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| 2009年は「世界天文年」 イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイが、人類史上初めて望遠鏡を宇宙に向け、近代天文学の扉を開いた1609年から400年の節目の年にあたる2009年。それを記念して、国際連合、ユネスコ、国際天文楽連合は、今年を「世界天文年」と定めました。 それでも地球は回っている! ![]() 1633年2月、ローマ法王庁の裁判所 「太陽が時間とともに東から西に動いてゆくのは?」 「太陽が地球の周りを回っているから? それとも 地球が太陽の周りを回っているから?」 「ガリレイは、地球が太陽の回るという意見を持つか?」 ガリレイはその質問に、心の中では「ハイ」と答えながら「イイエ」と口に出したのでした。 理由は、かつて地動説を撤回しなかったため火あぶりの刑に処せられたブルーノのことがあったからです。このときガリレイは高齢であったため、死よりも科学の心理を後世に伝えようという思いが強かったからだといわれています。 裁判所を出るときガリレイは、「それでも地球は回る!」とつぶやいたことは有名です。 当時のカトリック教会は、古代ローマ時代にプトレマイオスが提唱していた宇宙の中心は地球であるとする「天動説」を世界観として公認していました。 ところが、16世紀になって、ポーランドの天文学者コペルニクスは、太陽が中心にありその周りを地球が回るという「地動説」が、正しいのでは ないかと考えるようになっていたのです。このことを知ったガリレイも、自身による木星の四大衛星の発見や金星の満ち欠けの観測などから、「地動説」を支持し、地動説を紹介する内容の「天文対話」という本を書きました。 ところがそれを知ったローマ法王庁は激怒し、ガリレイを裁判にかけ、「地動説」を撤回させようとたわけです。 ★ガリレオの足跡 ガリレオは、1800年以上続いた古典的宇宙観(天動説)に対して、観測と実験から真実を解き明かそうとした、不屈の科学者。 1564年:ミケランジェロが死ぬ3日前の2月15日、イタリアのピサで誕生 1574年:家族とともにフィレンツェに引越し 音楽家の父の言葉が、ガリレイの将来を決める大きな力となった。 「もし、おまえが真理を求めるならば、どんな権威にも立ち向かってゆく勇気と知恵を持つことだ」 1581年:17歳になったガリレイは、父の薦めもあって単身ピサ大学医学部に入学 1583年:シャンデリアの揺れから、「振り子の等時性の法則」を発見 1589年:ピサ大学の数学講師に任命される 1590年:ピサの斜塔で、落体の実験をし「落体の法則」を発見 1592年:パドバ大学の数学教授となる 1600年:ジョルダノ・ブルーノが、火あぶりの刑に処せられる。 1604年:新星が現れる。この正体について、アリストテレス学派の学者と論争を繰り広げる。 ![]() 1608年:オランダで望遠鏡が発明される 1609年:ガリレオ式望遠鏡を作り、初めて天体に向ける 1610年:木星の衛星を発見 1611年:望遠鏡をローマ法王に見せる 1612年:太陽観測を始める 1615年:異端審問所から呼出し命令 1616年:審問の判決で、地動説を否定させられる。 1632年:地動説を書いた「天文対話」を出版するが、 ローマ法王が激怒する 1633年:宗教裁判。地動説を完全に否定させられる。 1636年:「科学対話」出版 1638年:失明。「新科学対話」オランダで出版 1642年:1月9日死去。ニュートンが生まれる 1992年10月、ローマ法王はガリレイの破門を解き、正式に名誉回復を決定しました。そして天動説を放棄し地動説を承認しました。ガリレオの死から359年もの歳月がかかったのです。 ![]()
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