は私の疑問や考え方を追及して、調べたり勉強したり考えたり
> するのが楽しいのです。
私も、実は、あなたと同じような疑問を持ったり、勘違いをしたりして、
色々悩んできた者の一人です。そして、今でも勉強不足で、わからないことが
いっぱいあります。だから、書かれてあることを、安易に鵜呑みにして知ったか
ぶりをしている人よりも、ずっと親しみを感じます。
>
> ところで、光速度不変という事は、光源の運動に関係なく、観測者に対して
>
光が光源から発射された瞬間から、観測者の系のその地点から光速度cで
> 伝播して行く訳ですよね。
> 例えば、XとYの2次元平面座標上の原点からX軸にそって光源が速度vで
> 移動していったとします。
> 光源が原点を通過した瞬間に発した光は、原点を中心にした円状に伝播
> していく訳ですよね。
> 時刻t には、光の伝播円は半径ct
の円になります。
> この時、光源はX軸上のX=vt
の位置にあります。
> すると、光源から伝播円の円周までの距離は、進行方向が(c−v)t、
>
後方は(c+v)t、光源から進行方向に垂直な方向では√(c2−v2)
t となり
> ますよね。
> ちなみに、Y軸上(X=0)の位置との距離は√(c2+v2)
t となります。
>
> これらの長さと半径=ct
との比が、相対的な時間および空間の比となる
> のではないかと思いますが、正しいでしょうか?
> 正しいとすれば、前後左右の4方向以外の、連続した円周との関係式も
> ローレンツ変換式と一致するのでしょうか?
>
「これらの長さと半径=ct
との比が、相対的な時間および空間の比」?
ちょっと、ちがうような。この記述は、光源と一緒には移動しない静止座標系
からの考察でしかありませんね。移動する光源に乗った人の視点(座標系)
からは、こうはなりません。この人からすると、光源から光の波面までの距離は
前方もct、後方もctです。すべての方向でctです。なんでかって?
これが光速不変の原理というやつです。
なんでこんな不思議なことが言えるのかというと、静止系で考える前方、後方の
波面と、運動系で考える前方、後方の波面とは、時刻が違っていて、
静止系で、ある過去の時点の波面と、ある未来の時点の波面とが、
運動系では同時の波面と考えられるからなんです。光速不変と同時刻の相対性
とは表裏一体の関係にあって、抱き合わせて考えないとわけがわからなく
なります。
ちなみに、「ローレンツ変換」というのは、静止系でのある事象の位置と時刻を
運動系での位置と時刻に(あるいはその逆に)翻訳するものです。
古典力学での「ガリレオ変換」は、翻訳せねばならないのは位置だけでした。
時刻まで翻訳せねばならなくなったのが相対性理論の世界です。
たしかに、半径=ct と、進行方向に垂直な方向での波面までの長さ√(c2−v2) t
との比は、ローレンツ変換式に出てくる単位長さの伸び率(時間の遅れ率)
γ = 1 / √(1−(v/c)^2)
に一致しています。何故一致するのか、あれこれ計算をして証明できるかも
しれませんが、意味的にはまるっきり違っていると思います。
静止系での考察だけで、ローレンツ変換は導かれるものではありません。
やはり、時空を考えて欲しいと思います。時空の基本単位が、互いに
相手の方が間延びしているのです。そう考えないと、慣性座標系間の
対等性がなくなってしまうからです。
詳しくは、拙サイトの
「光時計の時空構造」 3.同時刻の相対性と時空概念 (2)ミンコフスキー時空
もしくは、
「相対性理論と同時刻の相対性」 三 ローレンツ座標変換
をご参照下さい。
村山章
|
| 2006/07/12
村山様、ヴヴです。
>「系に物理的な影響が発生しない」の意味が今ひとつはっきりしませんが、
>特殊相対性理論の範疇でも、はっきりとした物理的影響はあると思います。
私の勉強不足と、いまだ貴サイトを全て拝見できていない事もあり、まだ、
具体的にきちんと説明できないのですが、今現在の私の「考え方」を書いて
みます。
1.特殊相対性理論は「速度」「空間」「時間」の関係式ですよね?
2.私が書いた「物理的」というのは、加速度や電磁気力など、物質に「力」が
加わる様な影響を指します。(「力学的」という方が良いのでしょうか?)
この様な「力」は特殊相対性理論では除外されますよね?
(相対的な「速度」「空間」「時間」の関係なんですから)
3.1と2から、観測者と被観測物体との間でも、2の様な(力学的な?)相互
作用は除外されますよね?
4.相対性原理から、相対的に速度vで運動している2つの系は、どちらかが
静止していて、どちらかが動いているという様な差は、系のなかでの物理
現象からは検出できませんよね?(そもそもそういう区別は意味がない)
つまり、系のなかでの物理現象は、各々どちらも、静止している時と同一
ですよね?
誰かが自分を観測していようが、いまいが、その観測者の速度がどうであ
ろうが、その観測者に気づくか気づかないか、など一切関係ありません
よね?
5.被観測物体の「速度」は観測者から見た「相対的」なものであって、その
物体自体には関係ない問題ですよね?
(加速度による力学的な影響は除外するのですから)
ただ、観測者から見たら「そういう速度に見える」というだけの事ですよね?
そして、被観測物体から見ても同じですよね?
6.以上の事から、相対的に運動している2つの系において、どちらから見ても
相手の運動は等しいと思うのですが、違うのでしょうか?
例えば、自転している観測者の周りを静止衛星の様に、同じ面を向けて
回っている様な状態を考えた場合、加速度や遠心力などを考慮すれば、
各々の違いは出てくると思いますが、そういう力を除外して、「速度」「空間」
「時間」だけで考えた場合は、互いに静止しているという関係になるのでは
ないでしょうか?
7.であれば、弟と兄は対等・等価で、弟から見た兄と兄から見た弟も対等・等価
な筈で、戻って来た時に時計が異なるのは変じゃないでしょうか?
>私はこの点では、違う考えを持っています。自分自身の「意識」は過去にも
>未来にも存在していると思っています。
済みません、理解できないというか、このイメージが思いつきません。
自分の「自我」の「意識」が、仮に「昨日」に飛んでしまっても、「そこ」に自我の
意識があれば、そこが「今」で「ここ」だと感じるのではないでしょうか?
そして、移動する前の記憶があれば、カレンダーが1日さかのぼったと思う
でしょう。
「明日」に飛べば…これは「失神」などで現実にありますが…同じ様に、そこが
「今」で「ここ」ですよね?そしてカレンダーが1日進んだと感じる筈です。
「自我」の「意識」が「今」「ここ」以外に存在するというのは、どういう「意識状態」
の事を指すと考えれば良いのでしょうか?
>ここから光速という定数を使って長さの単位も定義されています
そうですね、長さも光の波長で定義されているんですよね。
そういう意味では、今やすでに、仮に光速度が不変でなくても、不変にならざる
を得なくなっているとも言える様に思えます。
全ての計測器が光速度不変を前提に作られてしまえば、光速度自体を計測
する事は無意味になってしまいますものね。
話が飛びますが、これは「脳死判定」と似ている様に思えます。
「脳死判定」されて直ちに臓器が摘出されるようになれば、「脳死判定」された
瞬間に「死」が確定します。
もしかしたら…1億分の1以下の確立でも「奇跡の蘇生」があったかも知れない…
もしかしたら「判定」に何かミスがあったかも知れない、もしかしたら「判定基準」に
非常に低い確率でも不確定要素があるかも知れない…という可能性は、「判定」に
よって確実に「0%」に確定させられて「死が確定」してしまう訳です。
こういう「判定」の信頼性・確実性は「確実に100%」を保証できるのでしょうか?
私が怖いのは、この様な事を理解した上で、みんなが納得するのだろうか?
という心配です。
※.移植を待っている患者さんの生死にも関わる問題なので難しいですが…
>光源と一緒には移動しない静止座標系からの考察でしかありませんね。
>移動する光源に乗った人の視点(座標系)からは、こうはなりません。
>この人からすると、光源から光の波面までの距離は前方もct、後方もctです。
>すべての方向でctです。
私の書き方が短絡的で分かり辛かったですね。
まず、光源の進行方向に垂直に光が往復する光時計で考えてみます。
片道を光が進む時間を単位時間とします。
慣性系で光が往復する距離に対して、静止系から見た場合光が斜めに進んで
見えるため、光速度不変から、静止系から見た場合は片道の時間が慣性系の
単位時間よりも長い時間を要します。
これは、慣性系(光源)の座標上の光の伝播長と、静止系の伝播長の比を
「時間の比」としている事を意味しますよね。
この「比」が√(c2−v2)/cですよね?
相対性原理から、光源(慣性系)と観測者(静止系)の立場を逆にしても
成り立つはずですよね?
静止系から見て光速度cで伝播する光を、光源から見た場合、同じ位置まで
伝播した光に対して、光源からの距離が異なるので、この「比」が「時間の比」
となりますよね。
光源から見てctの距離にある光は、光源の座標上の時刻tの光の位置です。
前後方向が、同時刻の相対性と対応(該当)しているという話は、上記の結論が
出てからにしたいと思います。
※.「対応」するだけで「一致」するとは限らないですが…
--------------------------------------------------
ヴヴ
|
| 2006/07/13
ヴヴ様、村山です。
>
1.特殊相対性理論は「速度」「空間」「時間」の関係式ですよね?
>
2.私が書いた「物理的」というのは、加速度や電磁気力など、物質に「力」が
> 加わる様な影響を指します。(「力学的」という方が良いのでしょうか?)
> この様な「力」は特殊相対性理論では除外されますよね?
> (相対的な「速度」「空間」「時間」の関係なんですから)
>
3.1と2から、観測者と被観測物体との間でも、2の様な(力学的な?)相互
> 作用は除外されますよね?
特殊相対性理論でも、「加速度」も「力」も扱われますよ。電磁気学は、
ローレンツ変換でこそ一般性が保てて、より強固な理論になります。
有名なE=mc^2も特殊相対性理論の力学から導かれたものですよ。
「速度」「空間」「時間」の関係式と言いますが、それが質量を持ったもの
であれば、運動量やエネルギーを持つわけだし、力学的な相互作用が
特殊相対性理論では除外されるって、どこに書いてありますか?
四次元ベクトルを基礎にした相対論的力学は、特殊相対性理論の
範囲ですよ。
もちろん、力の本源はということになれば、重力は一般相対性理論、
それ以外の力は量子論(素粒子物理学)を紐解かなくてはならないわけで、
「力」概念は相対論では抽象化されてはいますが、扱われていないわけでは
ないですよ。
>
4.相対性原理から、相対的に速度vで運動している2つの系は、どちらかが
> 静止していて、どちらかが動いているという様な差は、系のなかでの物理
> 現象からは検出できませんよね?(そもそもそういう区別は意味がない)
> つまり、系のなかでの物理現象は、各々どちらも、静止している時と同一
> ですよね?
> 誰かが自分を観測していようが、いまいが、その観測者の速度がどうであ
> ろうが、その観測者に気づくか気づかないか、など一切関係ありません
> よね?
なんか、今ひとつ言いたいことが計りかねております。
小惑星が地球に向かって突進している状況を考えて見ましょう。小惑星が
静止しているとも、地球が静止しているとも、どちらも運動しているともとらえられ
ますが、小惑星と地球が時々刻々近づいている事実は、どんな座標系からも
絶対的事実としてとらえられます。そしてぶつかったときどれだけの衝撃が
生じるかもどの系からも同じ結論が導けます。
このように、物理学概念には、速度のように何らかの座標系を基準にしないと
表現できないものと、座標系には依存しないで確定的に言えるものとがあります。
特殊相対性理論は、そのどちらをも扱うわけで、前者のみを対象にしているわけでは
ありません。
>
5.被観測物体の「速度」は観測者から見た「相対的」なものであって、その
> 物体自体には関係ない問題ですよね?
> (加速度による力学的な影響は除外するのですから)
> ただ、観測者から見たら「そういう速度に見える」というだけの事ですよね?
> そして、被観測物体から見ても同じですよね?
被観測物体は、一般に質量を持っております。また、ぶつかると爆発するとか、
あれこれの属性も備えております。観測者からは、ミサイルが「そういう速度に見える」
というだけの事かもしれませんが、方向いかんではただごとではなくなります。
ミサイルから見ると、海面が近づいてくるのか、都市が近づいてくるのかで、
自らの果たす役割が異なってくると思います。
>
6.以上の事から、相対的に運動している2つの系において、どちらから見ても
> 相手の運動は等しいと思うのですが、違うのでしょうか?
> 例えば、自転している観測者の周りを静止衛星の様に、同じ面を向けて
> 回っている様な状態を考えた場合、加速度や遠心力などを考慮すれば、
> 各々の違いは出てくると思いますが、そういう力を除外して、「速度」「空間」
> 「時間」だけで考えた場合は、互いに静止しているという関係になるのでは
> ないでしょうか?
加速度や遠心力やコリオリ力などを無視すれば、そういうことになると
思います。でも、特殊相対性理論はそれらを無視する理論ではありませんよ。
>
7.であれば、弟と兄は対等・等価で、弟から見た兄と兄から見た弟も対等・等価
> な筈で、戻って来た時に時計が異なるのは変じゃないでしょうか?
>
変ではありません。兄は折り返し点で、同時刻断面の傾きを一気に変えてしまいます。
この間に弟側の時間が一気に経過したという解釈もできます。
あと、互いに定期的に自分の時間経過を報告する信号を送りあったとすると、
双方に明らかな違いが生じます。
拙サイト、
「双子のパラドックスについて」 4.双子のパラドックスの様々な解法
を一度お読み下さい。
>>私はこの点では、違う考えを持っています。自分自身の「意識」は過去にも
>>未来にも存在していると思っています。
>
> 済みません、理解できないというか、このイメージが思いつきません。
> 「自我」の「意識」が「今」「ここ」以外に存在するというのは、どういう「意識
> 状態」
> の事を指すと考えれば良いのでしょうか?
>
私は、唯一の「今」「ここ」しか感知できない意識が、過去から未来にわたって
無数に並存しているのではないかと思っています。でも、互いにコミュニケーション
はできないから、その存在を互いに知ることはできません。そう考えれば、
我々の常識と論理的に矛盾しません。
過去や未来の自己意識を「自分」と捉えるべきか「他者」ととらえるべきかといった
微妙な問題で迷ってはおりますが。とにかく、先行する自己意識や後続する
自己意識が無数に存在していて、「今」「ここ」の自己意識はその中の一つ
ではないかと思うのです。クレイジーな形而上学だと言われそうですが。
でも、この問題は、しばらく保留にしましょう。「光速不変」や「同時刻の相対性」
等の議論が先決かと思われますので。
> そうですね、長さも光の波長で定義されているんですよね。
違います。長さ単位は時間単位と光速で定義されていて、光の波長は関係ないです。
> そういう意味では、今やすでに、仮に光速度が不変でなくても、不変にならざる
> を得なくなっているとも言える様に思えます。
仮に光速度が不変でなかったら、光速不変を前提にして作られた計器は、実用
に失敗すると思います。ここが肝心な点ではないでしょうか。
> 全ての計測器が光速度不変を前提に作られてしまえば、光速度自体を計測
> する事は無意味になってしまいますものね。
その計器が正しく作動していることを確かめるという意味はあるのでは。
すべての速度は、光速に対する比です。
> 話が飛びますが、これは「脳死判定」と似ている様に思えます。
「脳死判定」の問題とはかなり次元が異なっているように思うのですが。
「脳死判定」は、明らかに臓器移植の要請から死が定義されています。
生かす技術が進んだから人為的に死を定義せざるを得なくなったとも言えるかも。
そこには様々な重大問題が潜んでいて、それらを啓発しながら、慎重に
社会的コンセンサスを築いていかないと、怖いな、と私も思っています。
経済的・社会的強者、弱者の問題も絡んできますよね。
なんにしても、光速の問題は、これほど難しい問題ではないと思います。
> 私の書き方が短絡的で分かり辛かったですね。
> まず、光源の進行方向に垂直に光が往復する光時計で考えてみます。
> 片道を光が進む時間を単位時間とします。
> 慣性系で光が往復する距離に対して、静止系から見た場合光が斜めに進んで
>
見えるため、光速度不変から、静止系から見た場合は片道の時間が慣性系の
> 単位時間よりも長い時間を要します。
> これは、慣性系(光源)の座標上の光の伝播長と、静止系の伝播長の比を
> 「時間の比」としている事を意味しますよね。
> この「比」が√(c2−v2)/cですよね?
> 相対性原理から、光源(慣性系)と観測者(静止系)の立場を逆にしても
> 成り立つはずですよね?
> 静止系から見て光速度cで伝播する光を、光源から見た場合、同じ位置まで
>
伝播した光に対して、光源からの距離が異なるので、この「比」が「時間の比」
> となりますよね。
> 光源から見てctの距離にある光は、光源の座標上の時刻tの光の位置です。
>
> 前後方向が、同時刻の相対性と対応(該当)しているという話は、上記の結論が
> 出てからにしたいと思います。
> ※.「対応」するだけで「一致」するとは限らないですが…
光時計のことでしたら、拙サイトの
「光時計の時空構造」 2.光時計を使った時間の遅れと距離の収縮の導出
で、図解しております。一度、目を通してみて下さい。
おっしゃるように、三平方の定理を使って斜め方向に進む光の距離の増加に
基いて、時間の遅れ率を求められます。そして、立場を逆にしても成り立ちます。
ただ、これだけの論理を聞いただけだとなんかもやもやした感じが残って
気持ち悪いです。(少なくとも私はそうでした。)立場を逆にしても成り立つということを
単一の同時刻の三次元空間だけから理解するのは、困難です。
だからこそ、「同時刻の相対性」を受け容れることが重要になってくると思うのです。
「同時刻の相対性」を「同時刻の絶対性」を前提にした観念で、理解しようと
しても無理なのです。それは、大地はずっと平らでしかありえないという観念を
前提に大地が全体として球形をしていることを理解することが困難であったことに
似ていると思います。これは、発見された事実なのであって、事実を素直に
受け容れるしかないのだと、私は思っています。
村山章 |
| 2006/07/14
村山様、ヴヴです。
いつも迅速なご回答をありがとうございます。
大変なご負担をおかけしていると思います。
お時間が空いた時に気が向いたらで結構ですので、
どうかマイペースでお相手頂ければ幸いです。
>>
特殊相対性理論でも、「加速度」も「力」も扱われますよ。
済みません、勉強不足で大変な間違いの先入観で特殊相対性理論を
理解しようとしていた様です。
「加速度」も「力」も特殊相対性理論で扱われている件、了解しました。
実は、「動いている物体の電気力学」(翻訳)の第2部『電気力学の部』
が、あまりに頭が痛くなりそうな数式が並んでいて、まだ詳しく読んでいま
せんでした。
確かに、そちらには「加速度」も「力学」も書かれていますね。
そこで、自分の解釈をもう一度整理しなおしてみました。
どこから間違っているのか自分自身で確かめたいので、もう少しだけお付き
合い願えるでしょうか?
1.先ず、「速度v」の等速直線運動、無重力で考えます。
勿論、特殊相対性理論で加速度も重力も扱えるという事は前提とします。
2.A(観測者)とB(被観測物体)の距離は充分に離れていて、電磁気力
などの相互作用は無いものとして、光による情報伝達のみが相互関係
として存在するとします。
勿論、特殊相対性理論では電磁気力などの力も扱える事は前提とします。
3.相対性原理から、AとBどちらかが絶対座標で静止しているとか、絶対座標
に対して運動しているとかいう事は無いと考えます。
つまり、AとBの間には相対的な関係だけが存在するとします。
4.「速度」というものを考えた場合、AとBとの関係の上でのみ「相対速度」が
存在すると考えます。
つまり、A系の座標上でBは速度vで運動し、B系の座標上でもAが速度vで
運動している事が観測され、お互いの時計の遅れや空間の縮みが観測され
ます。
しかし、A系単独(Bを観測していない場合)やB系単独(同様)では「速度v」
というものは存在しません。
5.つまり、B系がA系を観測していなかった場合、B系には「速度v」は無関係
となり、B系では速度vに関わるいかなる現象・影響も発生しません。
6.一方、A系に(ロケット噴射などで)加速度が加わり、Bの速度がvからv’に
変化した様に見えたとします。
これにより、Bの運動の変化が発生しますが、B自体はAを観測していない
ので、なんら変化は発生しません。
7.Aは自らに加わった「加速度」を検出する事により、A自身が加速した事を認識
する事ができます。
8.この時、A系に加わった加速度の影響でA系の物体に影響が発生したとします。
仮に、加速度が原子時計の原始の運動に影響を与えて、加速度が加わっている
間、時計の進み方が変わったとします。
9.ここで、B系からAの様子を観測すると、加速度によりAの速度がvからv’に
変化すると同時に、Aの時計の進み方が変わった事が観測されるでしょう。
そして、B自身は自らの「加速度」を検出できないので、加速したのはAだと
判断できます。
10.従って、B系の観測者から見た場合、Aの運動が変化すると、実際に物理的
な変化…即ち、速度の変化で実際に時計の進み方も変わると言えます。
11.結果、Bの時計の進み方は変化せず、Aの時計の進み方は変化します。
即ち、地球に残った弟と宇宙旅行をした兄の時計の時刻は実際に異なる事になり
ます。
何が言いたいかといえば、実際に時計の進み方を変化させるのは「速度」では無く、
加速度など、直接物体に加わる「力」の影響なのではないか?という事です。
※.「今」の件を保留にする事は了解しました。
>違います。長さ単位は時間単位と光速で定義されていて、光の波長は関係ないで
す。
その通りです、間違いでした。
「1秒の1/299792458の間に光が真空中を伝わる行程の長さ」ですね?
>これだけの論理を聞いただけだとなんかもやもやした感じが残って気持ち悪いです。
『光の伝播円の図』は、私の「光速度不変の解釈」で、これだけで特殊相対性理論
の全てを説明できると思っていませんし、まして否定しようとなどは考えていません。
むしろ、この考え方でどこまで解釈できるのか?というモデルです。
なので、もう少しお付き合い願えれば幸いです。
1.光源の前後に進む光は、光時計を進行方向に倒した場合の光の軌跡と同じに
なります。
この場合、光の往復の距離は(c−v)t+(c+v)t=2ct
となり、合計すると
「時間の遅れ」は発生しなくなります。
しかし、前方へは(c−v)t
で、後方へは(c+v)t
な訳ですから、これを何とか
しなければなりません。
2.ここで、静止系の観測者が見ている光を、慣性系(光源)から見てみます。
すると、あたかも、自分自身(光源)から速度vで、観測者から見て光源が進む
方向の逆方向に移動する仮想光源から光が広がって行く様に見えます。
しかし、光源は観測者が自分を観測している事は知るよしもありません。
何故なら、観測者が光を出している(光を出す観測者を観測している)訳では
なく、あくまでも自身が出した光を見る訳ですから。
即ち、光源にとって「速度v」は意味不明の速度です。
3.そこで、この矛盾を解決するには、静止系の観測者が見ている光の伝播の
各座標での時刻が、慣性系(光源)の時刻とは異なると考えざるを得ません。
即ち、観測者が見ている光は前方へは慣性系の「遅れた時刻」=「前方へ
距離が離れるほど過去の時刻」になるとし、後方へは「進んだ時刻」=「後方
へ行くほど未来の時刻になる」とします。
すると、前方への光は光源から出て間もない(時間が短い)ので、光源から
近く(c−v)t
にあり、後方は経過時間が長いので遠く(c+v)t
にあって当然
という事になります。
4.しかし、ここでもう一つ問題があります。
それは、光の伝播円は、光の波の同一位相=例えば波の山なら山を結んだ
線と言えます。
すると、光源からは、同一位相の円が時刻を飛び越して、過去と未来を繋いだ
様に見えてしまいます。
そこで、この位相を光源の移動に従って、光源を中心とした円としてみます。
すると、中心がずれた同心円が出来上がります。
丁度、切り株を見たときに、芯がずれた年輪の様な模様です。
これにより、光源から見た同時刻の円周は位相も一致します。
これを静止系から見ると、進行方向に波長が縮み、後方へは広がります。
これが、光のドップラー効果となります。
--------------------------------------------------
ヴヴ
|
| 2006/07/15
ヴヴ様、村山です。
>.........
> 10.従って、B系の観測者から見た場合、Aの運動が変化すると、実際に物理的
> な変化…即ち、速度の変化で実際に時計の進み方も変わると言えます。
> 11.結果、Bの時計の進み方は変化せず、Aの時計の進み方は変化します。
> 即ち、地球に残った弟と宇宙旅行をした兄の時計の時刻は実際に異なる事になり
> ます。
>
> 何が言いたいかといえば、実際に時計の進み方を変化させるのは「速度」では無く、
> 加速度など、直接物体に加わる「力」の影響なのではないか?という事です。
ヴヴさんの考えでは、加速に伴う慣性力の影響が、A(宇宙旅行をした兄)側の時計
(時計を含む全物理過程)の進み方を変化させたのではないか、ということですね。
従って、兄が減加速して引き返しをする直前までは、兄は弟と同じ時間の進み方をし、
直後も同じ進み方をしたのではないか、ということですね。
ところで、兄弟が再会したとき、若いのは宇宙旅行をした兄側なのです。例えば、
光速の6割くらいのスピードで、兄は地球の弟から遠ざかり、30光年くらい先で、
急遽引き返して戻って来たとすると、再会したとき弟は100歳で、兄は80歳だ
ということなわけなのですが、もし、ヴヴさんの考えに従うとすると、弟が50歳の
時、兄も50歳で、反転の時に生じる慣性力の働きで、割れたコップが元通りになる
とかを繰り返しながら、兄はいきなり20歳若返って、30歳になり、そこから、
弟と同じペースでまた年を重ね、50年後の80歳の時に100歳の弟に出会う、
ということになるわけです。もし、兄側がより年を取っているというのなら、加速の
働きで、その時急激に年を取ってしまったという解釈もでき、比較的そんなことも
あろうかと納得しやすいのですが、若返りなんてできるでしょうか。
もしできるとするなら、遠心分離機のような装置にニワトリを入れて高速回転すると、
ヒヨコや卵になるということです。死んだ人を生き返らせることも可能かも。でも、
そんな実験結果は報告されていないし、慣性力(遠心力もそのひとつ)にそんな効能を
期待している人はいませんよね。
特殊相対性理論ではどう考えるかと言うと、弟が50歳の時、弟の基準では、兄はまだ
40歳で、その時引き返しをして、40年間かけて戻ってくるとなります。ただし、
これは弟の時間進行の基準で考えた場合で、兄側の基準では、兄が引き返し地点に到達
した時、弟はまだ32歳で、(つまり、互いに相手の時間進行は遅れており、ここまでは
弟から判断された兄も、兄から判断された弟も、まったく対等です。)兄がエンジン全開
で、引き返しを行なうと強烈な慣性力を感じるとともに、弟は、32歳から68歳へと
急激に36年が過ぎ去ってしまったと判断されます。(そう「見える」わけではありません)
そして減加速を終えて慣性で弟のところに40年かけて戻るわけですが、この間、弟側は
32年しか経過せず、出会ったときは彼は100歳になっていた、ということになります。
ただし、「見え方」としては、引き返しのタイミングで高速コマ送りのように兄から弟の
世界が見えるわけではありません。「見え方」としては、往きは弟がとってもゆっくりと
年を取るように見えて、兄が40の時、弟が20であった信号を受け取ります、帰りはすごく
速く年をとるように見えて、兄の40年間に、弟側の80年が過ぎ去るように見えます。
弟からの兄の「見え方」は、自分が80歳になったとき、やっと兄が40になった信号を
受け取り、その後の20年間で、兄側が40年経過していく姿を見ることになります。
相手の時間進行の「見え方」は、どちらからしても、前半はゆっくり、後半は急テンポで
ということなのですが、両者の見え方の違いは、弟は自分が80歳の時にその切替わりを
見るのに対して、兄は自分が40歳でまさに引き返しを行なったタイミングで、その切替
わりを見ることになる、という点です。つまり、光のドップラー効果を感知するタイミング
が兄と弟では違うのです。
双子のパラドックスの問題は、特殊相対性理論の応用問題に属します。一方、光速不変や
同時刻の相対性は、原理的な問題です。原理上の問題と、応用問題と、同時併行して論じると
ややこしくなるので、まず、原理上の問題に集中しませんか。
> 『光の伝播円の図』は、私の「光速度不変の解釈」で、これだけで特殊相対性理論
> の全てを説明できると思っていませんし、まして否定しようとなどは考えていませ
> ん。
> むしろ、この考え方でどこまで解釈できるのか?というモデルです。
> なので、もう少しお付き合い願えれば幸いです。
>
> 1.光源の前後に進む光は、光時計を進行方向に倒した場合の光の軌跡と同じに
> なります。
> この場合、光の往復の距離は(c−v)t+(c+v)t=2ct となり、合計すると
> 「時間の遅れ」は発生しなくなります。
> しかし、前方へは(c−v)t で、後方へは(c+v)t な訳ですから、これを何とか
> しなければなりません。
> 2.ここで、静止系の観測者が見ている光を、慣性系(光源)から見てみます。
> すると、あたかも、自分自身(光源)から速度vで、観測者から見て光源が進む
> 方向の逆方向に移動する仮想光源から光が広がって行く様に見えます。
> しかし、光源は観測者が自分を観測している事は知るよしもありません。
> 何故なら、観測者が光を出している(光を出す観測者を観測している)訳では
> なく、あくまでも自身が出した光を見る訳ですから。
> 即ち、光源にとって「速度v」は意味不明の速度です。
う〜ん、これが、古典的な考え方なんですよね。水面を広がるリング状の波についてなら
言えることなんだけど、光波は、移動する光源から見ると、仮想光源ではなく、まさに
その光源を中心に広がっていることになるのです。だから、その光源の観測者のことを
知らなければ、まったくもって「速度v」は意味不明の速度です。光源は、自分が静止して
いて光が全方位に同じ速さで広がっていったと判断します。
> 3.そこで、この矛盾を解決するには、静止系の観測者が見ている光の伝播の
> 各座標での時刻が、慣性系(光源)の時刻とは異なると考えざるを得ません。
> 即ち、観測者が見ている光は前方へは慣性系の「遅れた時刻」=「前方へ
> 距離が離れるほど過去の時刻」になるとし、後方へは「進んだ時刻」=「後方
> へ行くほど未来の時刻になる」とします。
> すると、前方への光は光源から出て間もない(時間が短い)ので、光源から
> 近く(c−v)t にあり、後方は経過時間が長いので遠く(c+v)t にあって
> 当然という事になります。
????今ひとつ、言おうとされている意味が把握しきれないでいるのですが。。。。
う〜ん、つまり、運動する光源系は、すこし前に発光された光と、すこし後に発光された
光とを、あたかも、それらの中間に発せられた本来の発光が起源であるかのように、勘違い
するため、光速が前方向にも後方向にも等速度であると判断してしまうと言いたいわけですか?
物理学者は、勘違いすることを前提とした基礎理論を構築することはないと思いますが。
とにかく、この問題は、一発のフラッシュ発光だけで考えなくてはなりませんよ。前にも、
後にも発光はありません。
> 4.しかし、ここでもう一つ問題があります。
> それは、光の伝播円は、光の波の同一位相=例えば波の山なら山を結んだ
> 線と言えます。
> すると、光源からは、同一位相の円が時刻を飛び越して、過去と未来を繋いだ
> 様に見えてしまいます。
> そこで、この位相を光源の移動に従って、光源を中心とした円としてみます。
> すると、中心がずれた同心円が出来上がります。
> 丁度、切り株を見たときに、芯がずれた年輪の様な模様です。
> これにより、光源から見た同時刻の円周は位相も一致します。
> これを静止系から見ると、進行方向に波長が縮み、後方へは広がります。
> これが、光のドップラー効果となります。
ドップラー効果は、複数の位相が同一波源から一定テンポで発せられる現象において、
各々の位相間の距離密度が座標系によってどう異なるかの問題です。しかし、ここで
述べられてきたことは、一つの位相の動きについての問題なので、ドップラー効果
とは切り離して考えるべきだと思います。一つの位相の動き(パルス波のようなもの)
に関して、ドップラー効果が論じられることはありません。
一つの位相の円は、四次元的には、一つの未来方向の光円錐になります。静止系(直交系)
では、これを水平の切り口でもって、ある時刻の伝播円と認識します。これに対して、
運動系は斜めの切り口でもって、ある時刻の伝播円(楕円に見える)と認識します。
(拙サイトの
「光時計の時空構造」 3.同時刻の相対性と時空概念 (2)ミンコフスキー時空
図3−4
を参照してください。)
同一位相のパルス波が、過去から未来にわたったものとして存在しているのです。静止系と
運動系の違いは、それをどの同時刻断面でとらえるかの違いなのです。直交系(静止系)の
時間軸は、水平に切った各切り口の中心を貫きます。一方、斜交系(慣性運動系)の時間軸
は、斜めに切った楕円上の切り口の中心を貫きます。どちらからしても、中心からの
距離は等しいのです。(楕円だと、縦横の長さが異なってそうならないように見えてしまい
ますが、斜交系では縦方向に長さ単位そのものが間延びしているミンコフスキー時空の計量構造
を配慮すれば、これは、楕円ではなく円なのです。)
そもそも、(c−v)や、(c+v)は、古典的な速度の合成則に基いた考え方です。
光源に乗ったものからすると光波は、前方ではc−vの速さ、後方ではc+vの速さであろう
とする推測自体が誤りなのです。
相対論的には、(c−v)はcであり、(c+v)もcです。
(∵速度の合成則で、(c−v)/1−(cv/c^2)= c )
これは観測に裏付けられていて、これを事実として、受け容れるしかないと思うのですが。
それとも、「同時刻の相対性」を認めない立場で、光速不変が成立する新理論を打ちたてようと
なさっておられるのですか?
村山章
|
| 2006/07/19
村山様、お世話様です、ヴヴです。
>
双子のパラドックスの問題は、特殊相対性理論の応用問題に属します。一方、光速
>
不変や同時刻の相対性は、原理的な問題です。原理上の問題と、応用問題と、
>
同時併行して論じるとややこしくなるので、まず、原理上の問題に集中しませんか。
ありがとうございます。
私もそのつもりで『どこから間違っているのか?』という事で1〜11を書いてみました。
10〜11の間違いをご指摘頂いたという事は、1〜9においては、村山さんと私との
間で一致していると考えて宜しいでしょうか?
『光の伝播円』は、説明の悪さで全くの誤解を与えてしまった様です。
元々、図で示したものを文字だけで、しかもメールのやり取りで断片的に書いたの
ではちゃんと伝わる訳がないですね。
なので、この図を含めて、この図に至るまでの私の解釈を説明する専用のページを
作りました。
急いで即席で作ったので、間違いなど多々あると思います。
http://vuvu-world.hustle.ne.jp/science/science.htm (ログ)
↑こちらのページをご覧頂いた上で、間違いなどをご指摘頂ければ幸いです。
以下、前回のメールで誤解を与えてしまったと思われる部分について「言い訳」を
書きます。
取り敢えず、前回のメールの内容は酷いので、忘れてください。(^_^;)
> >
2.ここで、静止系の観測者が見ている光を、慣性系(光源)から見てみます。
> > すると、あたかも、自分自身(光源)から速度vで、観測者から見て光源が
> >
進む方向の逆方向に移動する仮想光源から光が広がって行く様に見えます。
> > しかし、光源は観測者が自分を観測している事は知るよしもありません。
> > 何故なら、観測者が光を出している(光を出す観測者を観測している)訳で
> > はなく、あくまでも自身が出した光を見る訳ですから。
> > 即ち、光源にとって「速度v」は意味不明の速度です。
舌足らずでしたが、↑これは、「時間のずれ」を考慮しないと奇妙な事になる…
という意味で書いたものです。
これをどう解釈するか?という意味で3へ続きます。
>
う〜ん、つまり、運動する光源系は、すこし前に発光された光と、すこし後に発光
>
された光とを、あたかも、それらの中間に発せられた本来の発光が起源であるかの
>
ように、勘違いするため、光速が前方向にも後方向にも等速度であると判断して
> しまうと言いたいわけですか?
違います。
静止系と慣性系で『時間が異なる』ので、2は矛盾では無くなる…という事を書き
たかったのです。
「ドップラー効果」は、特殊相対性理論の第2部『電気力学の部』で出てくるので、
取り敢えず(私の勉強不足という事で)保留させて下さい。
>
四次元的には、一つの未来方向の光円錐になります。静止系(直交系)
>
では、これを水平の切り口でもって、ある時刻の伝播円と認識します。これに対し
>
て、運動系は斜めの切り口でもって、ある時刻の伝播円(楕円に見える)と認識します
私の伝播円の図は『時間軸を頭の中で想像しながら解釈する3次元上の平面図』
として理解して頂ければ、同じ事を書いているつもりだという事を理解して頂けるで
しょうか?
>
そもそも、(c−v)や、(c+v)は、古典的な速度の合成則に基いた考え方です。
(c−v)tや(c+v)tは速度ではなく、時空図上での「光の経路、伝播距離」に相当
させるつもりで書いたものです。
例えば、特殊相対性理論にも tB−tA=γAB/(c−v’)やt’A−tB=γAB/
(c+v’)
という形で出てくる式です。
>
それとも、「同時刻の相対性」を認めない立場で、光速不変が成立する新理論を打
> ちたてようとなさっておられるのですか?
という事で、そういうつもりでは無く、あくまでも特殊相対性理論を「そのまま理解」
しようとした図解だと理解して下さる様、お願い致します。
指摘された間違いは、理解・解釈できれば修正・訂正します。
--------------------------------------------------
ヴヴ
|
| 2006/07/20
ヴヴ様、村山です。
> 10〜11の間違いをご指摘頂いたという事は、1〜9においては、村山さんと私
> との
> 間で一致していると考えて宜しいでしょうか?
1〜7においては、議論の前提条件のようなことで、特にこちらとしてひっかかるものは
なかったかと思います。
> 8.この時、A系に加わった加速度の影響でA系の物体に影響が発生したとします。
> 仮に、加速度が原子時計の原始の運動に影響を与えて、加速度が加わっている
> 間、時計の進み方が変わったとします。
「仮に、加速度が原子時計の原始の運動に影響を与えて」と、仮定の論理がありますが、
どう影響するのか、時計の進み方にどのような変化をもたらすのか、定性的にでも、
もう少し具体的な論述をしないと、検証可能な論理にならないのではないかと思います。
> 9.ここで、B系からAの様子を観測すると、加速度によりAの速度がvからv’に
> 変化すると同時に、Aの時計の進み方が変わった事が観測されるでしょう。
> そして、B自身は自らの「加速度」を検出できないので、加速したのはAだと
> 判断できます。
BとAは遠く隔たっているので、速度の変化の情報は遅れてAに届くということには、
留意する必要があります。また、「同時に」という用語は、常に、どちらにとっての
同時なのかをはっきりさせなくてはなりません。Aはかなり遅れてBの加速の事実を
知りますが、その時、Bの時計の進み方が、自分よりゆっくり進むように見えていた
状態から、自分より速く進むような状態に切り替わることを感知します。一方、Bは、
自分が加速したタイミングで、Aの時計が、自分よりゆっくり進むように見えていた
状態から、自分より速く進むような状態に切り替わることを感知します。
距離が隔たった事象が観測された時というのは、一般に、その事象が起きた時より後です。
従って、その事象がいつ実際に起きたのかは、遡って推測しなくてはなりません。
その判断基準は、B系とA系とではまったく異なっています。ここが重要な点だと思われます。
> 私の解釈を説明する専用のページを作りました。
> http://vuvu-world.hustle.ne.jp/science/science.htm (ログ)
なかなか努力されて、丁寧な図解ページを作られましたね。図解があると、理解しやすくて助かります。
私も、文章から意味を汲み取りきれなくて、誤解が多かったようです。
「光速不変」は、ある意味で、相対性理論の一番難しい部分かもしれません。実験事実を事実として
知ること、それから数式や図式を追ってそれを理解していくこと、これ自体は、少なくとも特殊相対性理論
の範囲では極度に難しいことではないのですが、常識的世界観とのギャップが厳しくて、そこの
乗り越えが難しいかと思います。私自身も、「光速不変」については何年も悩みつづけておりました。
あなたの、安直にわかったつもりにならないで執拗に問う態度は、すごく好感が持てます。
「入り口の前で右往左往足踏みをしている状態」は、決して恥ずべきことではないと思います。
世の中、「ローレンツ変換式」とかをただ鵜呑みにして、要領よくこなしていても、相対性理論の物理的
意味をいざ問われたら、適当に誤魔化してしまう人って意外に多いんじゃないかなって思います。
ところで、「静止系」vs「慣性系」という言い方は、単に呼び方の問題なのでどうでもいいと言えば
いいのですが、私は、「静止系」も「慣性系」の一種という頭があるので、ひっかかってしまいます。
私としては「慣性運動系」とか略して「運動系」とか言うのが好きです。あと、相対論のテキストでは、
「慣性系」といのは「静止系」に対してではなく、「加速度系」に対置して用いられることが多いという
のもあります。まあ、瑣末なことかもしれませんが。
あと、あなたのサイトで、
> 「時間の遅れ」「時間の進み」は、時間が進む「速度」(時を刻むテンポ)を指します。
>(時間に対して「速度」というのも変な感じがしますけど…時間の速度を決める時間と距離とは?)
というのがありましたが、物理学の世界では、「時間そのものの進む速さ」のような発想は、避けた方が
混乱や曖昧さがなくていいと思います。これは、心理的な時間を含めて考察する場合には有効な発想に
なるかもしれませんが。
相対論的な意味において、「時間の遅れ」とは、ある時計の役割を果たす普遍的な物理過程(例えば、
光時計の光の往復や原子の振動)が、ある基準系Aにおいて完了しているその時に(Aにとっての
その時に)、別の基準系Bでは完了していないということを意味しています。これは、客観的に遅れて
いることであり、単に「遅れて見える」ということではないということも、念のために強調しておきます。
さて、あなたのサイトの説明を読ませていただきましたが、不可解な点がいろいろ散見されます。
どこから行きましょうか。
まず、
<第1点め>
斜辺c、底辺v、高さ√(c^2 − v^2) の直角三角形と、「あちこちにある「直角三角形」」
とが、相似だと述べておられますが、どの直角三角形を指してますか?
もし、△O・A1・ct1 とかでしたら、相似ではありませんね。
これは、斜辺√(c^2 + v^2)、底辺v、高さc の直角三角形ですよね。しかし、これは
相似ではありません。
斜辺5、底辺3、高さ4 の直角三角形が、斜辺4、底辺3、高さ√7 の直角三角形と
相似でないことは、3:4≠3:√7 であることからも一目瞭然です。
とすると、△O・B1・A2 ですか? どう証明できるの?この図だとたまたま相似っぽいけど、
t軸とt’軸の角度が変わったら全然違うよね。
ただ、、この後の論述を見る限り、この「相似」を論拠に展開しているところはないようなので、
どうでもいいことかな?
<第2点め>
ローレンツ変換の共通係数(1/√(1 − (v/c)^2)、またはその逆数)の意味が問題なわけですね。
これは、光時計の遅れ率 であるわけなのですが、ヴヴさんは、斜辺c、底辺vの直角三角形における、
その高さ√(c^2 − v^2)に対する斜辺cの比と見て取ったわけですね。
値として、間違ってはいません。ただ、考え方としてどうなんだろうかと思います。
急遽、
「運動する相手の光時計の遅れ」
というページを作成しましたので、見てください。
光時計の遅れ率は、この図で、OA:OCです。幾何学的に判断して、この比は、
c:√(c^2 − v^2)になりますが、直角三角形の底辺同士の比です。
ただ、大きい直角三角形OABの底辺と小さい直角三角形OCDの斜辺とは、等しいですから、
この比を、小さい直角三角形の高さと斜辺の比だと言えなくもないのですが、
ここまで説明して言えることではないかと思います。
あたかも自明なことのように、小さい直角三角形の高さと斜辺の比を、「時空の変換比」
といきなり言い切るのはいかがなものかと私は思います。これがなんで、「時空の変換比」に
なるのか、さっぱりわからないんじゃないかと思うのですが。
<第3点め>
「図2.時空図」は、光時計の時空図ではありませんよね。この図は、慣性運動系の進む方向に向けて
発せられた光が、途中で反射して引き返して来る現象の時空図です。光時計は、x軸、x’軸に
垂直な方向(仮にy、y’軸方向としましょう)に向けて光が発せられて、「一定距離」進んで
反射して戻ってくる現象です。こちらの方向なら速度の変化はないから、距離の変化もないだろうと
いうことで、距離の一定性が保証されると考えられるからです。
光時計の時空図は、少なくとも、2次元の空間+1次元の時間、すなわち3次元の時空図を描く
必要があります。
(拙サイトの
「光時計の時空構造」 4.光時計の時空構造 図4−1
を参照してください。)
この図は、単純に同時刻の相対性を説明した時空図です。それはそれでいいんですが、この図と
光時計の議論とリンクさせていそうな気配があって混乱します。(先ほどの直角三角形の相似の指摘とか。)
図1と図2は、まったく関係がありませんよね。
<第4点め>
それで、「光速度不変と時刻」の節で、1から7まで、書かれてあるわけですが、
これは、光時計の話ではないとして、理解してよいですね。
> 1. 静止系では、光がAからBに進む間にBはB1(のX座標値)まで移動します。
> 光がBに到着する時刻(経過時間)をt1(t1−t0) とすると、光が進む距離=L+v(t1−t0)
> です。
はい。
> 2. BからAへ戻る時は、AはA2(のX座標値)まで移動します。
> 光がAに到着する時刻(経過時間)をt2(t2−t1) とすると、光が進む距離=L−v(t2−t1)
> です。
B1からHまでの距離ですね。
> 3. 『光速度不変』から行きと帰りの所要時間は、行き>帰り となり、折り返しの時刻t1はt2/2より
> 大きい(後の時刻)になります。
静止系からすれば、光は、往きは先端Bを追いかけるから時間がかかり、帰りは末端Aが向かえるから
時間はかからない、というわけですね。
> 4. 一方、慣性系では行きと帰りの所要時間は同じなので、折り返しの時刻は往復の半分(時刻t’2/2)
> となり、その時のAの位置はMです。
はい、その通りです。
> 5. 結果、光が慣性系の進行方向へ向かう場合は時刻が遅れ、逆の方向へ向かう場合は
> (折り返し位置までに比べると)時刻が進むという事になります。
> そして、1往復した時点では所要時間が(静止系と慣性系で)等しくなります。
ここから、なんか怪しくなります。
この図からは、基礎となる単位時間がそれぞれの座標系でどこからどこまでを指すのかまったく
示されておりません。仮に、慣性運動系で、光が距離L’進む時間OMが、基礎単位時間だと
解釈すると、こちらの座標系での単位時間は示されていることになりますが、
静止系で、L’と同じ長さ光が進む時間が示されていません。そもそも、静止系で、
L’と同じ長さがどれなのかがわからない状態だからどうしようもないですよね。
ちなみに、LはL’と同じであるという前提はここではありませんし。
光時計が、進行方向に垂直な方向に光を往復させるのは、両座標系に共通とみなせる基準距離が得られる
からなのです。
静止系から判断して、往きと帰りの時間が異なるのは、光が進む距離が異なるのだから当たり前のことです。
運動系から判断して、往きと帰りは、同じ距離すすむから、同じ時間の経過のはずだということ、それで、
つまり同時刻は座標系によって異なるということ、ここまでのことしか、この図からは読み取れません。
確かに、t’軸上の事象Mは、折り返し点B1よりも、静止系においては過去です。でもOMとt1とは、
そもそも光の走行距離の異なる時間であってt1の方が大きいことは当たり前なのであって、これは、
相対性理論で言う「時間の遅れ」を表してはいません。比較の意味のないもの同士を比較して、時間(時刻)
が遅れただの進んだなど、まったくナンセンスです。時間の遅れは英語で、"time dilation"と言いますが、
これは、直訳すると、「時間膨張」です。単位時間を表す物理過程が互いに相手側で間延びしていることを
指しています。だから、この議論をするには、両座標系の単位時間を明示することが不可欠なのです。
なんか、「時刻の遅れ」と「時間の遅れ」を区別しておられるようですが、時刻は、基準時刻からの経過時間
で表現できるわけですから、物理学的には、時間を考えればいいことだと思います。
> 6. 光が折り返した時点では、慣性系ではAとBの時刻は同じなので、直線MB1は慣性系の同時刻を結ぶ線
> という事になります。
AとBのどの事象の時刻が同じだということなのでしょうか?「直線MB1は慣性系の同時刻を結ぶ線」というのは
正しいと思います。
> 慣性系の時刻t’2/2とt’1を見ると、静止系での同時刻でも慣性系の時刻はX軸方向に進むほど時刻が
> 遅れる(過去の時刻になる)事が分かります。
> そして、遅れの量は、時空図のt軸上の各々の距離を計算すれば解ります。
どう計算するのか明記されていないけど、まあ、間違ってはいないかな。
> 7. 進行方向に進むほど『過去の時刻になる』という事は、進行方向に長い物体が移動しているのを見た
> 場合、物体の後端に対して過去の先端が静止系の同時刻に存在するという事になります。
物体の後端に立って先端について判断すれば、そういうことになるでしょう。
> つまり、進行方向に「過去」な訳ですから実際の位置(慣性系の同時刻での位置)よりも後ろになる
> ので、静止系の同時刻上では『長さが短くなる』訳です。(※1)
こういう「長さの収縮」の解釈、一見良さそうだけど、なんか怪しいです。
L’とL、同じ長さという前提はありませんし、実際に同じではありません。先ほどの単位時間の問題同様、
ここでも、両座標系での単位距離の明示がありません。
確かに、運動系では、LはL’と同じ長さとみなされますが、それが静止系における単位長のL’倍に等しい
という根拠はありません。
「長さ収縮」の話をする場合は、単位長をはっきりさせなくては、駄目です。
「時間の遅れ」や「長さ収縮」に対する理解は、ちょっといただけませんが、少なくとも、光速不変の
ためには「同時刻の相対性」は不可欠であることは、ご理解いただけていると、この図解で了解することが
できました。(。。。。ということで、いいですか?)
<第5点め>
【『光速度不変』が意味するモノ】
> つまり、空間と時間が光速度に対して対象で、目盛(スケール)が等しいという事です。
まあ、そういう単位系を採用すると、何かとわずらわしくないということです。絶対的な要件ではないと
思います。
光速不変であるためには、光速の値(光の進行距離÷経過時間)が、常に一定になるように、空間軸が
傾くことが必要です。それだけで、とりあえず、光速不変は成立します。
> これは、ローレンツ変換式の時間変換にも空間変換にも√(1−V2/C2)という共通項が使用されている
> ことからも言えます。
ローレンツ変換の共通係数(1/√(1 − (v/c)^2)、またはその逆数)は、光速不変のために
直接必要なものではありません。これは、異なる慣性座標系の単位長が、互いに同等であるために必要な
係数です。
(詳しくは、拙サイトの
「光時計の時空構造」 3.同時刻の相対性と時空概念
(2−2)時空的観点からの「時計の遅れ」と「距離の収縮」 図3−11、図3−12
を参照してください。)
<第6点め>
> くどいですが、ここで進行方向に垂直方向に光が往復する『光時計』を考えてみます。
やっと、図1に対応した話が出てきました。ここまでは図1はまったく関係なかったので、
ここで、図1を登場させてもよかったのでは?
> この『同じ光の伝播』に対して、静止系での移動距離と慣性系での移動距離の比が
> 『時間の比』であり『空間の比』だという事です。
なんか、違っていると思うなあ、この表現。「静止系での移動距離」「慣性系での移動距離」って、
どの時間に対応した移動距離?『時間の比』とか『空間の比』とか、分かりにくい言葉です。
そのような用語は少なくとも相対性理論にはないです。
> 結果、『光速度不変』という事は、空間も時間も『光速度』が物差しになって目盛が決まるという
> 事です。
『光速度』を物差しにして空間や時間の目盛は決められません。物差しは、あくまでも、基準になる
普遍的物理過程、物理的実在です。「一定距離の光の往復」はその一例にすぎません。
<第7点め>
【空間に伝播する光と時空】
> この様に解釈した場合、いくつかの疑問が出てきます。
かなり、混乱した解釈をしているので、疑問が生じるのは致し方ないことだと思います。
光った後の光源の動きにこだわりますね。ご存知だと思いますが、
光源からは、一発の閃光がただ一度発せられるだけです。その閃光の広がり方が、各座標系で、どうなの
かが問題になっているわけで、光った後の光源がその後、どう動こうが、極端な話、光源が、消滅して
しまったって、問題の本質には何の影響もないわけです。どんな座標系からしても、その座標系で、
光ったとみなされる地点(座標系が異なればその地点は互いに離れていく)を中心にすべての方向に等速
で広がっていく、ということが真実なわけなのです。従って、ここでは、「光源」とは、
「慣性運動系において光った地点」を表した言葉と理解しておけばよろしいですね。
光時計や「時空の比」の件は、<第2点め>にて指摘したことを参考に、再度、熟考願えませんでしょうか?
> 時間の比=空間の比なので、進行方向の時空は圧縮され、後方の時空は伸張されます。
これは、はっきり言って、新理論です!相対性理論では、前方であれ、後方であれ、運動する相手の
時間進行は遅れ、相手のモノサシは縮みます。互いにです。
前方が圧縮され、後方が伸張する現象は、ドップラー効果です。なんか、この問題とごっちゃになって
ません?
<第8点め>
「図5.時空の比」
この図は、静止座標系での、発光から単位時間後の同時刻時空断面の中で、慣性運動系の原点の位置
を分析した図ですね。そしてそれ以上のなにものでもありません。これは、単なる「(2次元)空間」
であって、「時空」ではありません。それも静止系だけしか考慮されていません。
この図を穴が開くほど凝視してても、相対性理論のエッセンスに近づけるような認識にはまったく
至らないと思います。
> ちなみに、緑矢印の方向の時空は静止系と慣性系で同じになります。
「二等辺三角形の二辺は等しい」といっているだけのような。。。意味不明です。
> 進行方向 :(C-V)/C=1−V/C
> 後ろ方向 :(C+V)/C=1+V/C
これは、古典的な速度の加減算でしかないと思われます。
> 円の垂直方向 :√(C2+V2)/C=√(1+V2/C2)
ピタゴラスの定理の例証をしているだけのような。。。意味不明です。
一応、念を押しておきますが、この赤●(光源位置)から、発光される光は、ありませんから。
> 光源の垂直方向 :√(C2−V2)/C=√(1−V2/C2)
この式だけ、まともっぽいものになっていますが、考え方は、<第2点め>で述べたように不自然です。
> 円周と赤●との距離は…円の中心を原点として位置をXとすると…
> X≧Vの時(光源の前方):√(C2−X2+(X−V)2)
> X<Vの時(光源の後方):√(C2−X2+(V−X)2)
> この式が意味するものは・・・?
?????
位置Xって何の位置?そもそも、円周と赤●との距離を求めてどうするの?
> ちゃんと計算すれば、ローレンツ変換式に行き着くのだろうか?
ちゃんと計算しなかったら、行き着くことも、ひょっとしたらあるかなあ。(^^);
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
かなり、がんばって、展開されておられたので、私も、逐一追って行くのに苦労しました。
まだ、言葉足らない点や、私が誤解している部分もあるかもしれませんので、
ご指摘下さい。
ヴヴさんは、光速不変には同時刻の相対性が必要になることは、理解されているように
思いました。次は、時間や長さの単位の問題について、再度熟考していただきたいと思います。
村山章
|
| 2006/07/21
村山様、お世話様です、ヴヴです。
大変お手数をおかけしました。
新しい解説ページまで作成して頂き、ありがとうございます。
多くのご指摘とアドバイスを頂きましたので、じっくりと再考してみたいと思います。
多少時間がかかると思いますので、取り敢えず、今回は「用語」などについての
話だけにさせて頂きたいと思います。
1.「同時に」という言葉は、厳密に時刻的な問題を指しているつもりはありませんでした。
強いて言えば、一つの事象から「速度の変化」と「時間の進み方の変化」の両方が
観測される…という程度のものです。
実際、8以降は厳密に検討したものではなく、7までが重要な問題でした。
この問題は、原理上の問題の後でもう一度お相手して頂ければ幸いです。
2.「静止系」vs「慣性系」
新しく作って頂いた『運動する相手の光時計の遅れ』を拝見して、私が使っている
「静止系」と村山さんが使っている「静止系」が違うという事が分かりました。
『私は、自分が観測者で移動する光源から出る光を観測している』というイメージ
なので、移動する鏡と斜めに進む光が「静止系から見た事象」で、慣性系から
みた光時計(光が同じ経路を往復する)が「慣性系での事象」と考えていました。
これは、特殊相対性理論の翻訳本にならった書き方のつもりなんですが…
(この本は「解説本」ではなく、論文の邦訳本です)
一方、村山さんの説明図では、光源(発光地点)といっしょに移動する系が「静止系」
で、発光地点が移動して見える系が「運動系」としているんですよね。
この違いは、確かに混乱を招きますね。
ちなみに、私も「慣性系」は「加速度系では無い」という意味を込めて使っているの
ですが・・・この問題は、ちょっと考えさせて下さい。
3.「時間の遅れ」
特殊相対性理論の翻訳本に「遅いテンポで時を刻む」という表現があり、これに
ならったつもりだったんですが…このへんも、どういう風に書いたら良いか悩んだ
部分です。
また「見える」という言葉も難しいですね。
「観測される」という事は「観測者に光が届く」という事ですから、相対論を語る場合
に「見える」と書くと紛らわしいですね。
でも、「A系から見てB系がどのように”見える”か?」という事を書くときに「A系に
対するB系との関係」という意味合いをくどくど書いても解り辛くなると思いますし、
どう書けば端的に解り易く書けるのか悩みどころです。
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ヴヴ
|
| 2006/07/22
ヴヴ様、村山です。
> 2.「静止系」vs「慣性系」
> 新しく作って頂いた『運動する相手の光時計の遅れ』を拝見して、私が使っている
> 「静止系」と村山さんが使っている「静止系」が違うという事が分かりました。
> 『私は、自分が観測者で移動する光源から出る光を観測している』というイメージ
> なので、移動する鏡と斜めに進む光が「静止系から見た事象」で、慣性系から
> みた光時計(光が同じ経路を往復する)が「慣性系での事象」と考えていました。
> これは、特殊相対性理論の翻訳本にならった書き方のつもりなんですが…
> (この本は「解説本」ではなく、論文の邦訳本です)
>
> 一方、村山さんの説明図では、光源(発光地点)といっしょに移動する系が「静止系」
> で、発光地点が移動して見える系が「運動系」としているんですよね。
え?私はそんなつもりで書いた箇所はどこにもありませんよ。まったくその逆です。
あなたの言う静止系と同じ意味のつもりでしたが。どうしてそんな風に読み取れるんだろう?
あと、
私は、この前、「静止系」は「慣性系」の一種というようなことを言いましたが、加速度系に
静止している人にとって、それは静止系ではないかと突っ込まれたら、ちょっと、窮しますね。失言でした。
でも、ここでの議論は、「加速度系では無い」、つまりいかなる慣性力も感知しない系同士の
問題だということが大前提ですから、慣性系か加速度系かはいちいち断る必要はないと思います。
だから、「静止系」か「運動系」かでいいと思うのです。
ちなみに光源と一緒に動いている人の視点で、記述をしようとしたら、この人の立場が「静止系」で、
後方に光源から遠ざかっていく観測者は「運動系」です。
この現象を光源の速さの半分の速さで光源を追いかける人の視点で考えたら、この人が「静止系」で、
光源も、当初の観測者もともに、相対速度の違う「運動系」です。この人にとっても、もちろん光は、
すべての方向に等速cで広がります。
私は、「静止系」という呼び方を議論のうえで最初に取り上げる側の視点に対応づけています。
だから、光を出した移動する光源(出し続けいている光源ではない)を観測している観測者の立場を
「静止系」として表現しています。
本当は、A系、B系とか、S系、S’系とかの表現をした方が曖昧さがなくていいのでしょうね。
> 3.「時間の遅れ」
> 特殊相対性理論の翻訳本に「遅いテンポで時を刻む」という表現があり、これに
> ならったつもりだったんですが…このへんも、どういう風に書いたら良いか悩んだ部分です。
「遅いテンポで時を刻む」というのは、1テンポを意味する物理過程が間延びしていることと捉えるのが
いいかと思います。「時間の流れる速さ」なんて発想をしだすとウルトラ時間とかまで考えなくては
ならなくなりかねないので、物理学の理解においては慎重に控えたほうがいいと思います。
> また「見える」という言葉も難しいですね。
> 「観測される」という事は「観測者に光が届く」という事ですから、相対論を語る場合
> に「見える」と書くと紛らわしいですね。
> でも、「A系から見てB系がどのように”見える”か?」という事を書くときに「A系に
> 対するB系との関係」という意味合いをくどくど書いても解り辛くなると思いますし、
> どう書けば端的に解り易く書けるのか悩みどころです。
「見える」という書き方は、実際に相対性理論の解説本でも、不用意に使われて、紛らわしくなる場合が
多いですね。私の場合は、「観測者に光が届く」ことを「見える」と言い、観測者に届いた情報を基に、
世界は(その観測者の同時刻断面において)どうなっているのかをその観測者が推察するであろう
内容を指す場合は、「判断される」という表現を使うように心がけております。
村山章 |
| 2006/07/23
村山様、お世話様です、ヴヴです。
>
え?私はそんなつもりで書いた箇所はどこにもありませんよ。まったくその逆です。
>
あなたの言う静止系と同じ意味のつもりでしたが。どうしてそんな風に読み取れる
> んだろう?
済みません、またまた私の早とちりでしたでしょうか?
一応、どういう風に解釈したかと言いますと…
「村山さんの『説明図』では」と書いた様に、図では、静止している鏡と垂直方向
に
同じ経路を往復する光の部分の上に「静止系の鏡」と書かれていますが、光時計が
この様になるのは光時計と共に移動する系なので、私は「慣性系での事象」と表現
します。
速度vで移動する鏡と、斜めに進む光の上に「運動系の鏡」と書かれていますが、
この様になるのは、(慣性系上にある)光時計の静止系での運動ですから、私は
「静止系での事象」と表現します。
なので、逆だと思った訳です。
また、冒頭に「光時計の光源から出た光は正面にも斜めにも進む。斜めに進んだ光は、
移動する鏡に反射して斜めに跳ね返って、移動する光源にぶつかる」と書かれています。
これを見て、実験室での実験を連想しました。
光時計を静止させた時と、移動させた時の光の経路の差で説明している様な印象を
受けました。(←勿論、そうは書いてありません)
でも、これはちょっと違うと思った訳です。
この場合、光源から周囲に広がる光のうち斜めに進む光の反射を計測すれば、
これは単に長い経路を進んだ光の話で、光源を移動させずに横に長い鏡を使っても
同じではないか?と思ったのです。
※.これは面白い一致だとも思いました。
そして、垂直方向だけに進むレーザービームの短パルス光の場合でもこうなるだろうか?
と。
というか、光速度不変を考える場合は、「同一の事象が異なる系でどういう関係になる
のか?」を考えなければならないのではないか?と考えました。
つまり、あくまでも「慣性系で垂直方向に進む光」と「静止系で斜めに進む光」の関係を
考えるべきではないか?と。
…と、ここまで考えた時に「あ、見方を逆にしているだけだ」と気づいた訳です。
村山さんの図では「斜めに進む光に対して鏡と共に運動する系では垂直となる」と書い
てあるのですよね?
で、私は「鏡と共に移動する系での垂直方向に進む光が静止系では斜めになる」と考え
ていた訳です。
>
ちなみに光源と一緒に動いている人の視点で、記述をしようとしたら、この人の立
>
場が「静止系」で、後方に光源から遠ざかっていく観測者は「運動系」です。
つまり、ここが微妙に違う訳です。
勿論、同じ事を言っている訳ですが…
私の考えかたでは、AとBの2つの系がある場合、光時計がB系にあってA系での光時計
の事象を考えるのと、逆に光時計がA系にあってB系での事象を考えることは全く同じなので、
この2つを意識しません。(片方しか考えません)
また、A系にある光時計をA系で考える事も意味が無いと考えます。
というか、自系の事象は自明であると考えます。
(例えば、自系の光源から伝播する光の速度はc固定である…とか)
※.↑これは「光速度不変」を考えなくても、(自系の)光源との相対速度一定でそうなり
ますから。
なので、私が考える場合は、他系(慣性系)に光時計(光源)があって自系(静止系)で
この事象がどうなるか?という事しか考えていない訳です。
(これで充分だと思っているのですが…)
>加速度系に静止している人にとって、それは静止系ではないかと突っ込まれたら、ちょっと、
>窮しますね。失言でした。
済みません、これもうまく理解できていません。
「加速度系に静止している」というのはどういう状態を指すのでしょうか?
重力による自由落下状態にあれば、これは無重力で静止している、または等速度で
移動しているのと同じ(区別が付かない)と思います。
一方、地球上の我々の様に重力を受けながら地上に「静止」している場合は(正確には
静止していると言わないのかも知れませんが、通常の感覚ではという意味で)、絶えず
下向きの力(加速度)を受けている訳ですよね。
「加速度系で静止」というのは、前者でしょうか?後者でしょうか?
>1テンポを意味する物理過程が間延びしていることと捉えるのがいいかと思います
そうですね、全ての物理現象の過程(速度?)が一様に遅くなるという事でしょうか。
そう考えれば、例えば素粒子の寿命が延びるという現象の見方も変わってくる様な
気がします。
>観測者に届いた情報を基に、
これも微妙ですね…
「時空図上の同時刻」は、観測者に届いた情報とは言い難いですよね。
実際に観測者に情報が届くという事は「見る」のと同じになりますね。
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ヴヴ
|
| 2006/07/24
ヴヴ様、村山です。
> 「加速度系に静止している」というのはどういう状態を指すのでしょうか?
「静止」というのは、ある座標系に対し、静止しているということで、その座標系が、
慣性系だろうが、加速度系だろうが、関係ありません。その座標系に静止している物は皆
互いに静止しております。
自由落下系を加速度系と見るか、一般相対論的観点から局所的な慣性形と見るか、
地上の系を慣性形と見るか、一般相対論的観点から一種の加速度系と見るか、と言う問題とは
関係なく、とにかくその系に静止しているという言い方はできることです。
私が「加速度系に静止している」と言ったときの加速度系は、単純にロケット噴射中の宇宙船に
乗る飛行士の立場をイメージしてましたが。
ちなみに、自由落下系では、潮汐作用が働くため、互いの位置関係を保持する力を持たないと、物体は
横方向では次第に近づき、縦方向では次第に離れていきます。かなり強力な重力場でないと顕著には
なりませんが。この潮汐作用に抵抗している状態を「静止」と考えるべきなのか、素直に従っている状態を
その歪んだ時空に「静止」している考えるべきかは、微妙な問題ですね。もし後者が正しいとすれば、
地表に固定していて動かない物は、厳密にはその時空に静止してはいないということになるかも。
とにかく、静止系、運動系ないし慣性系という言い方は、紛らわしいし、いつまでもこんな議論して
いたくないから、もうやめましょう。A系、B系にしましょう。
A系もB系も、(重力場のことを考えなくてもよいようにするため)エンジンを停止させた状態で宇宙空間を
漂う宇宙船の系としましょう。そして、両者は、相対速度vで互いにx軸方向に移動している関係に
あるとしましょう。
A系もB系も、それぞれ同じ仕様の光時計を持っています。それは、レーザービームの短パルス光を、
x軸とは垂直な方向のある単位距離を隔てた鏡に向けて発射し、その光が戻って来るまでの時間を単位時間の
2倍と定義します。レーザービームは、A系の原点とB系の原点がちょうどぴったり重なったタイミングで
発射されるものとします。
これで、A系とB系は、相手の相対速度がvなのか−vなのかという点を除いて、完全に対等な関係にあり、
A系で考えられることは、そのまま立場を変えてB系でも当てはまることになります。
あなたのおっしゃるように、
> 私の考えかたでは、AとBの2つの系がある場合、光時計がB系にあってA系での光時計
> の事象を考えるのと、逆に光時計がA系にあってB系での事象を考えることは全く同じなので、
> この2つを意識しません。(片方しか考えません)
ということで、充分だと思います。
レーザービームなので、光は2方向だけのものしかありません。A系からは、自分のビームは、
真っ直ぐ往復しますが、B系のビームは斜めに進みます。B系からも、自分のビームは、
真っ直ぐ往復しますが、A系のビームは斜めに進みます。いいですか?斜めに進むんですよ。
レーザービームはどちらも垂直方向に向けられていますが、相手のは斜めに進みます。移動する軍艦の
大砲の弾と同じです。それで、単位時間は光が鏡に到達するまでの時間と定義されていますから、相手の
単位時間は斜めに進んだ分、間延びしていることになるわけです。
大砲の弾との大きな違いは、大砲の弾は、斜め方向の速さが大きくなりますが、光ではそうならない、
斜め方向も同じ速さで伝播するという点が決定的本質的違いです。
このことは、最終的には、光円錐に対する同時刻断面がA系とB系とでは異なっていることに思いを馳せない
と納得ができないことではないかと私は思っています。
> というか、光速度不変を考える場合は、「同一の事象が異なる系でどういう関係になる
> のか?」を考えなければならないのではないか?と考えました。
> つまり、あくまでも「慣性系で垂直方向に進む光」と「静止系で斜めに進む光」の関係を
> 考えるべきではないか?と。
「光速不変」というのは、光はどんな慣性座標系でも、どの方向にも同じ速度で伝播するということです。
だから、同じ事象(ある一方向の経路を行く光)だけを問題にしていたのでは、比較にならないから意味がない
です。
物理学者は、スカラー値の「速さ」と、ベクトル値の「速度」を区別することがあります。この場合、
「速度」概念には、方向も含意されています。そこまで配慮すれば、「光速不変」が正しい言い方で、
「光速度不変」は誤りです。
光時計の問題は、あくまで、A系において、A系の垂直方向の光と、B系の斜め方向の光を比較すること
に意味があるのです。どちらも鏡までが単位距離であり、そこまでの光の到達時間が単位時間なのです。
しかし、A系の単位時間完了時には、B系の単位時間は完了していない、従ってB系の単位時間は間延び
していると考えるわけです。
> そうですね、全ての物理現象の過程(速度?)が一様に遅くなるという事でしょうか。
その通りです。なぜ、光時計を使ったのか?それは、真空中の光速は、電磁気学の基本方程式から導かれる、
物理現象全般に関わる普遍的事柄だからです。これは、物理過程の代表とみなせるような基準的現象だから
です。従って、光時計の単位時間が間延びすると言うことは、すべての物理過程が間延びするであろうという
ことが、含意されています。光時計だけが遅れるという話ではありません。
>>観測者に届いた情報を基に、
>
> これも微妙ですね…
> 「時空図上の同時刻」は、観測者に届いた情報とは言い難いですよね。
> 実際に観測者に情報が届くという事は「見る」のと同じになりますね。
1光年離れていることがわかっている場所のある事象の情報が(光速で)届いた
ことで、(その場所との距離は一定として、)「その事象は一年前ここで生じた
事象と同時刻である」と推察するというようなことが、同時刻であると判断することです。
離れた距離の事象を同時に観ることはできませんから。
村山章 |
| 2006/07/25
村山様、お世話様です、ヴヴです。
>
「静止」というのは、ある座標系に対し、静止しているということで
あ、なるほど、そうですね。
加速度などによる影響と、系をどこに持っていくかという事は別問題ですね。
>光時計の問題は、あくまで、A系において、A系の垂直方向の光と、B系の斜め方向の光を比較すること
>に意味があるのです。どちらも鏡までが単位距離であり、そこまでの光の到達時間が単位時間なのです。
>しかし、A系の単位時間完了時には、B系の単位時間は完了していない、従ってB系の単位時間は間延び
>していると考えるわけです。
済みません、くどいようですが一点だけ念を押させて下さい。
1.A系においてA系に設置された光時計の(片方の鏡からもう一方の鏡へ光が
伝播するという)事象と、B系においてB系に設置された光時計の(片方の鏡か
らもう一方の鏡へ光が伝播するという)事象は同じである。
(相対速度がvか−vかの点のみを除く)
2.A系において、A系に設置された光時計で片方の鏡からもう片側の鏡へ光が
伝播するという事象と、A系においてB系に設置された光時計の片側の鏡か
らもう片方の鏡へ光が「斜めに」伝播する事象とを比べて、村山さんの
「運動する相手の光時計の遅れ」
↑から、『γ = 1 / √(1−(v/c)2』が求められる。
3.1.と2.から(…展開的には逆かも知れませんが)
B系においてB系に設置された光時計の(片方の鏡からもう一方の鏡へ光が
伝播するという)事象と、A系においてB系に設置された光時計の片側の鏡から
もう片方の鏡へ光が「斜めに」伝播する事象とを比べても同じ事である。
※.結果は同じ事だと思うのですが、私は『同じ一つの事象』に対するA系とB系との
比を考える方がしっくりします。
何より、特殊相対性理論の論文の翻訳や解説本でも、そういう解説になって
いると思い込んでいましたので…
なので、
>> というか、光速度不変を考える場合は、「同一の事象が異なる系でどういう関係になる
>>
のか?」を考えなければならないのではないか?と考えました。
>> つまり、あくまでも「慣性系で垂直方向に進む光」と「静止系で斜めに進む光」の関係を
>> 考えるべきではないか?と。
> 「光速不変」というのは、光はどんな慣性座標系でも、どの方向にも同じ速度で伝播するということです。
>だから、同じ事象(ある一方向の経路を行く光)だけを問題にしていたのでは、比較にならないから意味がない
>です。
私が書いた「同一の事象が異なる系でどういう関係になるのか?を考える」
「慣性系で垂直方向に進む光」と「静止系で斜めに進む光」の関係を考える」
(↑同一の事象に対して系が異なることで発生する違いを指します)
というのが『比較にならないから意味がない』という事なのでしょうか?
「光速不変」は『光はどんな慣性座標系でも、どの方向にも同じ速度で伝播する』
というのは
当然の前提だと思っています。
でも、私がそれを理解していないから、意味のない比較をしているのでしょうか?
B系で進行方向に垂直の方向へ向かう光と、その光が、A系で斜めに進む事を比較
する事は
何故「比較にならない」のでしょうか?
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ヴヴ
|
| 2006/07/26
ヴヴ様、村山です。
> 1.A系においてA系に設置された光時計の(片方の鏡からもう一方の鏡へ光が
> 伝播するという)事象と、B系においてB系に設置された光時計の(片方の鏡か
> らもう一方の鏡へ光が伝播するという)事象は同じである。
> (相対速度がvか−vかの点のみを除く)
>
> 2.A系において、A系に設置された光時計で片方の鏡からもう片側の鏡へ光が
> 伝播するという事象と、A系においてB系に設置された光時計の片側の鏡か
> らもう片方の鏡へ光が「斜めに」伝播する事象とを比べて、村山さんの
> 「運動する相手の光時計の遅れ」
> ↑から、『γ = 1 / √(1−(v/c)2』が求められる。
>
> 3.1.と2.から(…展開的には逆かも知れませんが)
> B系においてB系に設置された光時計の(片方の鏡からもう一方の鏡へ光が
> 伝播するという)事象と、A系においてB系に設置された光時計の片側の鏡から
> もう片方の鏡へ光が「斜めに」伝播する事象とを比べても同じ事である。
>
> ※.結果は同じ事だと思うのですが、私は『同じ一つの事象』に対するA系とB系との
> 比を考える方がしっくりします。
なんか、理解に苦しんでいます。「片方の鏡からもう一方の鏡へ」?A系もB系も鏡は片側に
しかないはずですが。光源から鏡に向かう光と、鏡から(それぞれの系において)光った位置に
向かう光しかないと思うのですが。鏡がどこから二つになってしまったのでしょうか?
往きのことか帰りのことか?仮に「往きのこと」と解釈して、最初に登場する「片方の鏡」は
光源のことと解釈すると、(もしかしてレーザー発振装置の内部の鏡のこと言ってる?)
........
....そう解釈すると、「1.」はまず、誤りですね。「...事象は同じ」ではありません。
全く同じ種類の同じ仕様の現象ですが、事象としては別々です。A系の鏡とB系の鏡は別ものですから。
仮に、A系、B系共通の長い鏡を使ったとしても、反射する位置が違いますから。
「帰りのこと」と解釈しても同様ですね。
では、どう解釈したらよいのか、この文章を????
「事象は同じである」を「同一のものとして対応付け可能な現象である」と解釈しましょうか。
にしても、「3.」の推論がどうして必要になるのでしょうか?
光時計の問題は、異なる慣性座標系それぞれの単位時間はどうなのか、を問題にしています。
ある事象が、異なる慣性座標系間で、どう評価されるかを問題にしているわけではありません。
もちろんそういう問題設定をしなくてはならない場合はあります。というか、相対性理論の
諸問題は大概、そういう問題設定で議論が進行します。しかしそれは、各座標系の単位時間、
単位距離、言い換えればミンコフスキー時空の計量構造が明確にされてからの議論です。
しかし、光時計の問題は、そこにいたるまでの段階での推論なのです。
「同一の事象が異なる系でどういう関係になるのか?を考える」ための基本準備作業なのです。
単位の問題を明確にしないままでは、「同一の事象が異なる系でどういう関係になるのか?を考える」
ことはできないのです。
ほんと、くどいようですが、念を押させて下さい。
ここで明らかにしたいことは何かというと、ある慣性座標系Aでの一単位時間と、移動する別の
慣性座標系Bでの一単位時間とは、座標系Aの基準で考えたら、どういう関係にあるのか、
ということなのです。そして、両座標系は対等であるから、
ある慣性座標系Bでの一単位時間と、移動する別の慣性座標系Aでの一単位時間とは、
座標系Bの基準で考えたら、どういう関係にあるのか、ということを求めた場合、
速度が反対なだけだから、同じような関係になっているはずだということなのです。
あなたは、座標系Aの基準で考えたBの単位時間と、座標系Bの基準で考えたBの単位時間を
比較すべきだと、主張されておられますが、違う基準で評価されたもの同士を比較しても、
基準間の関係が明らかになっていないこの時点では、まったく意味がありません。
Bは、自分の一単位時間で光は鏡に到達すると言います。Aは、やはり、Bの一単位時間で
光は鏡に到達すると言います。その事実から、Aの単位時間とBの単位時間の関係が
わかるでしょうか。あなたは、さきほどの展開で、「2.」を利用してますが、これは、
Aの基準でAの単位とBの単位を比較する論理を使ってますから、論理が一貫してません。
あなたがなさろうとしていることは、円とドルの為替レートがまったくわからない状態で、
ある商品のオークションを円建て、ドル建て混在で行なっているようなものです。
ある商品が、かたや1万円、かたや100ドルで表示されたとして、これで、どちらが高値か
わかるでしょうか。具体的な為替レートが決まって初めて、100ドルの方が高いなという
判断がつけられるというものではないでしょうか。
> B系で進行方向に垂直の方向へ向かう光と、その光が、A系で斜めに進む事を比較
> する事は
> 何故「比較にならない」の
か、これでわかっていただけたでしょうか?
> 何より、特殊相対性理論の論文の翻訳や解説本でも、そういう解説になって
> いると思い込んでいましたので…
具体的な出典をはっきりさせていただかないと、なんともコメントのしようがありません。
この先についてなんですが、
まあ、距離単位の問題をやるとしても、
特殊相対性理論を理解する上で、まず到達したい重要地点は、ローレンツ変換ですよね。
あなたの当面の目標もそこかなと思ってますが。
で、ローレンツ変換というのは何を求めるものかと言えば、
ある慣性座標系Aのある事象の座標(時刻tと位置x)は、移動する別の慣性座標系Bで評価したら
別の座標(時刻t’と位置x’)になるのだけれど、その関係は?
ということですよね。
ガリレイ変換の世界では、時刻は絶対だから変換を考える必要はなく、位置x’と位置xとの関係を
相対速度vと共通の経過時間(t=t’)の積vtの増減で求めました。
しかし、同時刻の相対性を(光速不変から)認めざるをえなくなった相対性理論の世界では、
共通の経過時間というものを考えるわけにはいかなくなり、時刻t’については、さしあたり、
相対速度vと事象間の隔たりxの積vxの増減を加味しなくてはならなくなります。
ただ、単位時間、単位距離については、従来どおり共通の長さとして考えると、座標系間の対等性
が失われます。座標系間の対等性を保つためには、互いに相手の座標系の単位は間延びしている
と考えなくてはならず、その間延び率がvの関数γなのです。そこから、ミンコフスキー時空の計量構造
が導かれていきます。
私は、そういう流れで理解しています。
ただ、多くの解説書(アインシュタイのも含めて)では、ローレンツ変換は、慣性座標系間の変換法則
なんだから、とりあえず線形変換(一次変換)であろう、ということで、一般的な一次変換式を提示し、
その仮の係数を、光速不変や、時空の等方性などからの条件式を使って、方程式を解いて、具体的に
求めていくやり方で、これが主流ではないかと思います。
何がいいかはそれぞれ個人の好みもあると思いますから一概に言えることではないですが、まあ、
私は、ローレンツ変換の導出過程にも出来る限り物理的世界像を対応させて行きたいと思う方で、
数学的エレガントさよりもそちらを好むタイプです。
村山章
|
| 2006/07/26
村山様、お世話様です、ヴヴです。
どうやら、このあたりが、私が光速不変を理解する上で大きな難関らしいです。
らちが明かない話で申し訳ありませんが、もう少しだけお付き合い願えれば
幸いです。
>鏡がどこから二つになってしまったのでしょうか?
申し訳ありません。
話の内容には全く関係ありませんので、どうでも良いのですが…
一般的な解説書?(少なくとも私が見てきたものでは)「光時計」というのは
両側に鏡があって光が往復する事で「時を刻む」というものでした。
「時計」という言葉からも、それが自然な装置の形態だと思っていたので、
そういうイメージで書いただけの事です。
今回の話は、1往復で済みますので2枚の鏡は必要ありませんね。
>
ここで明らかにしたいことは何かというと、ある慣性座標系Aでの一単位時間と、
>
移動する別の慣性座標系Bでの一単位時間とは、座標系Aの基準で考えたら、
>
どういう関係にあるのか、ということなのです。そして、両座標系は対等であるから、
>
ある慣性座標系Bでの一単位時間と、移動する別の慣性座標系Aでの一単位時間と
>
は、座標系Bの基準で考えたら、どういう関係にあるのか、ということを求めた場合、
>
速度が反対なだけだから、同じような関係になっているはずだということなのです。
>
> あなたは、座標系Aの基準で考えたBの単位時間と、座標系Bの基準で考えたB
>
の単位時間を比較すべきだと、主張されておられますが、違う基準で評価されたもの
>
同士を比較しても、基準間の関係が明らかになっていないこの時点では、まったく
> 意味がありません。
済みません、くどいですが質問させて下さい。
村山さんの説明では、A系においてA系の一単位時間と移動するB系の一単位時間
の関係は、B系においてB系の一単位時間と移動するA系の一単位時間との関係に
等しいが、系が異なるのでA系の一単位時間とBの一単位時間が等しいとは限らない
…という事でしょうか?
そもそも、AとBの光時計が「同じ仕様」で、A系においてA系に静止した光時計の
『一単位時間』と、B系においてB系に静止した光時計の『一単位時間』が等しいと
いう前提があるからこそ、A系の光時計と移動するB系の光時計を比較する意味が
あるのではないでしょうか?
A系の一単位時間と、B系の一単位時間が異なるのであれば、A系の一単位時間
とA系において移動するB系の一単位時間を比較する方が意味がないと私は思います
けど…
村山さんが作られた「運動する相手の光時計の遅れ」の図で、『B』点は経過時間t
の時のB系の発光地点(発光した時のB系の発光位置)で、距離BAはB系で静止し
ている光時計の鏡までの距離ctですよね?
Oで静止している時のOから鏡までの距離と、BAは等しいのではないでしょうか?
このBAとOAを比較する事を、私は
『A系において、移動するB系の光時計と、B系の(B系に静止した)光時計とを比較』
と表現している訳ですが、間違いなのでしょうか?
A系の観測者がB系に静止して距離を測定できる訳はないので、『B系での静止距離』
は、あくまでもA系において、BAを計測するという意味です。
--------------------------------------------------
ヴヴ
|
| 2006/07/27
ヴヴ様、村山です。
光時計の話を説明し納得してもらうことの難しさを痛感しています。
プロの物理学の先生は、もっとうまく説明するのかなあ。
話の前提を一つづつ確認して参りましょう。
光速不変を普遍的物理法則として認めねばならないとすると、
距離を隔てた事象の同時性が、座標系によって異なってくることになります。
ここまではいいですよね。
それで、相対速度vの関係にある座標系A、Bにおいて、同じ位置と時刻で始まった、
単位時間を表す物理過程の完了する事象(例えば、光時計の光が鏡に到達する事象)を、
A、Bそれぞれで考えた場合、その事象は必然的に距離が隔たっていることになります。
ここで、A系の完了事象とB系の完了事象が同時刻だとしましょう。従来の考え方では、
当然の判断です。しかし、同時刻は座標系によって相対的です。A系の基準で、
両事象は同時刻だとしたら、B系の基準では、両事象は同時刻だとは言えないことに
なります。逆に、B系の基準で両事象は同時刻だとしたら、A系の基準では、両事象は
同時刻だとは言えないことになります。
古典的な考え方では、座標系の違いで、単位時間を表す物理過程の長さが
異なるということはありませんでした。しかし、上記のような事情を鑑みると、
これは疑ってかかる必要があります。両座標系の対等性を考慮すれば、完了事象は、
どちらから判断しても同時刻ではない、従って、単位時間を表す物理過程の長さは
互いに異なっていると考えるのが妥当ではないかということになります。
単位時間長の問題とは、一方の単位時間が完了した時点と「同時刻」において、
他方の単位時間の過程はどうなのか、という問題なのです。
つまり、「同時刻の相対性」は、すでに、単位時間長の絶対性への信念を崩壊させて
いるのです。詳しい説明は省きますが、単位時間長の絶対性への信念の崩壊は、
単位距離長の絶対性への信念の崩壊も導きます。
(詳しくは、拙サイトの
「光時計の時空構造」 2.光時計を使った時間の遅れと距離の収縮の導出
(3)光時計に基づく距離の収縮の説明
を参考にしてみて下さい。)
では、具体的にどのように単位時間長は異なっているのか、それを考えるのに
光時計を使うわけです。
私の、 「運動する相手の光時計の遅れ」
の図
で、とりあえず、
OからA系の鏡までの距離をOPとさせていただきます。
問題は相対速度vが、座標系間の単位時間や単位距離にどう影響を与えるかです。
しかし、相対速度vの方向と垂直な方向では、速度成分は零だから、影響はないだろうと
推定できます。従って、A系での鏡までの距離(図のOP)と、B系での鏡までの距離
(図のBA)は等しいことは、前提できます。これは、両座標系間の光時計の仕様が
等しいこと(同等の物理過程だということ)を意味します。等しい距離を等しい速度で
横切る時間は、対等なものと評価できるからです。
それで、A系の光が鏡Pに到達した時刻と、(A系にとって)同時刻の状態を考えます。
すると、その時点ではB系の光はCまでにしか到達していないと言うことができます。
しかし、B系にとって、単位時間はAまで到達して完了するわけですから、この時点では
まだ完了していない、つまり、遅れているということになります。
両座標系の単位時間長のこの状況下での比をt:t’とすると、長さの比OC:OAは
ct:ct’になります。光速不変のおかげで、時間の比は、長さの比に置き換える
ことができます。それで、OC:OAという長さの比を求めにかかるわけです。
あとは、「運動する相手の光時計の遅れ」にて展開した通りです。
しかし、OCとは、そもそもOPの長さを取ったものです。だから、両座標系の
単位時間長の比というのは、OP:OAという長さの比のことなのです。
単位時間長の比を長さの比で考えることを根底で可能にしているのは、光速不変です。
そこがミソだと思います。もしこれが光ではなくて大砲の弾とかだったら、時間は同じで、
距離の比は、速度の比を表していると考えられることになるわけだからです。
そして、ここでの考察は、あくまで、A系の光がPに到達した同時刻断面だということ、
そこが重要だと思います。
しかし、「BAとOAを比較する」という考え方は、A系の光がPに到達した同時刻断面
を考察しているという観点が抜け落ちてしまうような気がしてならないので、私は
どうもしっくりこないのです。もちろん値としては間違いではないのですが。
なお、B系の光が鏡Aに到達した時点と(B系における)同時刻断面で考察する場合は、
同図を左右反転させたような図で考えることになります。その場合は、原点からAまでの
垂直距離が比較基準になるだろうと思われます。
要は、問題にしている座標系において、どの時点の同時刻断面の構造を、考察の対象と
しているか、なのです。A系でのPへの到達時刻、これが最重要なことなのに、OPを
考察の対象から外してしまったら、一体何について考えているのかわからなくなってしまわ
ないでしょうか。光時計の問題も「同時刻の相対性」を根底にすえて考えなくてはならない
のです。
> 村山さんが作られた「運動する相手の光時計の遅れ」の図で、『B』点は経過時間t
> の時のB系の発光地点(発光した時のB系の発光位置)で、距離BAはB系で静止し
> ている光時計の鏡までの距離ctですよね?
この視点(同時刻断面)においては、距離BAも、所詮、A系での光源から鏡までの距離
しか意味していません。これは、B系に静止した図ではないのです。B系で静止している
(ということはA系では運動している)光時計の鏡までの距離は、この図ではOAです。
垂直方向にその距離を描きたかったら、図そのものを全体的にB系に静止した図に
描きかえる必要があります。ヴヴさんはA系の図にB系の図の一部を重ね合わせてしまっては
いないでしょうか。
「A系において、移動するB系の光時計」と、「B系の(B系に静止した)光時計」は、
この図ではともにOAを指しています。この図のBAというコースは、A系の横方向に静止
しているのであって、B系の横方向に静止してはおりません。
この図は、あくまでもA系の図でしかないということをご理解していただきたいのですが。
村山章 |
| 2006/07/27
村山様、お世話様です、ヴヴです。
基本的には同じだという事で安心しました。
後は、村山さんの考え方を理解した上で、私の考え方を間違えないように
進めていけば良いですよね。
> A系の図にB系の図の一部を重ね合わせてしまってはいないでしょうか。
> 「A系において、移動するB系の光時計」と、「B系の(B系に静止した)光時計
> 」は、この図ではともにOAを指しています。この図のBAというコースは、A系の
> 横方向に静止しているのであって、B系の横方向に静止してはおりません。
> この図は、あくまでもA系の図でしかないということをご理解していただきたいの
> ですが。
勿論、あの図はA系の図だと理解しています。
私は、この図を見ると、B系の光時計が時間とともに左から右へ移動していく
様子が頭の中に浮かびます。
そして、OからAに向かう短パルス光が光時計とともに右に移動しながらAへ到達します。
その瞬間のB系の発光地点(光源)はBにあります。(Bを通過します)
あくまでも、A系においてBの光時計がどう移動して行くか?という事です。
つまり、光がOからAに至る時間の流れ(経過)の中で、Bの光時計がOPからBA
へ移動するという動画的なイメージで見ています。
そして、光がAに到達した時点で、OAとBAの距離を測って比較する…というイメージです。
私はこれから、B系の移動方向=X軸上を往復する光や、最初から光が斜めに
進む場合などを考える事で、A系の同時刻線上でB系の時刻が異なる問題や距離
が縮む問題などを考えて行く訳ですが…
それらは(X軸と時間軸の)時空図で考えると非常に分かりやすいのですが、逆に
A系の同時刻線を斜めに横切る物体(棒)は現実(日常)の3次元空間では想像
しづらいものです。
例えば、『昨日のA点と今日のB点を結ぶ直線』なんてものは現実の3次元空間
では存在しませんし、想像も難しいです。
現実の3次元空間では同時刻のものしか同時に存在しない訳ですから、A系の
同時刻線上でどの様になるのか?が現実の3次元空間でのイメージに近いですし、
それが即ち『時間の遅れ』や『空間の縮み』となって現れるものだと思っています。
取り敢えず、『進行方向に垂直な方向に光が進む光時計』はお仕舞いにさせて
頂いて、本編?の私が作ったページに対するご指摘や今までのやりとりを元に、
あのページを直したいと思います。
今、いろいろとたて込んでいまして、少し時間がかかると思いますが、ページが
出来上がったら、またご連絡を差し上げたいと思います。
これに懲りず、その時はまたお相手して頂ければ幸いです。
本当に、いろいろお手数をおかけしました、ありがとうございます。
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ヴヴ
|
| 2006/07/28
ヴヴ様、村山です。
> 基本的には同じだという事で安心しました。
私も安心しました。
> そして、光がAに到達した時点で、OAとBAの距離を測って比較する…という
> イメージです。
A系の時空断面で、光がPに到達したところとの比較であるという点が理解されているので
あれば、光がAに到達した時は、Pに来ていた光は反射して帰りの途についていることが
理解されているのであれば、BAとはOPに等しいわけだから、
関係式を求める操作上のこととしては、無論問題はないと思います。
> 私はこれから、B系の移動方向=X軸上を往復する光や、最初から光が斜めに
> 進む場合などを考える事で、A系の同時刻線上でB系の時刻が異なる問題や距離
> が縮む問題などを考えて行く訳ですが…
とにかく、各系の単位時間、単位距離の目盛に注意して考察を進めてみて下さい。
拙サイト
「ミンコフスキー時空座標系の動き」
では、同時刻ライン、同地点ラインを動かして確かめられますので、もしよろしかったら
ご参考に。キー「G」を押せば、グリッド表示切替もできます。
最初から光が斜めに進む場合は、ちょっとややこしいですね。垂直方向と水平方向とに
成分を分解して考えていかれるといいと思います。この場合も同時刻断面の違いが
微妙に関わってきますので、慎重に考えてみて下さい。
> A系の同時刻線を斜めに横切る物体(棒)は現実(日常)の3次元空間では想像
> しづらいものです。
> 例えば、『昨日のA点と今日のB点を結ぶ直線』なんてものは現実の3次元空間
> では存在しませんし、想像も難しいです。
私も、画像的イメージとして想像できた実績は一度もありません。
ただ、想像できないこと、すなわち、存在できないこととは、必ずしも言えないとは思ってます。
> 現実の3次元空間では同時刻のものしか同時に存在しない訳ですから、A系の
> 同時刻線上でどの様になるのか?が現実の3次元空間でのイメージに近いですし、
> それが即ち『時間の遅れ』や『空間の縮み』となって現れるものだと思っています。
『時間の遅れ』や『空間の縮み』といった問題は、その通り、どの三次元的同時刻断面で
切り出すかの問題だと思います。
> 取り敢えず、『進行方向に垂直な方向に光が進む光時計』はお仕舞いにさせて
> 頂いて、本編?の私が作ったページに対するご指摘や今までのやりとりを元に、
> あのページを直したいと思います。
がんばって下さい。
村山章 |
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